第五話 処刑
「うわぁ……また派手にやったねー」
広間の隅、ドーム状の淡い光が、静かに揺れていた。
薄膜のようなそれは、ヴォルドガーン達の衝突によって生じた衝撃を、水面のように受け流している。
その内側で、アンジェリカは崩れかけたケーキをつつきながら、わざとらしく肩を落とした。
「どうしてみんな仲良くできないかなぁ。おてて繋いであそびましょー♡ってね」
「あなたが言うと急に胡散臭くなりますね」
シュレインが、何事も無かったかのようにグラスを磨く。
「そうかな」
アンジェリカの白い顔は、熱に浮かされたように艶かしく紅潮していた。その唇は、愉しげに弧を描いている。
「まぁ、みんなが楽しくやれてるならおれっちはそれで」
最後の一口を目掛けて放ったフォークが、空を切る。
「……シュレインちゃん、食べた?」
「なんのことだか」
その口元には、鮮やかなラズベリーソースが付着していた。
「あーん!」
シュレインちゃんがおれっちのケーキ食べたー!!
アンジェリカの悲痛な叫びが広間にこだました。
◇◇◇
困惑だけが、マルクの頭を支配していた。
どうなっているんだ?
そもそも、ここはどこだ?
この人たちは?
そういった疑問も、勿論ある。
しかし
一番理解できないのは、
この場にいる人々の行動、そのゆえんだった。
まずは、自分を殺そうとする大男。彼は自らを父と呼び、守護する者を自称した。しかし、マルクは子として認められず、彼を激昂させることとなった。
そして、その脅威からマルクを救った狼男。彼もまた、まともには見えなかった。
どうして自分なんかのために、二人は争っているのか。
そしてそれを、少し離れた場所から、まるで他人事のように眺めている者たち。
自分の何が、この“結果”を引き起こしたのか。
倒れ伏すグレイを見て、マルクは思考を巡らせた。
しかし、分からない。
それが、記憶の欠落のためなのか。
自分が最初から“そう”だったのか。
マルクには何一つ、分からなかった。
——ゴッ。
重々しい足音に、マルクはぼんやりと顔を上げた。
「死ぬ覚悟はできたか」
ヴォルドガーンの瞳は、どこか静けさを纏っていた。森を生きる動物のような、何かを見透かしたような目だった。
恐怖とは少し違う何かが、マルクの内側へ静かに染み込んでいく。
「……」
「フハハハハ!!甘いぞヴォルドガーン!!」
崩れた瓦礫が、がらりと内側から揺れた。
「奇襲さえなければ、貴様程度に遅れは取らんッ!!」
フォルツは数本のハサミを両手に構えると、疾走した。
「喰らえヴォルドガーン!!——ごばっ!?」
ヴォルドガーンが、虫けらでも追い払うかのように手を払った。それだけでフォルツの体は、パチンコ玉のように弾き飛ばされた。
「……フォルツきゅん、キミのことは忘れない」
瓦礫に頭を突き刺したままのフォルツを、アンジェリカがつんつんと指でつつく。
「マルク、貴様は何を恐れる」
ヴォルドガーンの問いかけに、マルクは息を呑む。
「……分からない」
「そうか」
ヴォルドガーンは静かに頷いた。
「恐れとは己を映す鏡」
その巨体が、一歩ずつ近づいてくる。
「己を知らぬ者は、他者を知らぬ」
「他者を知らぬと、傷付ける」
「その果てに——自壊する」
ヴォルドガーンの足が止まる。巨大な手のひらが、マルクの頭を包んだ。
「哀れな者よ」
巨大な指が、ゆっくりと軋む。
「死さえ与えられぬ者よ」
「貴様を——砕き」
「二度と戻れぬよう、封ずる」
ヴォルドガーンの言葉から、なぜか害意は感じられなかった。
恐ろしい、はずだった。
喉は乾いていた。
心臓も速く脈打っている。
だというのに。
マルクの胸には、何も浮かばなかった。
ただ
どうしてこの男は、そこまでして自分を終わらせようとするのか。
その疑問だけが、静かに残っていた。
そして、その疑問に自分が引っ掛かりを覚えていること自体が、マルクには妙に興味深かった。
「やはり、恐れぬのだな」
ヴォルドガーンの瞳に、一瞬だけ憐憫の色が滲んだ。
「冥土の土産だ。貴様に、“人間”の一端を見せよう」
空気が、軋んだ。
「人間とは縛られる生き物だ」
「法に」
「責務に」
「血に」
「愛に」
「縛る者もまた、例外ではない」
広間を満たしていた熱気が、まるで巨大な何かに押し潰されたかのように沈み込む。
ピキ。
硝子の割れるような音が響いた。
「強く、求めよ。でなければ、我が子とは認めん」
「我もまた、縛る者」
ヴォルドガーンは静かに告げた。
「我が支配は、【庇護】」
空間の亀裂が、さらに広がった。
そこから現れたのは、
ただ一つの掌だった。
見上げるほど巨大な、
右の掌。
不思議なことに、その姿からは暴力よりも先に——温もりを感じた。
「さらばだ——マルク」




