第九話 あるバイトの話
「マルクくん?」
この世で一番厄介な六人。
アテンの言葉が、頭から離れない。
「おーい、マルクくんやーい」
彼らは普段、どこで生き、どのように生活しているのだろうか。
いつか、また再会することがあるのだろうか。
「マルク!!!!」
「はい!?!?」
マルクは飛び上がるように顔を上げた。
先輩がくすくすと笑いながら、こちらを見つめていた。
「考えごとか?」
先輩は空になった缶をゴミ箱へ放り投げた。
からん、と軽い音が響く。
「女か?」
「違いますよ!」
「あれー?こういう時は大体、女絡みって決まってるんだけどなぁ。経験上」
「絶対碌な経験じゃないですよね……それ」
マルクは呆れたように肩を竦めた。
「聞きたいか?」
「いいえ」
「語るも涙、聞くも涙の青春譚なんだがなぁ」
先輩は不満そうに腕を組んだ。
「ま、いいや。そろそろ戻るぞ」
先輩が店内へ視線を向ける。いつの間にか、店内には何人かの客が入ってきていた。
「はい」
退勤までおよそ四十分。
夕方のピークは過ぎている。
マルクは肩を数回回す。
よし。
レジへ向かった。
◇
自動ドアが開く。
「いらっしゃいませー」
店の外で、若者達がバイクを囲んで騒いでいるのが目に入る。
最近よく見かける連中だ。
その間を通り抜けて、学生らしい獣耳の少女が飲み物を一つ持ってくる。
「ありがとうございましたー」
次にやって来たのは、頭に角を生やした会社員だった。
レジに置かれたのは、お茶と弁当。
辛味噌焼肉弁当。
五百八十円。
品出しする時に、気になってたやつだ。
まだあるかな。
ぼんやり考える。
平和だった。
このバイトを始めた頃は、何かと大変だった。
レジや品出しは当然として。
宅配便の受付。
公共料金の支払い。
コンビニは、思ったより覚えることが多い。
アテンの家に住み始めてすぐ、彼は言った。
『マルク、君に職場を用意しタ』
『……職場?』
マルクにとって、それは完全に寝耳に水だった。
『吾輩は君の保護者じゃないんだヨ』
あなたが連れてきたんじゃないですか。
そう言いかけて、やめた。
どうせ碌な返事は返ってこない。
『それに、いつも吾輩がそばにいられるわけじゃないしネ……』
意味はよく分からなかったが、アテンの少し苦々しい顔が印象的だった。
十九時四十七分。
退勤まで、あと少し。
ティロリロリリン♪
緩みかけていた体に、再び力を入れた。
店に入ってきたのは、ピンクジャージを着た女性だった。
肩口で切り揃えられたウルフカットの黒髪。寝不足を疑うような隈が目立つものの、その顔立ちは妙に整っている。
年齢は二十代前半くらいだろうか。
サイズの大きなジャージに身を包んでいるせいで、全体的に野暮ったいが、不意に見える首筋や指先だけは妙に女性らしい。
女性は真っ直ぐ雑誌コーナーへ向かった。
今日入荷されたばかりの漫画雑誌を手に取ると、黙々と読み始めた。
時折、くすくすと笑い声が漏れる。
しばらく雑誌を読んだ後、女性は冷蔵棚へ向かった。
手に取ったのはエナジードリンクだった。赤い鳥のイラストが印象的な、若者に人気の商品だ。
やがて、レジへやってくる。
ゴト。
少し乱暴にエナジードリンクが置かれる。
「二百三十八円になります」
マルクはバーコードを読み取りながら言った。
「……え」
女性の口から、間の抜けた声が漏れた。
「……高くなってる」
女性は財布を開いた。
中を確認する。
「…………」
今度はそれを逆さにした。
手のひらの上で、二、三度振った。
手のひらに、百円玉が二枚と、一円玉が数枚転がり落ちた。
「……あの」
マルクが女性の顔を覗き込む。
「三十一円」
「……はい?」
「キミは三十一円で買えるものと聞いて、何を思い浮かべる?」
女性の思いも寄らない言葉に、マルクは目を白黒させた。
「……えぇと。……駄菓子?とかですかね……」
女性はマルクの言葉に満足そうに頷き、続ける。
「そうだ。三十一円で買えるものなんて駄菓子くらいのものだ。そして、駄菓子一個で困る人間なんていない。つまり」
女性はレジ横の表示を指差した。
「この飲み物は、駄菓子一個分安かった。そういうことにしたとしても」
「——バチは当たらないのではないかね?」
女性がボサボサの髪をかきあげた。
沈黙が流れた。
「……いやぁ、それはちょっと……」
「なんだいキミ!お客様に向かって——」
顔を上げてマルクを見る。
女性の目が、大きく見開かれた。
「……どうしましたか?」
女性は数秒、マルクの顔を見つめた。
「お客様?」
「……」
「……?」
「あ、あ、あ、あー!!三十一円あったー!」
女性の叫びに、マルクがビクッと肩を揺らす。
「……へ?」
「そもそもこのオレさ……私が金に困る訳ないじゃないか!キミィ!」
女性はなぜか得意げにレジへ片手をついた。
「では、お会計を……」
「キミ」
「……はい?」
「私にエナジードリンクなんて、最初から必要無かったと、そう思わないか?」
女性はくるっと身を翻すと、出口へと向かった。
自動ドアの前で立ち止まる。
「…………」
「…………」
少し遅れてドアが開く。
女性は何事もなかったかのように店を後にした。
「あ、ありがとうございましたー」
店内に静けさが戻る。
「……なんだったんだあの人」
マルクはなんとも言えない表情で、残されたエナジードリンクを見つめた。




