第5章 [B面]『自由を求めて』
シエル山の第3登山道に浦辺はいた。
おそらく理玖は最もメジャーな第1登山道から登ったはず。つまり、獲物はその反対側に位置する第3道を必ず通る。
血塗れの上着を脱ぎ捨て、火照った身体をあおぐ。岩陰に隠したペットボトルの水を頭からかぶった。
「……落ちた……すね」
毛先をいじると金色の髪が黒く濁っていく。眩い幻が消え、本来の闇へと戻る。落ち着くが寂しくもある。
しばらくして雨が降り始めた。
浦辺は顔を顰めて、空を見上げる。すると、黄金の雲が目に入った。聖書のワンシーンかと思うほどに神々しい。心を掴まれ見惚れていた。
「…………!」
ーーー足音が聞こえて、人影が山頂から降りてきた。
浦辺はニヤリと不気味な笑みを浮かべて、屍のように息を潜める。
やっと自由への切符が手に入る……早る気持ちを落ち着かせて拳銃をホルスターから抜く。サイレンサーをつけ、獲物を待った。
「……はぁ……は……あ……クソ! クソクソクソぉぉお! 気持ち悪い! 気持ち悪いぃぃぃんだよぉぉお!」
しかし、やってきた人物は殺す気も起きない産まれたての小鹿だった。やつれた顔で不満を口にする。
ラスボスの登場を楽しみにしていた浦辺は期待外れだとため息をつく。後始末なのだから当然と言えば当然だ……なにを期待していたのだろう?
「やあ! 利用されて使い潰された哀れな少年よ」
「は、はあ? いきなりっ、誰だぁぁぁあ……???」
「最後に教えてやろう」
獣が威嚇するように声を発して、銃の撃鉄をおろし、銃口を少年エネの足に向けて撃つ。
「ぎゃあぁぁぁぁぁあ!!!!」
「君が誰に喧嘩を売ったのかをね?」
「るっ、るるっ……ルネド!?」
エネがうわ擦った悲鳴を上げ、這いつくばって逃げようとする。
それを見下ろして、一方的に語りかける。
「私の手を煩わせるつもりかい? ……それも一興かね……?」
「ひぃぃい……だ……い」
彼が涙を流して流血する足を抑え、這い進む。
浦辺はゆっくりと距離を詰めていく。
「君は心から慕う男に裏切られたのだよ」
「うっ、嘘だ!!! 違うっ、先生はっ!! 法経狂師先生はっ、ボクに知恵をくれたんだよぉぉお!!!」
彼がやっとこちらを向いた。睨んできたと言った方が正しいか。
浦辺はしゃがみ込んで、エネの頭を掴み、目線を合わせる。
「あーー、君が信じた逆説のことかね? 『神の存在を維持するにはより多くの信者が必要である』か……この後になにが続くかは分かるかい?」
「しっ知らない!」
「この先が一番、君にとって大事なのだよ? 『人が神を忘れることこそ神の死である』とね」
「……? ……あ……あっ! あぁ、あぁぁぁぁぁぁぁぁあ!!!!!」
彼は叫んだ。
今までしてきたことがなんの意味もないと知り絶望したのだろうか?
エネの死も必要な犠牲に数えられていた。恨みを抱いているエネも例外じゃない。一番殺さなきゃいけないのはエネ自身なのだから。
「さて、君がここまで生存したのは面白いことに法経狂師の誤算だと考える」
「へ??」
浦辺は一笑する。
しかしそれは小さな誤算であって、これから帳尻が合う。必ずだ。
ルネド初代は法経狂師とどういう関係なのか?
疑問ばかりが頭をよぎる。
「いい顔するね、君は確か『人こそが人を導ける』と言ったかね?」
「や……だ……」
頭を掴んだまま、躊躇なく銃をエネの口に入れた。
震えてガチガチと歯が音を立てる。
「……お互い、ご苦労様」
浦辺は引き金を引いた。
雨が返り血を流し、やんだ。目を細めて、眩い黄金の雲を見上げる。
「彼らを信じられなかった……それが君の敗因だろう」
ふと呟いた言葉が胸にわだかまりをつくった。
エネは否定することでしか生きられない悲しい人間だ。変わるチャンスがあったにも関わらず……。ここに来なければ、死なずに済んだろうに。
だが、ルネドとしてエネ・ミーバルを見つけた以上はケジメをつけなければならないのだ。初代の意向、親友の仇撃ち。どんなに哀れだと思っても、結末を変えることなどできない。ある意味……彼には同情と親近感を感じた。拾ってくれた恩義ある男に手足のように使われる苦しさ。
それでも引き金を引いた理由は、ロミアの近くにいる危険な人物はすべて排除するべきだからと思ったから……違うな、自らの自由のため。
「……ホウケキョウジ」
ルネド初代が最後に会いに行くと言った男の名前だ。無関係とは到底思えない。この疑問はあとにして、ミカゲに報告だ。
「ミカゲ、お前の依頼は終えた」
『ご苦労様、おかげで私はとても助かったねぇ』
噛み締めるような声を意外に思う。
「こうなることは予知通りなのだろう? 礼には及ばない」
『ふっ……素直じゃないねぇ?』
「だが、エネは悪魔を呼ぶ者ではなく、悪魔に使い捨てられた者だった」
ミカゲの吹き出す笑い声がした。
『いや、ねぇ……抜けている君の可愛さを噛み締めていたところだ』
「……なに?」
『呼ぶ者であっている、悪魔が現れるきっかけという意味でねぇ』
「なぜそう思うのかね?」
『ルネドも同じようなものだねぇ』
「初代と?」
同じとはどういう意味か考える内に、ある言葉を思い出す……初代がこの島に残したもの。
『おや、心当たりがあるようだねぇ? 今度、ルネドに会った時にでもそのイタズラを咎めておいて欲しい』
エネと同じで悪魔が現れるきっかけのイタズラ……それは!?
「……まさか、初代が神に干渉……書き換えたとでもいうのかね?」
初代はエネとは違う、本気で世界をかき乱す混乱を求めているからだ。この先に悪魔が現れるというなら、それは初代が書き換えた神そのものなのではないか?
ルネド初代に会って確かめなければ。
『そうなるねぇ』
「だとしたら、なぜ止めなかったのだ?」
『ふっ、考えるまでもないねぇ?』
ミカゲに不都合がなかったから……いや、書き換えられた世界でしか巡り会えないとでもいうのか?
でなければ、曲がりなりにも元天使が許容すると思えない。
『君はもう理解しただろうねぇ? 私はロマンチストなんだ』
ミカゲの声からブレない強い意志を感じる。
本当に運命の人に会うため、ただそれだけのために??
意味が分からない。会ったことがないのに関わらずそこまでの想いを抱くことが可能なのか?
「なんとも……奇怪な思考だ」
『おや、心外だねぇ? 君も似たような者だろう。私のような力を手にしていたら、同じ考えに至る同志だと思うねぇ』
「……それは起こり得ない、私は人間だからだ」
『傷つくねぇ?』
「事実を口にしたまで」
ミカゲは人に成りたくて堕天したようだが、どれほど見てくれを近づけようとも事実は変えられない。
機械が人に成ることなど、不可能だからだ。
『再び会えることを楽しみにしているねぇ?』
◇◇◇
セイト。倉庫街を抜けた先に港。船着場で座り込む男が見えた。酒瓶をラッパ呑みしている。
酒呑み男がこちらに気づき、手を上げた。
「お~!? だれや!?」
酒飲み男アワザが驚き、人差し指でさされる。白々しいほどのオーバーリアクション。
「悲しいっすね、アワザ」
浦辺は髪をいじりながら、彼に近づいて一笑する。
「あ? ……あ!? 浦辺やないか!」
彼は黒い髪の浦辺と分かって二度驚いている。
「ズラか?」
「地毛っすね」
「はーー!? なんやろなぁ……化けるもんやなーー??」
彼はいたく感心しているようだ。
「もうルネド呼びしていっすよ」
「……どっちもちゃうねんな。むかし、別の名前使うてなかった?」
アワザが頭を抑えながら、唸る。
こちらから答えを言わないと、悩みは晴れないといった表情だ。今更隠す必要もない。
「アキトっすか、それならオレの本名なんすよね」
「ホンマ……は名前覚えとったんか?」
あっという間にアワザの表情が晴れた。
まるで狙っていたような気もする。
「……父から渡された手紙と指輪のおかげっすね」
実際、手紙には『指輪を売って金にしろ』と2人の名前『夏糸』『秋兎』が書いてあった。
「バレへんかった?」
「しーっ……」
浦辺は人差し指で唇に触れる。
「さあて、次は私から質問させてもらおうかね?」
「急に仰々しいやないかい!?」
「君はこれから犬の鳴き真似とお手をするだろう」
「は? なんでや? そないなこと絶対せーへんで!」
アワザは引きつった顔で笑った。
「君は船に乗るつもりかね?」
「……せやで? なんや? 帰るだけやけど、おかしいんか?」
「ルネドに私を見張るように言われたのだろう?」
彼は驚き、沈黙した。
「………………バレた?」
「さあて、命が惜しくは犬の鳴き真似とお手をなさい」
「ワン! ……ちゃうわ!!!」
「せやけど、ホンマはやりたなかった」
「断れば良いだろう?」
「……俺が断ったら、どうなるか分かるやろ?」
彼は控えめに視線を向けてきた。
「次の者に話が行くだけだとも」
「やから……俺な、そういうの嫌やねん。酷い話やろ、騙される方が浮かばれないでーー!!」
彼の妙に心配していた態度の訳はこれか。
「ほう、君はナジョーと同じような人間ということかね?」
「まっ、そないなところや! バレたら俺が危ういんやけどなーー!」
「報復は怖くないのかね?」
「怖くないわけがないやん!!!」
彼は肩を震わせて、自らを抱きしめる。
「でも、自分の兄弟のことも心配しとったんはホンマやで! 他人事とは思えないからな!」
浦辺は船に乗り込む。
「……オレ、船から見える景色は初めてで楽しみなんすよねー!」
「あ? 心残りはないやろな??」
アワザは真面目な声のトーンで浦辺に尋ねた。
「ないっすよ」
「嘘やろ? 兄弟は?」
「はぁ………………いた」
ため息で隠すように答えた。
「せやったら、この島に残ったらええやん?」
彼に肩を叩かれる。
「本当の兄弟とはそういうものかね?」
「……久々の再会なんやろ! 会うたらええやん! 積もる話もあるやろ??」
「ない」
「分かった……そういうことにしたるわ」
2人は船に乗り込んだ。瞬間、アワザの携帯が鳴った。
「あ? なんや? 弟からやて??」
『もしもし』
おっとりとした話し声。
「おう!!!」
『お久しぶりです、兄さん』
「おお!? 久しぶりやんなー!!」
『元気してますか? たまには帰って来てくださいよ……あっと! 近くに来たついでで構いませんから、立ち寄ってくださいね?』
「配慮がわざとらしいわ! 俺はツンデレかい!!」
電話にもツッコミを入れるアワザを横目に見る。
彼はバツが悪そうな顔をした。
『だって、兄さん……』
「子供やないんやからそないな配慮は余計やっちゅーんじゃボケ!!」
『あはははは、すみません』
「親らしくなってきたな! あと心に余裕が出てきたみたいやね」
『そうかもしれないですね。僕、今すごく幸せですから』
「そら良かったわ! ホンマに……ホンマに良かったなーーっ!!」
『子供も大きくなりましたので、ぜひ会いに来てください』
「気ぃ向いたらな、ほなまた!!」
アワザが電話を切って早々に浦辺がこう言う。
「……似てないっすね」
「やかましいわ! ボケ!」
彼はしばらくして船のオールを漕ぎ始める。
浦辺も彼の呼吸に合わせてオールを動かす。
「なぁ……」
「何かね?」
「自分は…………」
彼は言葉を選んでいる様子。遠慮する間柄でもないだろうに。
「ルネドをいてまう……? そないなこと思ってないやろ?」
「なぜ?」
唐突で驚きを隠せない。一体、どういう経緯でそんな考えに至るのだろうか?
呆れてオールを動かす手を止める。
「ミカゲの予言や! 止めるなら今しかないんやって!」
「はあ……君はそれが目的でついてくるわけかね?」
「せやで!!」
ミカゲに妙な入れ知恵をされたのだろうとは思ったが、帰り際の話はそれか。そこまで考えていなかったものの、その通りになるのが面白いとさえ思う。
自由はもう目の前にあるのだから、些細なことなどどうでもいい。
「残念だが、今の考えを変えるつもりはないのだよ」
「…………まっ、腐れ縁やし、最後まで付き合うたるわ!!」
沖に出たところでアワザが船のエンジンをかけた。




