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05_難攻不落の文官と、病み上がりの(妄想)限界突破


 アンナの献身的な看病(と、毎日の濃厚な祈り)が通じたのか、ロッシの風邪は数日で完治した。


「失礼いたします、ロッシ様! 病み上がりのお体に障らないよう、消化に良い特製ハーブクッキーを焼いてまいりましたので、どうぞ!」

 執務室のドアを勢いよく開けたアンナを迎えたのは、すっかり元通りの、仕立てのよい衣服をきっちりと纏ったロッシの姿だった。


「おお、アンナさん。先日は本当にありがとう。君のおかげで命拾いしたよ」

 眼鏡の奥の瞳を優しく細めて、彼はいつも通りの穏やかな微笑みを浮かべた。


 だが、アンナの視線は、彼のペンを握るその大きな手に釘付けになる。

 看病の夜、自分が両手でぎゅっと握りしめた、あの少しゴツゴツとした手の甲を。


(……あ、あの日、私の言葉はどこまで聞こえていたのかしら……!?)


 途端にアンナの胸はバクバクと高鳴り、お約束のように本日一発目の、熱気あふれる妄想の扉がカパッと開いた。


【妄想その⑨:記憶は確かに残っていた、大人の尋問】

 クッキーを差し出した私の手首を、ロッシ様が突然、力強く掴んで引き寄せるの。

 『……アンナさん。君はあの夜、私に “ずっと隣に居座り続ける” と言ってくれたね?』

 熱は下がったはずなのに、彼の瞳には看病の夜以上の熱い光が宿っている。

 『あ、あの、あれは看病の勢いで……!』

 慌てる私をデスクに追い詰め、彼は眼鏡を外して低く囁くのよ。

 『嘘をつくな。私はもう、君なしでは生きられない身体にされてしまった。私の呪いを解いた責任、一生かかって取ってもらうよ』

 そう言って、病み上がりとは思えない力強い腕で私を抱きすくめ、深い、深い口づけを――!!


「ふふふふふ、一生かかって……」

「アンナさん? またクッキーの皿を持ったまま時が止まっているよ。大丈夫かい? 私の風邪が移ってしまったのでは……」


「あ、いいえ!! 私は父譲りで頑丈ですから、一ミリも問題ありません!!」


 現実のロッシの心配そうな声に、アンナは音速で妄想から帰還した。

 ロッシは「そうか、それなら良かった」と胸をなでおろすと、アンナの持ってきたクッキーを一枚口に運び、「うん、優しい甘さだ」と嬉しそうに呟いた。


 その様子を見るに、どうやらあの夜の記憶は、一切残っていないらしい。


(うう、やっぱり覚えてないかぁ。

 ……でも、いいの! 彼の心の傷を知っちゃった今、私の愛は前よりパワーアップしてるもの!)



「失礼する。ロッシ、頼まれていた書類を持ってきたぞ」


 その時、地を這うような低い声とともに、執務室のドアがバンッと開いた。

 現れたのは、ガッチリとした体躯に威厳あふれる口髭を蓄えた、近衛兵の制服を着た男――アンナの父親であった。


「お、お父さん!?」

「アンナ? お前、またロッシの部屋にいるのか。……ロッシ、お前、うちの娘に変な虫がつかないように見張っててくれと頼んだはずだが、まさかお前自身が虫になってるわけじゃないだろうな?」


 父親の鋭い眼光が、ロッシとアンナを交互に射抜く。

 さすがのロッシも、これには苦笑いをして両手を挙げた。


「滅相もない。アンナさんは私にとっては、親友の大事な娘だ。風邪の看病をしてくれたお礼を言っていただけだよ。私のような男やもめが、そんな大それたことを考えるわけがないだろう」


 ロッシは冗談めかして、はっきりとそう言った。

 それは父親を安心させるための言葉であり、同時に、自分自身に「一線を越えるな」と言い聞かせているようでもあった。


 父親は「ふん、ならいいがな」と納得して書類を置いたが、アンナの胸はちくっと痛んだ。


(親友の娘……。やっぱり、そこから進めないのかな……)



 父親が去った後、少し気まずい沈黙が流れた。

 アンナはトレイを抱きしめ、「それでは、私も失礼しますね」と、少し元気のなくなった声で頭を下げた。


 その時だった。


「……アンナさん」


 部屋を出ようとしたアンナの背中に、ロッシの声が届いた。

 振り返ると、彼は窓際の光の中で、少しはにかんだような、見たこともない表情で言った。


「看病の夜、実はね……夢現(ゆめうつつ)で…… 誰かがずっと私の手を握って、温かい言葉をかけてくれていた気がするんだ」

「え……」


「私は臆病で、過去に囚われたままだ。だけど……あの温もりのおかげで、久しぶりに、一人で起きる朝が寂しくないと思えたよ。ありがとう」


 それは、彼が初めてアンナに見せた、本当の心の歩み寄りだった。


「――っ!」


 アンナの顔が、一瞬で沸騰したように真っ赤になる。

 廊下に飛び出したアンナは、ドアに背中を預けたまま、へなへなと床に座り込みそうになった。


(ま、眩しい……! 今のロッシ様、最高に格好よかった……! ああ、もうダメ、脳内が爆発しちゃう……!)


 心臓の激しい鼓動に突き動かされるように、本日第二弾、最大風速の妄想が、アンナの頭の中でハイパー展開され始める。


【妄想その⑩:ついに包囲網突破! 王宮震撼の逆プロポーズ】

 私の愛に完全にノックアウトされたロッシ様が、次の朝礼で、国王陛下とお父さんの前で私をお姫様だっこするの!

 『陛下! 私はこのアンナを妻に迎えます。 異論は認めません!』

 お父さんが『おのれロッシィィ!』って剣を抜いて襲いかかってくるけど、ロッシ様は私を片手で抱いたまま、文鎮でその剣を華麗に受け止めるのよ!

 『お義父さん、アンナは私が一生、命に代えても幸せにします!』

 って叫んで、そのまま私を白馬に乗せて、愛の逃避行よーーー!!!


「う、うぅ……幸せすぎる……挙式はやっぱり、王宮の礼拝堂じゃなくて、こぢんまりとした街の教会がいいわ……!」


 廊下の陰で、両手で顔を覆って悶絶しているメイド、アンナ。

 現実の進展はほんの数センチ。けれど、あの頑なだったロッシの心が、確実にアンナの温もりによって溶け始めている。


「覚悟してくださいね、ロッシ様。私の妄想が現実になる日は、そう遠くないんだから!」


 いつか彼を書類の山から引っ張り出して、本当の旦那様にするその日まで。

 アンナの一途な暴走と妄想は、これからも誰にも止められないのだった。


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