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07_難攻不落の文官と、(妄想)新婚生活


 アンナの妄想力は、ついに「もしも」の段階を通り越し、「いつ、どこで、どのタイミングで婚姻届にサインさせるか」という、ほぼ実戦の領域へと突入していた。


 ある日の夕暮れ。

 アンナは、ロッシから頼まれていた古い史料の虫干しを終え、彼が一人で残る執務室へと運んでいた。

「ロッシ様、本日の分の虫干し、すべて完了いたしました」

「ああ、ありがとうアンナさん。本当に助かったよ」


 ロッシはペンを置き、大きく背伸びをした。その時、彼のシャツの襟ぐりから覗いた首が、夕日の残光に照らされて、ひどく綺麗に見えた。


(……あ、あの首。もし私が、ネクタイを直してあげるフリをして、ぎゅっと抱きついちゃったらどうなるかしら……!?)


 夕闇が迫る静かな執務室で二人きり。シチュエーションは完璧。

 アンナの脳内では、本日も最高出力の妄想の歯車がギシギシと回り始めた。


【妄想その⑬:『いってらっしゃい』の甘いおねだり】

 私たちはすでに結婚していて、ここは二人の愛の巣なの。

 朝、出勤しようとするロッシ様のネクタイを、私が玄関で直してあげるのよ。

 『レオナルド様、ネクタイが少し曲がっていますよ』(キャー!結婚したら当然名前呼びよね!)

 『おや、すまないね、マイ・ワイフ。君がいないと、私は身だしなみも整えられないようだ』

 困ったように笑う彼に、私が甘えるように抱きつくと、彼は出勤直前だというのに、私を玄関の壁に優しく押し付けるの。

 『……そんな顔をされたら、職場に行けなくなってしまうじゃないか。もう一回、“行ってきます” のキスをくれないと、今日一日仕事ができないな』

 なんて意地悪く微笑んで、私の唇を何度も、何度も……!


「ふふふ、行ってらっしゃいませ、あなた……」

「……アンナさん。壁に向かって『行ってらっしゃい』と言いながら、頭突きをするのはやめてくれないか。少し怖いぞ」


「はっ!!! すみません、ちょっと異世界の風を感じていました!!!」


 現実のロッシの冷静なつっこみに、アンナは飛び退いた。

 危ない。危うくリアルで彼のネクタイを引きちぎって、玄関の壁(実際は執務室のドア)に激突するところだったわ。



 ロッシは机の引き出しから、小さな包みを取り出した。

「そうだ、アンナさん。これ、いつも手伝ってくれているお礼に。街の市場で見かけてね。君の髪の色によく似合うと思って」


 手渡されたのは、アンナの髪色より少し濃い、綺麗な琥珀色のリボンだった。


「え……っ!? これ、私に……ですか?」

「ああ。私のようなおじさんが若い()に贈るものとしては、少し気恥ずかしいのだけれどね。いつもハーブティーやクッキーをもらってばかりだから、その、お返しだよ」


 ロッシは少し頬を染め、照れくさそうに頭を掻いた。


(おじさんが、若い娘に……って、それって完全に、私のことを『一人の女の子』として意識して選んでくれたってことじゃないの――!?)


 身分違いだから、歳が離れているから、一度失敗しているから。

 そんな言い訳の裏で、彼が確実にアンナのために時間を使って、品物を選んでくれた。その事実だけで、アンナの胸はちぎれそうなくらいうれしい気持ちでいっぱいになる。


「ありがとうございます……! 私、一生、大事にします!」

「一生だなんて、大袈裟だな。ただのリボンだよ」


 ロッシは優しく笑った。しかし、その瞳には、以前のような「誰とも関わらない」という冷たい壁は、どこにも見当たらなかった。



 リボンを胸に抱きしめ、執務室を後にしたアンナ。

 彼女の足取りは、もはやスキップを通り越して、ダンスを踊っているかのようだった。


「お返しをくれるなんて……これはもう、外堀は埋まったわ。あとは本丸を落とすだけね!」


 廊下の曲がり角で、アンナはもらったばかりのリボンを髪に結び直しながら、本日第二弾の、もはや誰も止められない妄想の世界へと突入する。


【妄想その⑭:琥珀色のリボンが繋ぐ、永遠の誓い】

 数年後、ついに私の押しに負けて、結婚を受け入れてくれたロッシ様。

 挙式の日、彼は私の髪に結ばれたこの琥珀色のリボンを、優しい手つきで解くの。

 『アンナ、あの時このリボンを贈った日から、私の心は君のものだったんだ。過去の傷も、歳の差も、君のひたむきな愛がすべて溶かしてくれた。……私の妻になってくれて、本当にありがとう』

 タキシード姿のロッシ様が、教会の鐘が鳴り響く中で、私の指に誓いの指輪を嵌めてくれるの。そして私たちは王宮全職員の祝福を受けながら、永遠の愛を誓うのよ――!!


「ひゃあぁぁ、完璧! 完璧すぎるわ今回のシナリオ!」


「……アンナ。お前、廊下の隅でリボンを振り回しながら、何を一人でブツブツ言っているんだ」


 背後から聞こえた、聞き覚えのある地を這うような声。

 振り返ると、そこには腕を組んでジト目を向けている、近衛兵の父親(現時点での最大の障壁)が立っていた。


「あ、お父さん! ほら見て、これロッシ様がくれたの! 私たち、もうすぐ結婚するから、お父さんも心の準備をしておいてね!」

「はあ!? ロッシの奴、ついに手を出したのか!? 職務怠慢で叩き斬ってくれるわ!」

「キャーッ! 旦那様をいじめないでー!」


 激怒する父親をすり抜け、アンナは笑いながら廊下を駆け抜けた。


 現実のロッシが降伏してアンナの旦那様になるまで、あと何回お茶を淹れればいいかは分からない。

 けれど、アンナの頭の中のウエディングベルは、今日も大音量で鳴り響き続けているのだった。


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