第十話 おかえりなさい、マルク
「出かけるヨ」
「うわぁ!!!!」
朝起きて、最初に目に飛び込んできたのは、太陽だった。
マルクはベッドから転げ落ちた。盛大な音を立てて床へ叩きつけられる。
立ち仕事が続いたせいで軋んだ腰が、悲鳴を上げる。
「……ぃてて」
太陽——アテンは既に身支度を終えたようで、黒色の外套をその身に纏っていた。
「出かけるって、どこに……?」
マルクは目を白黒させながら首を傾げた。
「決まっているだろウ?」
「“お買い物”だヨ」
アテンはどこか楽しげに言った。
「……お買物?」
「お買い物!!!!お買い物!!!!!」
ファイネスちゃんの声が、やけにうるさく響いていた。
◇ ◇
都市——他に決まった呼び名はなく、ただ、そう呼ばれている。
古代文明の遺物、そして新人類の英知。
互いにぶつかり合うようにして生まれた巨大な箱庭。
建造物の間を縫うように地面から生える黒色の柱が、怪しく煌めく。
人族、亜人族、神族。
様々な人種が雑多に生活している様子は、時折、“神の玩具箱”という言葉で表される。
だが、魂の力——アラヤがその者の容姿、在り方に大きく影響を及ぼすこの都市で、そのような分類は大した意味を持たない。
人々は忙しい。
取引先へのメール。
晩飯のおかず。
カラオケで歌う曲。
恋人との待ち合わせ場所。
配信のテーマ。
人々は常に迷い、答えを探している。
角の数や耳の形を気にしている暇など、そう多くはないのだ。
◇ ◇
「お、大きい……」
都市のどこからでも見える、天を突くような黒い塔が、静かに聳えていた。
マルクたちは、都市の中心部へやってきた。
「あれが何か分かるカ」
アテンが問いかける。
マルクは素直に首を振った。
初めて都市にやってきた日は、夜だった。
しかし、昼間は昼間で別世界だ。
夜空に溶け込んでいた黒い塔が、その威容を惜しげもなく晒している。
あまりにも巨大。
雲を貫き、なお伸び続け、その頂点は、未だ誰の目にも映ったことがない。
「アテンは、分かるんですか?」
「分からなイ」
「えぇ!?」
マルクが素っ頓狂な声をあげる。
「古代文明の傷跡。それは間違いなイ」
アテンはマルクの隣に立ち、黒塔を見上げた。
「だが、あれが何のために建てられた物なのか、どんな優秀な“発掘者”にも、分からなかったのだヨ」
「発掘者——古代文明を解剖し、人類を進める者……」
「そうだヨ、よく勉強しているじゃないカ」
アテンが満足そうに言った。
「だが、気をつけないといけないヨ」
「発掘者に、ですか?」
「そうダ。危ない奴が多いからネ」
アテンは肩を竦めた。
あなたも相当危なそうですけど……
マルクは言葉を飲み込んだ。
◇
アテンに連れられ、やって来たのは、大通りでも一際巨大なビル。
ショッピングモールと呼ばれる建物らしい。
服飾雑貨、食料品、医薬品などを取り扱う小売店から、飲食店まで、様々な店舗が一つの建物にひしめき合っている。
カップルや親子連れ、学生のグループ。
平日だというのに、人の波は途切れる気配がない。
マルクは人混みに流されながら、辺りを興味深そうに見回した。
人々の中には、革の鎧を着た者や、腰に剣を差した者の姿も目についた。
発掘者だ。
都市は、時に霧に包まれる。
霧はその場に残る思念、情報、古代の記憶など、あらゆるものを呼び起こし、異形を作り出す。
霧の中からは必ずと言っていいほど、古代文明の“遺物”を回収することができた。
都市の発展は、発掘者と共にあった。
「あまり、ジロジロ見るナ」
アテンに首根っこを掴まれる。
「すみません……つい、珍しくて」
「そうだろうナ。……だが、すぐに慣れるサ」
「……アテン?」
いつもと違うアテンの声色に、マルクは首を傾げた。
しかし、アテンはすぐにいつもの調子へ戻っていた。
「行くヨ。用があるのは四階ダ」
◇
「いらっしゃいませ!」
張り付けたような営業スマイルが、マルクたちを出迎えた。
悪魔を思わせる角と尻尾も相まって、その笑顔はどこか胡散臭い。
それでも不思議と嫌味はなく、日々コンビニで接客をしているマルクですら、思わず感心してしまうほどだった。
「本日はどのようなご用件でしょうか!」
「この子に都市端末を用意してくレ」
「新規契約でよろしいでしょうか!」
「そうダ」
困惑するマルクをよそに、アテンは店員と取引を進めていく。
「えぇと、アテン?都市端末というのは……」
「あとで説明すル」
「えぇ……」
マルクは助けを求めるように店員へ視線を向けた。
しかし、店員は完全にアテンを保護者と認識しているらしい。
マルクには目もくれなかった。
「初めての端末でしょうか?」
「そうダ」
「でしたらご安心ください! 都市の住民なら、子供でも使えますので!」
「ふム」
「地図、通話、送金、身分証明、SNS、配信まで、全部これ一台です」
「あ、あのー。僕もいるんですけど……」
◇
一通り説明を終えたあと、店員がマルクに向き直った。
「では最後に、ご契約者様、“承認”をお願いいたします!」
にっこりと微笑む口元には、鋭い牙が覗いていた。
「……承認?」
聞き馴染みのない単語に、マルクは困惑したように瞬きを繰り返した。
「魂の力——アラヤを注ぎ込むのだヨ。そうすれば君の情報は登録され、晴れてこの都市の一員というわけダ」
「一員……」
その言葉を、マルクは小さく反芻した。
「あっ、でも、僕って、その、魂が……」
助けを求めるようにアテンの顔を仰ぎ見る。
しかし、その表情は、いつも以上に読めなかった。
「やるんダ。マルク」
「……ッ」
息を吐く。
自分が何をしようとしているのかも、アテンが何をさせようとしているのかも、分からない。
だが。
試されている。
それだけは理解できた。
端末には、指紋のような紋様が浮かび上がっていた。
人差し指をゆっくりと近付ける。
緊張が喉の奥を締め付ける。
指先が、僅かに震えていることに気付いた。
そして、
液晶に、指が触れた。
しかし、何も起こらない。
当然だ。
自分には魂が無いのだから。
アラヤを送り込むこともできない。
アテンは失望しただろうか。
自分を拾ったことを後悔しただろうか。
マルクはどこか解放されたような気分だった。
それがなぜなのか、自分でも分からない。
「アテン、僕は……」
言いかけたその時、時が止まった。
触れた人差し指を中心に、液晶へ波紋が広がった。
「え?」
波紋は、マルクさえも置き去りにし、空間そのものを包み込んでいく。
意識の中で、無機質な声が響く。
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おかえりなさい、マルク。
私たちはあなたの████。
僕たちはあなたの████。
ボクは、あなたの████。
胸の奥で、何かが軋んだ。
魂の無いはずの少年の中で。




