第十三話 チョキチョキさん
ひとりの男が、茜色に染まる街を足早に歩いていた。
妻がいて、息子と娘が一人ずつ。
多少の不満はあれど、男は自分の人生に満足していた。
右手には、可愛らしい熊のキャラクターが印刷された紙袋。
その中には、娘にねだられ、30分も並んで買ってきた人気店のドーナツがあった。
「ドーナツひとつで三十分かよ……」
悪態をついてみる。
だが、娘たちの喜ぶ顔を想像すると、自然と口元が緩んだ。
気が付けば、足取りも少しだけ速くなっていた。
「——ませんかー」
道路の真ん中。
女がぽつんと立っていた。
薄汚れた肌色のTシャツにピンクのスカート。
不自然なほど艶やかな髪は腰元まで伸びていた。
遠目にも、その姿だけが妙に鮮明だった。
女の右手に、何かが握られているのに気付く。
「……ッ」
ハサミだった。
刃にはべっとりと錆が付いており、開閉のたびに、ぎぃ、ぎぃと耳障りな音を立てていた。
女は俯いたまま。
ただ、それだけを繰り返している。
「——ませんかー」
「——りませんかー」
「カミシロさんチ、シりませんかア」
男はそこで初めて人生を後悔した。
妻にも子にも仕事にも縛られず、自由に生きる道もあったかも知れない。
そうすれば
こんな終わりを迎えることもなかったかもしれない。
死の瞬間、そう自嘲した。
「知りませんか?」
辺りには、いつの間にか深い霧が立ち込めていた。
◇◇◇
「……チョキチョキさん、かぁ」
マルクは端末に表示された記事を眺めながら呟いた。
チョキチョキさん——
最近になって世間を騒がせている都市伝説の一つだった。
都市中心部、霧の深い日に現れ、若い女、子供、老いた男など、様々な姿で目撃されている。
共通しているのは、錆びたハサミを握っていること。
そして——
カミシロさんち、知りませんか?
目撃者たちによれば、チョキチョキさんは必ずそう尋ねるという。
マルクは背筋が冷たくなるのを感じた。
画面をスクロールする。
関連記事や掲示板のリンクがいくつも並んでいた。
その中の一つを開いた。
【都市伝説】最近話題のチョキチョキさんがマジでヤバいwwwwww【怪異】
1:名無しの発掘者 19:42:11
怖すぎる
4:名無しの発掘者 19:51:36
また霧関連か
8:名無しの発掘者 20:03:18
つよいの?
12:名無しの発掘者 20:15:44
見た奴いる?
15:名無しの発掘者 20:22:57
>>12
見たら死ぬらしい
16:名無しの発掘者 20:24:02
じゃあこの噂はなんだよ
20:名無しの発掘者 20:27:48
しょぼそ
22:名無しの発掘者 20:35:25
>>12
超級ひとりやられてるんだぞ
24:名無しの発掘者 20:42:10
超級がまずしょぼい
27:名無しの発掘者 20:48:39
>>24
お前何級?
29:名無しの発掘者 20:55:56
チョキ♪チョキ♪
31:名無しの発掘者 21:01:56
神話級がなんとかしろ
33:名無しの発掘者 21:05:14
てか女なん?
35:名無しの発掘者 21:08:08
神話級がちゃんと仕事してるの見たことない
38:名無しの発掘者 21:22:33
>>35
お前何級?
42:名無しの発掘者 21:37:51
クソスレ
インターネットに寄せられた情報は酷く曖昧で、中にはサンタクロースの格好をして現れた、などという馬鹿げたものまであった。
「うーん……」
マルクは端末を操作しながら眉を顰めた。
メールにあった依頼内容を思い出す。
『チョキチョキさんの討伐、及び関連情報の回収』
おかしい。
そもそも、こういった依頼はギルドを通して発掘者へ回されるものだ。
さらに、マルクはまだ端末を手に入れたばかりで、誰にもアドレスを渡してはいない。
依頼メールなど、来るはずもない。
それだけではない。
報酬の欄。
「…………高権限区域『O』へのアクセス権?」
意味は分からない。
だが、高権限区域という言葉が引っ掛かる。
先程見た、自身の登録情報、その一番下にあった『権限レベル』という項目。
それと関わりがあるように思えてならなかった。
権限レベルというものが、マルク自身の本質と深く関連するものなら、この依頼を達成することは、マルクにとって、己を探るための絶好の機会となる。
「この依頼を受けよう」
マルクは端末を握りしめた。
確かに怪しい。
依頼主も、連絡をとってきた方法も不明。
真っ当な依頼ではないだろう。
報酬が本当に支払われるのかも分からない。
だが、大きな手がかりだ。
記憶も魂も、確かな自分さえもないマルクが闇の中で掴んだ一筋の光、それがこのメールだ。
マルクは画面のキーボードを操作した。
『お引き受けします』
短い文章を打ち込み、送信ボタンへ指を伸ばす。
一瞬だけ迷う。
だが、その指が止まることはなかった。
送信。
小さな通知音が鳴る。
次の瞬間、まるで待ち構えていたかのように、返信メールが届いた。
画像ファイルが添付されていた。
「早っ……」
思わず呟きながら、マルクはそのファイルを開いた。
地図だった。
都市中心部から少し南東に外れたエリアだ。
画像の右下には、日付と時刻も記載されていた。
「この時間に、ここに行けということ?」
マルクは首を傾げた。
怖い。
指だって少し震えている。
正気じゃないと自分でも思う。
だが、行くしかなかった。
この依頼を達成し、絶対に自分を見つけてみせる。
しかし、その決意すらどこか借り物めいていることに、マルクは気付かない。




