第三話 怒雷
魂。それは、生物を生物たらしめる根幹。
何を考えているのか分からない木偶の坊にも、人を殺すことに一切の躊躇いが無い殺人鬼にも、魂は当然のように存在する。
魂とは主観そのものであり、それが存在しないとなると、その人物は、何も感じていないどころか、自分を自分と認識してさえいないことになる。少なくとも、従来の考え方ではそうだった。
魂は、他の魂と関わり、“感情”を生み出すことによって、また、怒りや歓喜、執着といった感情を極限まで昂らせることによって、その存在そのものを活性化させ、“アラヤ”と呼ばれるエネルギーを生み出すことができる。
生み出されたアラヤは、都市インフラから戦場に至るまで、様々な場所で使用され、人類の営みを支えてきた。
故に、魂を持たぬ存在など、人ではない。
それが、この世界の理だった。
◇◇◇
「クソガキ!てめェがいきなりチョンパすっからだろうがッ!」
「だってぇ!なんかそういう雰囲気かなーって思ってぇ!」
「どういう雰囲気だよッ!」
「そもそもこいつを連れてきたハイツェルガーにも責任があるッ!まさか知らなかったとは言わせないぞ!」
徐々に浮上する意識が、言い争う声を捉える。
首元では、つい先程まで縫合を行っていたらしいアンジェリカが、慌てた様子で糸を切っていた。
「うるさいなぁ……」
「うわ!本当に目を覚ましたよ!」
「理から外れし者、やはり死にさえ見放されているか」
「本格的に何者だァ……?こいつァ」
少年は周囲の慌ただしい様子に首を傾げると、ふと首筋に違和感を覚え、指でなぞった。
「うわ!なにこれ……気持ち悪っ」
「あ、ごめんねー。おれっち裁縫が苦手でさー」
お嫁にいけないかもー、とアンジェリカがわざとらしく嘘泣きをする。
「どけェ、クソガキ」
「あいたっ」
グレイはアンジェリカを乱暴に押し退けると、少年の前へしゃがみ込んだ。
獣のような鋭い眼光が、真正面から突き刺さる。
「テメェ、何者だ」
その背後では、フォルツが少年を逃がすまいと回り込む。
さらに、縫合されたばかりの首筋へ、先の丸いハサミが添えられた。
「キミを殺す方法は残念ながら思いつかない。だが、殺せないなら、壊せばいいだけだろ?」
フォルツの口元が、獰猛に吊り上がる。
「答えろ」
有無を言わせぬ圧力が、その場を支配していた。
「ぼ、僕は……」
その場にいた全員が、少年の返答を待っていた。
「僕は皆さんが思うような大した人間じゃないんです!すみません!」
次の瞬間、少年は勢いよく床へ額を擦り付けた。
「あ?」
「“何者”だなんて、僕には過ぎた言葉です。ましてや、あなた達のような人々が、僕なんかに……」
「あなた達のような人々?」
アンジェリカが小首を傾げる。
「だってあなた達、とっても高貴な人たちでしょ?だって——」
「……ッ!」
少年の瞳を見た瞬間、この場にいた何人かの背筋に、得体の知れない悪寒が走る。
だが、その正体を確かめる間も無く、フォルツが少年の肩をガシッと掴んだ。
「キミ、なかなか見る目があるじゃないか!」
「へ?」
「こいつらはともかく、オレの高貴さを瞬時に見抜くとはな!それに比べてこの前のアンチ共……!オレのことを馬鹿だの中身が無いだの好き勝手言いやがって……!次の配信では必ず……!」
もはや少年のことなど忘れたかのように、フォルツの愚痴は止まらない。
「えぇと……」
少年は困ったように視線を泳がせる。
——瞬間。
凄まじい轟音と共に、フォルツの身体が横へ吹き飛んだ。
「がッ!?」
ピンク色の影が、砲弾のような速度で床を跳ねる。
そのまま数メートル滑った末、ようやく瓦礫へ突っ込む形で停止した。
「先程から黙って聞いていれば」
一言で表すなら、
——鋼。
鍛え抜かれた肉体から放たれる圧迫感は、もはや暴力そのものだった。本来の寡黙さは見る影もなく、男の全身を駆け巡る金剛の雷光が、その激昂を物語っていた。
「マルクと言ったか?」
「は、はい」
「貴様は自らを卑下し、己が何者かさえ理解しておらん」
ヴォルドガーンは、ゆっくりと拳を握った。
「本来、それを導くのが父親の役割だ。迷い、悩み、傷付きながらも、生き様を魂へ刻み込む。それが父だ」
低く、重い声が広間を震わせる。
「だが」
一瞬にして空気が凍り付いた。
「貴様には、その生き様を刻み込むべき霊魂そのものが存在せぬ。ならば貴様は人ではない。我が息子などでは、断じてないッ!」
「っ……!!」
一際、大きな雷鳴が広間に轟く。
その男の名はヴォルドガーン。
父として、人類全てを導き、守ろうとする狂気の男。
そして“人族”史上、最強と目される男。
「マルク、貴様は」
——勘当だ。
圧倒的な暴威が、夜会を飲み込んだ。




