第四話 守護る者
マルクは反射的に床を蹴った。
次の瞬間——
先程まで彼がいた空間が、消えていた。轟音だけが遅れて広間を揺らす。
そこには、底の見えない“穴”だけが空いていた。まるで空間ごと削ぎ取られたように。
そこだけが消えていた。
破片一つ、残っていない。
「っ……」
マルクは荒い息を漏らしながら、床へ手をついた。遅れて全身に走る痛みに顔を歪めながら、震える腕で身体を起こそうとする。
立ち込める煙の奥から、重い足音が響いた。
「父。それは全てを守護し、導く者。それが我が責務であり、誇りである」
一歩。
また一歩。
まるで処刑台へ歩み寄るような、圧倒的な威圧感。
「だが、時に、父は」
ヴォルドガーンの雷光が、静かに唸る。
「子らを守るため、災いを討たねばならん」
ヴォルドガーンが、一歩踏み込む。
その足元が爆ぜた。
マルクがヴォルドガーンの姿を探すより早く、
「貴様は危険だ。死ね」
声が、耳元で響いた。
どうして。
その言葉だけが、頭の奥に残った。
けれど、何が引っかかっているのか、自分でも分からない。
気付いたときには、拳は眼前に迫っていた。
鈍い衝突音が響く。
だが、ヴォルドガーンの拳は、マルクへ届かなかった。
「……ハッ」
黒褐色の腕が、ヴォルドガーンの拳を受け止めていた。
衝撃が、遅れて広間を駆け抜ける。
床が砕けて、周囲の椅子がまとめて吹き飛んだ。
「あーあ」
アンジェリカが、呆れたように頬杖をついた。
「気色悪ィ説教してんじゃねえよ、変態野郎」
グレイの低い唸りが、空気を震わせる。
ヴォルドガーンの眉間に、深い皺が刻まれる。
「邪魔をするな、グレイよ」
「嫌だね」
即答だった。
倒れ伏したマルクの頭をグレイは勢いよく踏みつけた。
「こいつァこの夜会のイレギュラーだ。聞かねェといけないことがまだ大量にある。なァ?魂無しィ」
「……ぐぅ」
グレイの足が、ぐりぐりとマルクの頭を踏みにじる。
「そんなものは後から調べればよい。それに、本当にそれが貴様が此奴を生かす理由か?」
ヴォルドガーンの鋭い眼光が、矢のようにグレイを射抜く。
「……あァ、勿論だ。こいつァ夜会の“完成”に必要な存在かもしれねェ。殺すのは時期尚早ってやつだ」
(——ってそんな訳無えけどなァ〜♪)
グレイの口角が、三日月のように吊り上がる。
(夜会のメンバーに相応しくない肉体強度、卑屈な性格。そして何より、“魂”が無いと来たァ)
ぐり、と。
グレイの踵が、マルクの頭へさらに沈み込む。
(他人に踏みつけられ、弄ばれるためだけに生まれてきたような存在。弱者ですらねェ。“弱者を越えた弱者”だ)
グレイの喉が、愉快そうに鳴った。
(あ〜……神様ってモンがいるなら感謝するぜェ〜♡)
(こいつァ、俺の玩具だ)
(——ぜってェ、楽には死なせねェ)
「グレイ、父に反抗するか」
「反抗ォ?」
グレイが、くつくつと笑う。
「てめェを父親だと思ってる奴なんて」
グレイの肩が震える。
「誰一人いねェんだよォ!!」
背中から引き抜かれたのは、巨大な鉈。欠けた刃と、乾いた黒色が、多くの命を噛み砕いてきたことを証明している。
「死ねェェ!!!!」
鉈が、ヴォルドガーンの首筋に迫る。
「フン、バカ息子が」
ヴォルドガーンは瞳を閉じ、深く息を吐いた。
その瞬間、マルクは、広間全体の空気が澱んだような感覚を覚えた。
一瞬一瞬を引き延ばされたような世界で、自由に動いているのはヴォルドガーンだけ。
……いや、違う。
視界の隅で誰かが微笑んだ。
莫大な衝撃が、マルクの体を吹き飛ばす。
何度も床を転がり、瓦礫へ叩きつけられる。
「が、はッ」
視界の先。
広間の中心には、巨大なクレーターが生まれていた。
その中央で——
「……」
グレイの顔面が、床へ深々とめり込んでいた。ヴォルドガーンの巨大な手が、グレイの後頭部を鷲掴みにしている。
床へ叩きつけられた衝撃で、石畳は蜘蛛の巣状に砕け散っていた。
「親へ牙を剥くとは、出来の悪い息子だ」
ヴォルドガーンが、静かに呟く。




