第5章 [A面]『山の頂へ至る』①
心の奥底で静かにその時を待っていた。
この仕事を続けていればいつかは会えると根拠のない自信。人助けにかこつけて虎視眈々と復讐の機会を待っていた。
それだけで生きていたーーー、だがそれも終わる。
山の頂に近づくほどに鼓動が高鳴っていく。
やっと……やっとだ。
一度たりとも忘れたことなどない。悪夢が忘れるなと何度も何度も恨みを思い起こさせる。
『Fallen Luckーーー、今日が君の命日さ!』
ポケットの拳銃に手を伸ばす。
……勿論、悪い人間の自覚はある。この街を元に戻すと綺麗事を言っておきながら、自分の恨みを晴らそうとしているのだから。
どんな罰でも受ける覚悟だ。だから邪魔をしないでくれ。今日だけは神にそう強く願った。
◇◇◇
23時過ぎ。理玖はホテルを出た。
満月が顔を出している。今日の空はいつもより明るい気がした。
無くなったと思っていた耳が、まだ繋がっているのを確認する。首を伝って流れる血。拭う。左手の感覚がないことに気づき、ため息をついた。
エントランス前に止まっているタクシーに声をかける。
「すみません」
タクシー運転手の女性が、窓を開けて顔を出す。
「あんたが、ナジョウトさん?」
「……は、い??」
見ず知らずの運転手がこちらの名前を呼ぶ。驚いた。
続く電話のハンドサイン。
「スフィーナの嬢ちゃんから、あんたを山の麓まで連れてくるよう頼まれたんだよ」
「なるほど」
腑に落ちて頷く。
スフィーナの手際の良さに助けられた。
「急いでんだって? 早く乗りな!」
運転手が後部座席のドアを開け、指差す。
「ありがとうございます!」
理玖は刀で痛めた震える手でなんとか乗り込んだ。
険しく入り組んだ道。タクシーで15分ほど走った。
ステアリーン島中心部、シエル山の麓。
タクシーから降りれば真冬のような風が頬を撫でる。肩を振るわせた。ポツリと頬に雨が降る。見上げれば、黒い雲に覆われていた。
「待っていたわ」
白く長い髪に赤いルビーのような目。純白のキャソックにマントを羽織っている女性が言った。
見覚えのある顔だが、教会の仰々しい正装で別人のよう。
「スフィーナ…………つっ!」
理玖の左腕に痛みが走る。
想像よりも、自分自身が怪我を負っていることに気がついた。
ここで立ち止まれない。あと少し、あと少しだ……! はやる気持ちを抑えた。まだ倒れるわけにはいかない。重くだるい身体を気力だけで動かしていく。
「大丈夫かしら?」
「あぁ、大丈夫さ。それより、エネ・ミーバルはどこに!?」
スフィーナが呆れて頭を抱える。
「……まず聞くこと? あなたね!」
雨脚も強まっていくなかで地鳴り。
「なっ!?」
足場が揺れて、小石が転がってくる。
この振動は過去にも一度経験があるような。
「祠が現れたわ……悠長に話はできないわね。山頂を目指しましょう」
理玖は頷き、スフィーナの後に続いて歩き始める。
ひとつ引っかかることがあった。
祠の存在だ。
20年ほどこの島に住んでいて、シエル山に祠があるという話は一度も聞いたことがなかった。
神書テロに巻き込まれて初めて知った情報だった。
神書探しでも浮上した祠に隠されている説。
ティシリのシエル山には世界の平和を脅かすような兵器か、それに近しい技術が眠っている説。
「祠とは……一体? 山にそんなものがあるなんて聞いたことがない」
「……儀式の時のみに現れるのよ。それ以上は私にも分からないわ」
理玖は頷く。
そして、祠が現れたのはエネにカードが使われたからだと理解した。確かめるようにスフィーナに視線を送る。
「彼は辿り着いたのかい?」
「えぇ」
理玖は歩幅を速めた。
大岩を越えて山の斜面が急になる。ますます足は重く、息が上がり、傷が痛んだ。それでも前に進む。心音が早まっている。念のため、ポケットの拳銃に手を伸ばした。
「は……あ……はぁ……」
息も体温も上がって、肌寒さが心地よく感じられるようになった。
生唾を飲む。
やっと…………山頂が見えた。日の入りの美しい光景に変わっていく。
おかしい。まだ24時にもなっていないはず。それなのにやけに明るく、太陽が顔を出している……息を呑むほど綺麗だ。
「……!」
こんな時にロミアの顔が浮かんだ。
この光景を一緒に見られたら……なんて思ってしまった。
強張っていた顔が緩んでいく。緊張し沈んでいた心も、絡まっていた思考も、自然とほぐれた。一瞬にして、いつもの自分に戻れたのだ。
知らず知らずのうちに、ロミアが大きな心の支えとなっていたことに気がつく。
「……ふーーっ」
ため息をついて再び一歩、足を前に進める。それがとてつもなく重かった。先が見えなくて怖かった。今更どうしてと不思議に思ったがすぐに理解する。復讐心で周りが見えてなくて気づかなかったようだ。
それでも、進むと決めた以上は止まることはできない。
「はぁ…………はぁ……っ?」
雨雲は眼下に、いつの間にか雨も止んでいた。
山頂に着いたと安堵した矢先だった。逆光で見えないがその上になにかがいる。近づいてその正体を知った。
「ゔっ……」
恐ろしいものを見た。
冷え切ったハシュの遺体。傷だらけの腕、胴体と分かれた頭。それらを目の当たりにして、胃の中のものが上がってくる。必死に抑えた。気持ち悪い。
そこへスフィーナが駆け寄る。
「致命傷は心臓の刺し傷、首まで切断するなんて……正気の沙汰ではないわ」
彼女はゆっくりと目を閉じてこう続けた。
「エネは……悪魔とでも取引をしたのかしらね」
「悪魔?」
理玖は困惑を隠せない。
神がいるなら悪魔がいる……そんなはずが!?
スフィーナは首を振った。
「彼はある人物と取引をした。法経狂師から呪いの書物を受け取ったのではないかしら」
スフィーナは『地落としの杭と白滅の槍も恐らく彼から受け取った』と考察。
「初めて聞く名前だ……ホウケキョウジとはどんな人物なのさ?」
「かつて古文書修復士として働いていた男よ。その経験から、呪いの書物を作るようになった。私たちは30年前から彼を厄災の悪魔として拘束すべく捜索していたのよ」
「30年前? 随分と長く探しているな」
「えぇ、まったくね」
スフィーナはため息をつき、苦笑して言葉を続ける。
「今日という日まで尻尾のひとつも掴ませてくれなかったのよ」
「……それはとても不気味じゃないかい」
彼女は頷き、歩みを進める。立ち止まる暇などない。理玖もそれに続いた。
しかし、不気味なことが偶然いくつも重なることなどあり得るのだろうか?
振り返れば、浦辺から神書テロ……そして、神の護衛人。スフィーナに言われてから意識したものの、浦辺の存在が異質に見えてくる。アワザも同様、タイミングが良過ぎる登場に違和感を覚えた。
まるで、2人はこうなることが見えていたような……未来予知ができるわけあるまいし。
例えどんなに疑わしくても、ロミアを守ってくれたこと、カードのダミーをくれたことに変わりない。自分は恩を返すだけだ。
「……」
しかし、まだ引っ掛かりがある。本能があの男を信用するなと警告するのだ。
浦辺のどこかで見たような雰囲気……異質、ニヒル。既視感。それはーーー、闇市で弟を連れて行ってしまったあの男のものに酷似しているなどと、考えを巡らせているうちに辿り着いていた。
祠は池の中に佇んでいる。底が見えるほどに透き通った池。橋を渡って近づいた。
「ここかい」
「えぇ」
祠は理玖の腰より大きく、軽く触れただけで崩れてしまいそうに古い。
壊れた南京錠は落ち、扉は開いている。奥を覗くも暗くてなにも見えない。
周囲を確認してもエネの姿はなく、すでに祠の中にいると思われる。
「手遅れ……か」
「いいえ、間に合うわ。彼の願いが叶うことはないもの」
スフィーナはおかしなことを言う。まるでエネがなにを願うのか知っている口ぶりだ。
エネの発言から予想はついても断言まではできないはず。
「君はどうして……いや、なぜそう思うのさ」
「神に人を生き返らせることはできない。条約があるからよ」
彼女は神人平和平等条約の『神は人間を平等に扱うこと、干渉してはならない』を指している。
そして、エネの願いが人を生き返らせることだと。
「条約か…………そもそも人の願いを叶えること自体が反すると思わないかい?」
「えぇ、私もその件に関して疑問を感じているわ」
願いを叶える対価が見合っているか分からない。神の護衛人がどれほど大変なものなのかも想像できないからと、飲み込みかけていたがスフィーナも同様に疑問に思っているのか。
彼女の言うように神と人との仲介役とするならば、神の護衛人の役目を負う見返りだとしても、やはり願いを叶えるのは過剰な対価だ。
「なぜか…………?」
……考えても神の狙いは分からない。いや、考え方が間違っているから見えてこないのか。
ひとつだけある。考えたくもなくて端から除外していたもの。それはーーー、神の信仰を揺るがしかねない。性善説の否定をして辿り着く結論。
「神は争いを誘発している!?」
理玖は躊躇い口を抑えたが、言葉にして腑に落ちた。
「私もその可能性を感じるわ」
それこそ条約を反故にする意味が分からない。神は争いを望まないから条約を結んだはず。
理玖は祠に視線を向け、探究心の衝動に駆られた。
「確かめなければ……」
しかし、もう候補者から外れた身だ。
スフィーナを見ると、彼女は微笑んで背を向けた。
「ふふふ……私はなにも見なかったわ。とうに神の護衛人選びは失敗に終わったもの」
「ありがとう」
スフィーナが投げてきたネックレスを受け取る。これはセキュティノ教の大切なものではないかと彼女を見た。
「無事に帰ってきなさいね?」
彼女は振り返ることなく、暖かな声で送ってくれた。
絶対に生きてネックレスを返しなさいという意味だろう。
「あぁ、必ず」
理玖はネックレスを首に下げ、祠の中へ一歩足を踏み入れるーーー、真っ暗でなにも見えない。
無音で無風かに思われたが、視界にひらりと白いもの。見上げると、白いワンピースの少女が太陽のような笑みを浮かべた。
「あっ! 理玖だ!」
ユン・ミーバル、あの頃の小さな姿のまま。テディベアを抱いていた。
自らの目を疑った。エネの記憶の具現化か? それともこれが願い?
「幻……かい?」
「そうなの、私はもう死んじゃった」
「……」
今にも泣き出しそうなユンが腕を掴んで引いてきた。
「お願い! おにいちゃんを助けて!!」
「っ!?」
力を込めて握っているのが分かる。
震える声……幻だとしても、彼女の思いは本物に違いない。
「理玖にしか頼めないんだ……おにいちゃんはもう私のことが見えない、から」
「なぜさ?」
「…………ずっと神様を恨んでる、殺したがってる。そればっかりで、私たちのことなんて忘れちゃったの」
ユンの涙を拭ってやる。泣き腫らして赤い。
大切な人に忘れられてしまうのは悲しい。誰だってそうだろう。この気持ちに応えないわけにはいかない。
固く閉じていた口を開く。
「………………分かった、君の依頼を必ず果たそう」
「ありがとう!!」
彼女は目を細めた。
その罪悪感に理玖は胸を押さえた。復讐心はそう易々と消えてはくれない。
「代わりと言ってはなんだが、エネの元に案内してくれないかい?」
「うん! こっち!!」
彼女は晴れやかな笑顔に戻った。
手を引かれながら、足場の悪い道を歩いていく。
ーーー光が見えた。そこに誰かがいる。緑髪の男エネ・ミーバルがいた。
薄まりかけていた復讐心が沸騰するかのように『ヤツを殺せ』と駆り立てる。
「……え?」
僅かにノイズが走った。目を擦っても、それは消えなかった。
「お前、だれ????」
酷くやつれた目がこちらを睨む。
「……南常門 理玖さ」
「なーんだ! だれでもないじゃん!」
エネが吹き出して笑った。
理玖は彼の隣に居るユンに視線を向ける。彼女はエネの肩を叩いているというのに気づかれない。
「かもな。君にとってはそうでもユンは違う。友達さ」
ユンが嬉しそうにくるりとフリルを靡かせて回る。
「はあ??? なんでユンを知ってんの? 意味わかんないなぁ!!!」
「彼女はここにいるのに、君には見えないんだな?」
苛立つエネに油を注いでみる。
「なにそれ、ムカつく!!!!」
頭を掻きむしったエネがピタリと動きを止めた。
「ふっは! ここに来る前に見たよね? バラバラになっちゃうからぁ、ボクのご機嫌を損ねるなよ???」
「ハシュを君が?」
……答えは分かりきっているが、訊ねてしまった。バラバラの遺体が鮮明に浮かぶ。
エネはキョトンとする。
「ハシュってだれ? ……あ、もしかしてバラバラで死んだアレのこと?」
「は?」
エネの指さす方に頭が転がっていた。
理玖は言葉を失った……ここにハシュの遺体があるはずがない。目に見えている光景は全てエネに見せられているのか?
「へーー、アレの名前ってハシュなんだぁ? そんなのどーでもいいや」
エネは吐き捨てた。
彼は悪びれることはない。
「……どうでもいい?」
「だって、死んだじゃん。ね? 覚える価値ないでしょ?」
彼は当たり前のことを聞くなと不快さを露わにした。
先生のことも同様に考えているのだろうか?
胸の奥からドス黒いものが込み上げてくる。歯を食いしばり、一旦気持ちを落ち着かせた。
「…… 君は、南常門ジンを知っているだろう?」
彼が殺した男の名を訊ねる。
どうしてジン先生は殺されなければならなかったのか知る必要があるからだ。
「…………だれ?」
ふと思い出したのか、エネは嘲笑う。
「あーー教会に行けってぇ、うるさい男ね! そんな名前だった。心配してるとかー? うざいから殺したんだあ!!!」
2年前の光景、ジン先生の亡骸がぼとりと鈍い音を立てて現れた。幻なのは分かっている。それでも煮えたぎる抑えの効かない怒り。
「……す!」
理玖は間髪を容れず、エネの胸ぐらを掴んだ。
「ふはっ! 聞こえなーい! もっと大きい声で言え!!! よおおお!!!」
「……殺すっ!!」
ジャケットの拳銃に手を伸ばした。
「あはっ! お前も口先だけじゃないよねぇ???」
「……っ!!!」
理玖は撃鉄を起こし、銃を構える。怒りに震える手でエネの心臓に銃口を合わせた。復讐心が『早く退路を断て!』と囁く。
彼は逃げないばかりか、銃口がズレないように掴んできた。
今、引き金を引けば、確実に命が奪えるーーー、やっと復讐が果たされる。
「ほーらぁ! 早くやってみなよ!!! ボクはこの通り逃げも隠れもしない!!!」
急かされるままに早まる心臓。焦り。ゆっくりと引き金に指をかけた……が重くかたい。不思議なことに、どんなに力を入れても引けないのだ。
セーフティーを掴む手。その主を目で追った。隆々の上腕二頭筋をタンクトップは見せびらかしてくる。
「っ……!?」
言葉を失った。開いた口が塞がらない。もういなくなってしまった存在。あんなにも大きかったはずの背と自分自身が対等に並んでいることにも驚きを隠せないでいた。
『思い出せ! お前は人を助ける側の人間になりたいんだろ!!!』
タンクトップことジン先生はこちらに気づくと、太陽のような笑みを浮かべる。
理玖の肩を軽く叩いて、
『ボウズ、あの街を任せたぜ!!』
そう言葉を残し、消えてしまった。
お知らせ
▷『5章②〜続き』も本日中に更新!!
▷ちなみに4章B面②は後日。
このエピソードはどこまで描写するか悩み中……B②に悩み過ぎて更新止まっててすみません。いったんスキップします。




