その12・朽ちぬ聖女の心臓
震える指先でソルティナの顔を啄木鳥のように指し示す賢者に、さっきまでの余裕は欠片も残さず消え失せていた。
権威と嫌味でコーティングされていた紳士面は青ざめ、死人の一歩手前みたいな顔つきになっている。ソルティナの怒りと恨みを大いに買っている以上、じきにそこから一歩進むことになるだろうが因果応報というやつだ。
「いったいお前は何者なのだ……? その銀髪、ふてぶてしい物言い、もしやあの女の忘れ形見だとでもいうのか?」
「本人よ」
何を言っているんだお前は、と言いたくても驚きのあまり言えないのか、お偉い賢者さまが陸に打ち上げられた魚のように口をパクパクさせていた。
なまじ整った容姿をしているだけに、間の抜けた顔をされると一層笑えてしまう。
「いや本当に本人なんだよ。黎明の聖女の生まれ変わりなんだって。転生転生」
「ウォウウォウ」
そうは言っても受け入れるはずもなく、逆にコケにされたとでも思ったのか、賢者グラッセオは青かった顔を今度は真っ赤にして怒りに打ち震えていた。
「どいつもこいつも下らぬたわ言を……! もういい、何をぬかしたところで、どの道、こいつの前ではあの聖女の再来だろうと、才能にのぼせ上った未熟者だろうと末路は同じ事だ! アリオーシュよ、復讐の獅子よ、この痴れ者どもにしかるべき痛みと罰を与えてやるのだ!!」
その言葉を引き金に、さっきまで置物のようだった怪物の瞳に爛々と輝く赤い光が宿ると、おもむろに立ち上がり始めた。
両手に炎をまとわせた一対の巨大な斧が現出し、戦闘態勢へと完全に移行する。
「あらら、これは久々に骨が折れそうな相手ね……」
「ファング、離れてろ。お前にはまだこの相手は早い」
「ウォン!」
いや自分も強くなったんで参戦するっスよ、とか無謀な真似をするかと思ったが、ファングはすぐさま背後に飛びのいて適度な距離を取った。手のかからない奴で助かる。
「アリオーシュ! その小僧と狼は殺しても構わんが、娘はできるだけ殺すな! 手足をへし折るか切り落とす程度にしておけ!」
「グァゴオオオオオオオォォォォ!!!」
──広間を震わせる獅子の雄叫びが、戦いの幕開けとなった。
「小手調べといこうか」
俺はさっさと間合いを詰め、腕の一本でももらうことにしたのだが、鈍重そうな見た目と反して、俊敏にこちらの動きに対応している……!
「ゴアアアアア!」
「ちっ!」
振り上げた斧から放たれた灼熱の斬撃と、俺の五指から生じた不可視の斬撃が激突し、そのまま互いにリードを譲らぬまま相殺されていく。
「速さも威力も一級品だな。上でうろついてた雑魚どもとは雲泥の差だ。大昔の悪魔ってのはどいつもこんなに強かったのかね」
「気を抜いちゃダメよ、簡単に先手を取れるような生易しい相手じゃないわ!」
などと喝を入れてくるソルティナのそばへ俺は虹色の吐息を吐く。
賢者がソルティナへと狙いを定めて発射した、膨大な闇の魔力が圧縮された柱みたいな大きさの暗黒槍が、俺の吐息にぶつかり一瞬で崩れ去った。
「──お前も油断大敵だな」
「むぅ」
ソルティナが口内に食い物を溜め込むリスのように頬を膨らませた。
「こんな時にむくれてる場合かよ。お前らしいといえばお前らしいが……で、どう攻める? 聞くまでもない気もするけどさ」
ソルティナはほんの一瞬だけ迷った顔をしたが、にこやかな笑顔でなんとなく予想できていた返事を返してきた。
「搦め手を使うタイプじゃなさそうだし、力押し対決といこうじゃないの! シオン、あなたはそこの腰抜けを足止めしてなさい!」
「ふはっ」
よっぽど鬱憤が溜まっていたのか隙あらば悪口をねじ込んでくるソルティナに、俺はたまらず噴き出してしまった。
「まだ汚らしい減らず口を叩くか! これでも食らって灰になるがいい!」
怪物と真っ向勝負を挑もうとする雄々しき聖女に、賢者グラッセオが直径三メートルはありそうな炎の球を放つが、俺は二人の中間に割って入ると片手で受け止め、
「あっちは水入らずで親交を深めたいらしいから、邪魔はしないでやってくれ」
三本の炎の尾を引きながら飛んできた大玉をぎゅっと握って手中に収まる大きさまで圧縮し、そのまま潰した。
「あちちち」
手をひらひらと振って火の粉を払う。はたき落とせばよかったがついカッコつけた。
「つ、潰しただと?」
「見ての通りな」
「帝国最高の賢者たる私の放った火の上位魔法、死滅の火をそんな軽々と握りつぶしたというのか……!? つい先ほど口から吐いていたあの恐るべき息といい、あの小娘がソルフィアスの生まれ変わりなら、貴様は魔神の生まれ変わりとでもいう気か?」
そんなに気軽に転生体がいてたまるか。あの女が抜きん出ておかしいんだよ。力で解決するしか他にやり方知らない聖女なんてあいつしか絶対いねーよ。
もしかして転生した理由ってのも、あの世で持て余されたのかもしれないな。
「的外れな推測はさておいて、賢者様にそこまで褒めていただけると俺としてもまっこと恐縮っすね。ま、俺の素性や正体はともかく……」
俺は賢者の後方にある棺に目を向けた。
「その不吉そうな棺の中身が、お目当ての真理とやらなんですか?」
「むっ?」
不意の質問に意表を突かれたのか、急に賢者が静かになった。
「棺か……まあ棺といえばそうなるな。とはいえ中で眠るべき者はいないが。いや、そもそも実在すらしていなかったのだろうな」
なんかさっきまでイラついてたのが別人のような穏やかな語り口だ。
ソルティナが相手じゃないと平静になるんだな、このおっさん。絶対過去にソルティナとなにか一悶着あったなこれは。
きっと、俺が只者じゃないとわかってうかつに攻めるのをやめたのが、急に落ち着いた最大の理由なんだろうが、ここは乗っかるとしよう。
「知りたければ教えてやろう。この中に収められているものは──『聖女の心臓』だ」
そりゃまた御利益がありそうなお宝だな。
「まあ一応聞くけど、例えであって本物ではないんだろ? その呼び名にふさわしい神聖力が備わっている唯一無二の代物……で、合ってると思うが」
「唯一かどうかは断定できんがね、そう呼ばれるだけの価値はある」
賢者グラッセオは棺のそばへと歩み寄り、その蓋をコツコツと叩いた。
不意打ちしようと思えばできないこともなかったが、あえてやらなかった。傷を負わせるよりも、話の続きを聞くほうが重要な気がしたのだ。
こういう奴は自分の知識を誰かに語りたくて仕方ないに違いないしな。聞けるだけ聞いてから処分を決めればいい。
「正しくは、聖女ナーディマルネーナの朽ちぬ心臓、という名称だ。かつて前帝国の創始者たちに滅ぼされ、その肥沃な領土が帝国の礎となったアヴァニース王国。その王国の王女にして聖女が、二百年前に己の命をもって悪魔の軍勢を地獄の底に叩き落としたという伝説。力を使いきって倒れた聖女は光の粒となって消滅し、その場には血のように赤い深紅の宝石だけが残っていたという」
帝国では大っぴらに語ることのできないおとぎ話だがね、と付け加えられた。
なんか似たような話を知ってるぞ俺。
悪魔の軍勢を地獄の底に~~って、それって皆殺しにしたことの隠喩じゃないのか。
「だが、しかしだ」
賢者は両腕を大きく左右に広げ、芝居がかった演技で説明を続ける。
「前帝国の書庫の奥に残されていた文書や、他国の歴史書などを紐解いても、かの王国にそのような名前の王女がいた記述はなく、しかも女性名としても類似がない特異なものときている。記録にあるのは、聖なる力を用いて無数の悪魔を退散させた、という簡素なものだ」
「つまり、聖女のようにとてつもない神聖力を宿した、神器とでもいうべき宝石を使って悪魔の群れを追い払ったが、その代わり使用者が命を落としたと」
教え子の回答に満足する教師のように、うんうん、と賢者が頷いた。離れた場所では悪魔と聖女の激闘が繰り広げられているのだが、気にも留めていない。
「それが納得のいく結論だろうな。ナーディマルネーナというのも災いを退ける大樹を意味する言葉として使われていたと、王国の遺跡に残されていた古文書に記されていた。それがいつしか聖女の名前として曲解されたのだろう」
「ならこのダンジョンは、その王国が役目を終えた聖女の心臓を封印した場所だったということか」
賢者は俺の問いに答えず、ただ笑みを見せている。言うまでもあるまいというように。
「細かいところで疑問はあるけどさ、仮にその推測が全て当たっていたとして、ならその棺から放たれている瘴気はなんだ? 神聖さとは対極の力じゃないのか?」
そう、それがさっきから気になっていた。
「だから、聖なる力の持ち主も必要だったのだよ。まだ封印を解く前からこれだけ凶悪な瘴気を放っている棺を開ければ、アリオーシュがいてもただでは済まない。今でも私が厳重な封印を施していてこれだ。対抗できるだけの魔力と聖なる力が揃っていなければ、開けたところで私であろうと無駄死にするだけなのだよ。聖女のごとき力を得るために、聖女に勝るとも劣らぬ力が二種も必要とは、実に無理難題だと思わないかね」
「それが最後の関門であり、聖女の心臓を守る防壁ってことか……っと、あぶなっ」
交戦状態でありながら長話していたこちらへと、獅子の斧から燃える斬撃が飛来してきた。
慌てて、というほどではないが、サッと後ろにステップして炎の刃を避ける。
「説明はここまでだ。話の続きはアリオーシュをどうにかしてからにしたまえ。できるものならな」
「ずいぶんと入れ込んで話をしていたわね。ちょっとはグラッセオの隙をついて私にサポートしてくれるかなって期待してたんだけどなぁ」
「つい盛り上がってね。それより、お前がここまで手こずるとはな……そんなに打たれ強いのかコイツは」
俺は少しすねたソルティナのそばに走り寄り、赤く燃える三つの瞳でこちらを睨む獅子の悪魔と向かい合った。
悪魔の体にはあちこちに聖女の拳の跡がくっきり残っているのだが、その闘志や魔力は戦闘開始から少しも衰えておらず、動きにガタがきている様子もない。
ソルティナのほうは変わらず無傷で、顔や衣服に汚れがついたかなという程度だ。
「こいつ、とにかくしぶといというか……死んでるだけあって痛みも恐怖も感じないのが面倒ね。私の得意とする戦法があまり通じないわ」
前世でどんな戦法を用いてたんだよお前……それだから蛮族なんて言われるんだぞ。
「聖なる力をたっぷり込めて殴ってるのに、そんなに効いてる感じがしないし……」
「マジか。悪魔でゾンビなら倍増しで効くところだろ」
「どちらかというと悪魔の死体が動いてるだけで、ゴーレムに近いんじゃないのかな。それでも悪魔は悪魔だから、聖女である私の拳が多少は効かなきゃおかしいんだけど、表面上に出ないだけで芯にひびいてる……とか?」
俺はソルティナの耳元に顔を寄せて、賢者に聞こえないよう小声で話しかけた。
「これは想像だが、あの楔がどうにも怪しい。多分あれが、あのゾンビデーモンの制御の要なんじゃないか」
「あ、やっぱりそう思う?」
「思うってどういうことだよ」
「いや、そんな感じはしてたけど、殴り倒したほうが早いと思ってほっといたのよね。でも、殴っては避け殴っては避けの繰り返しでなんかめんどくさくなってきたし、大技使ってここが崩落したら困るしなーって…………来たわよ!」
ドゴオッ!!
いつまでお前らダラダラくっちゃべってんだとばかりに、獅子の悪魔が猛スピードでこちらに駆け出し、斧を叩き込んでくるがそれはわかりやす過ぎる。
弾けるように俺達は左右に散り、反撃に出る。
直後、炎をまとった斧がそのままの勢いで石畳をぶち破り、轟音を響かせて床にめり込んだ。
「虚像潰し」
大広間の天井に浮かぶ魔法の明かり、それに照らされた怪物の大きな影を、俺は利き足に重圧の力を込めて強く踏みつけた。
「グアガッ! グオッ、グウウウウウッ!」
アリオーシュに強力な重力波が襲い掛かり、その巨体を中心に迷宮の床がへこんで、ちょっとしたクレーターができた。並の魔物なら耐えられずに一瞬で地面の模様になる魔法だが、やはり足止めにしかならないか。
だが、それで十分だ。
「後は私の手際次第ね!」
もがくこともできない魔物の頭上へと、大きく宙に飛び上がったソルティナが歯を剥いて笑いながら舞い降りる。
疾風のような直進から瞬時に別方向へと動く、鋭角的な移動を連続で行いながら、一本だけ立てた両手人差し指に聖なる力を集中させ、魔物の身体に突き立っている何本もの楔へ、捩じりながら激突させていく。
この場に普通の人間が居合わせていたら、アリオーシュの巨体に雷がまとわりついたようにしか見えなかっただろう。
そして、ソルティナが一仕事終えた顔でこちらに戻り、獅子の悪魔へと向き直った時、そろそろ俺の足止めにも限界が来た。
「ゴアアアアアッッ!」
ついに重圧を力づくで跳ね除け、アリオーシュがこちらに走り出そうとした、その時、
パキイイイィィンッ!!
全ての楔が、拍子抜けするくらい軽い音を立てて砕け散った。




