3.
「また貴女か!」
ベガは、アルタイルが信頼できる数少ない人物の一人だった。
アルタイルの乳兄弟。
不遇の時代も、簒奪者となってからも、変わらずアルタイルに仕え続けてくれる、掛け替えのない腹心。
だから。
そのベガがシリウスを殊更に嫌っているのは、アルタイルにとって頭の痛い問題だった。
「さっさと出て行ってください。婦女子が男性と二人きりで部屋にこもるのはふしだらだと、何度言えば分かるのです!」
眉を吊り上げて詰め寄るベガに、救いなのは、シリウスが取り合わない事だった。
「私は剣だよ。性別もなにもない」
「いいえ、貴女は女性です。誰が何と言おうと」
「主が言っても? 忠義が足りないな」
「貴女という人は!!」
「ベガ」
激昂するベガを窘めるのが、アルタイルのルーティンになりつつあった。
「今日の仕事はもう済んだのか?」
「っ、いえ⋯⋯」
「ならば、無駄話をしている場合ではないだろう」
「⋯⋯申し訳ございません」
簡単に用件を済ませ、部屋を去る寸前。
扉の端から、ベガがシリウスを睨み付けたのが見えた。
アルタイルが様子を窺うと、シリウスは珍しく、閉められた扉を眺めている。
「どうした?」
「⋯⋯あいつ、強いのかな?」
あまりにも不穏な疑問に、アルタイルは顔を顰めた。
ベガは根っからの文官だ。
環境が環境であったため鍛えていない訳ではないが、はっきり言って才能がない。
「お前は、どう見る?」
「片手で捻り潰せそう」
即答され、アルタイルは安堵の溜息をつく。
「それで正解だ」
「ふぅん?」
釈然としない様子で首を捻るシリウスに、嫌な予感がまたぶり返す。
「何を気にしている?」
「うん。あんなに弱そうなのに、私に何度も突っかってくるから。もしかして強いのかなと思って」
あっけらかんと答えるシリウスの楽しげな横顔に、アルタイルは頭を抱えた。
*
「陛下」
待ち構えていたベガに呼び止められ、アルタイルは目を眇めた。
「お話が」
「丁度いい。私もお前に話がある」
「はっ! なんなりと」
「お前の話からでいい。どうせ、シリウスの事だろう?」
アルタイルの言葉に、ベガは微かに眦を震わせた。
「そうです⋯⋯お分かりなのですね? いつまで、あのような者をお傍に置いておられるのですか!」
何度となく繰り返された諫言に、アルタイルは嘆息し、ゆっくりと廊下を歩き始めた。
ベガは半歩後ろ、目線を交わせる位置取りで従う。
「もう、陛下の玉座を脅かす者はおりません。この国の兵は全て陛下のもの。もはや、あのような者に頼る道理はありません」
「その物言い、私の戦果の全てが彼女に支えられていると知ってのものか?」
「報奨を払えば十分でしょう。元々そういう生業の者なのですから」
それよりも!と、ベガは息巻く。
「陛下は今、由緒ある王家から妃を迎え、国際的にも地位を盤石なものにすべき時なのです! 得体の知れぬ、それも女性を傍らに置いて、それが叶うとお思いですか!?」
「弑逆は成った。大陸統一は、まだ端緒についたばかりだ」
「その必要がありますか? 陛下は一国の王となられたのです。治世を安定させる事こそが肝要。戦争ごっこは止めて、政治に目をお向けください」
⋯⋯相手がベガでなければ、罰していた。
「大陸統一は私の悲願だ。侮辱する事は許さぬ」
ベガは青褪め、口を噤んだ。
距離が、一歩開く。
しばらく、廊下を歩く二人の足音だけが、空々しく響いていた。
「陛下⋯⋯陛下は、まだ⋯⋯あの時の事を⋯⋯」
掠れたベガの声を、アルタイルは聞こえないふりをした。
だが、蘇る記憶まで押し止められるものではない。
*
『死にたく、ない⋯⋯』
『殿下!』
必死に体を揺さぶるベガの掌の下で、幼いアルタイルは、事切れかけていた。
『こんな風に、死にたくない⋯⋯!!』
王族なら誰でもいいと嘯く刺客だった。
刺されたのが末席の王子だと知って、兵はアルタイルを放置し、刺客の尋問にかかりきりだった。
助けを呼びに走った召使いは、アルタイルの名を呼ばおうとして詰まり、『末の王子が大変です!』と叫びながら行ってしまった。
冷たい床の上で、何もできない、幼いベガだけが横にいた。
『死に、たく、ない⋯⋯こんな、誰にも、名前も、知られないまま⋯⋯!』
『殿下!』
『ベガ⋯⋯僕は、王になる』
ベガが息を呑んだのが、わかった。
どんな顔をしていたのかは、見えなかった。
『ぜんぶ⋯⋯ぜんぶだ。ぜんぶのくにを、ぼくのものにする⋯⋯このたいりくに、ぼくのなを、きざみつけてやる⋯⋯!!!』
*
⋯⋯自分は野心家だと、アルタイルは信じたかった。
あんな、幼い日の怨嗟を引きずっているなどと、思いたくはなかった。
だからアルタイルは、何も答えない。
ベガも察して、話を変えた。
「陛下は⋯⋯あの者を、妃に迎えるおつもりなのですか?」
「まさか」
アルタイルは鼻で笑う。
「婚姻は政治だ。冗談の通じない、駆け引きもできない殺人鬼を、王妃になど出来るか。死人が出る」
意外そうに瞬くベガに、自分はどう思われていたのだろうと、アルタイルは苦笑した。
「では⋯⋯寵姫に?」
躊躇いがちな問いに、アルタイルは遠くを見遣った。
それを望まないと言ったら、嘘になる。
愛する女性に、愛し返され、そして受け入れてもらえたなら――。
だが、相手がシリウスである以上、望めない事だ。
「彼女は、私の剣。私の右腕だ」
彼女の主観で見れば、アルタイルは彼女の全てを捧げた唯一なのだ。
それで満足しなければならない。
人が聞けば、笑うだろう。
親兄弟を弑逆し、王位を簒奪し、他国にまで征服の手を伸ばす、強欲無慈悲な血塗れの暴虐王が。
何年も傍らにいる想い人には、自分から手を触れる事もできないなどと。
「私と彼女は、この覇道を共に征く。それだけだ」
「⋯⋯本当に?」
「案ずるな。私は、女に溺れて道を誤るような、下らん暗君になるつもりはない」
だから、と、アルタイルは続ける。
「ベガ。お前はもう、シリウスに何も言うな」
「何故」
一挙に硬くなった、怒りすら孕む声に、アルタイルは疲れた目を向ける。
「シリウスが、お前に興味を示している」
「え?」
「命知らずに敵意を向けるから、余程腕に覚えがあるのかと。一度手合わせしてみたいという顔をしていた」
その時。
ベガは耳を赤くし、口元をむずつかせ、顔を伏せた。
⋯⋯何故、それを不審に思わなかったのだろう。
それがベガが“嬉しさ”を隠す時の癖だと、アルタイルは知っていた筈なのに。
「試しに斬り掛かられただけでも命に関わるぞ。これ以上、煽ってくれるな」
「――はい。我が君」




