第八話 太陽ハウス
扉の先に広がっていたのは、拍子抜けするほど質素な部屋だった。
家具らしい家具は少ない。
部屋の真ん中に丸机と、向かい合うように椅子が二つ。床板は年月を感じさせる木製で、歩くたびにぎしりと音がした。壁紙は燻んだグリーンで、ところどころ色褪せている。
奥の壁には、絵画がぽつんと飾られていた。
描かれているのは、家仕事をする女性だった。
石鉢に入ったベリーを、木べらの裏で潰している。
色を重ねて伸ばしただけのような、輪郭の少ない絵だが、何故か視線が惹きつけられる。
この部屋に、生活感はない。
どこか空っぽでもある。
しかし、アテンは確かにここで暮らしているのだ。
マルクは腑に落ちたような気持ちだった。
「座るといいヨ」
外套を纏ったまま椅子に腰かけたアテンは、向かいの椅子へ手を向けた。
「失礼します」
マルクは勧められるまま、向かいの椅子へ腰を下ろした。古びた椅子が小さく軋んだ。
アテンはマルクを見つめるだけで、何も言ってこない。
どことない緊張感が場を包む。
「…………あの」
マルクが痺れを切らした時、かさり、と音がした。
視線を向けると、部屋の隅の鳥籠で一羽のインコが首を傾げていた。
マルクも、同じように首を傾げた。
「ファイネスちゃんだヨ」
「名前ですか?」
「そうダ、可愛いだロ」
表情の読めない顔で、アテンは言った。
「女の子ですか?」
「知らないヨ」
再び、場を沈黙が支配する。
「……大人しい子ですね」
マルクは半ば無理やり話題を捻り出した。
「ファイネスちゃんは淑やかなんだ」
どことなく自慢げだ。
「そうなんですね……撫でてもいいですか?」
アテンが頷いたのを確認して、立ち上がる。
鳥籠を開くと、くりくりした黒い瞳がこちらを見つめていた。
頭のてっぺんを撫でてみる。
意外ともふっとしていて心地がよかった。
ファイネスちゃんも少し頭をこちらに寄せて、気持ちよさそうだ。
「ファイネスちゃんはお利口だね」
マルクが呟く。
瞬間、ファイネスちゃんは折り畳んでいた翼をバサっと開いた。
「ファイネスちゃん!!お利口!!」
「ファイネスちゃん!!お利口!!」
「ファイネスちゃん!!!!」
「お利口ッ……!!!!!!!!」
マルクは若干引き気味になりながら、鳥籠の扉を閉じた。
「淑やか……」
腑に落ちないといった視線をアテンに送る。
「吾輩には、淑やかなのサ」
アテンは気にした様子もなく、窓の外を眺めていた。
◇
「さテ」
二人は再び向き直っていた。
それぞれの前には、湯気の立つティーカップが置かれていた。
「何が聞きたイ?」
何でも一つだけ答えてやろウ、アテンはそう言って両肘を机についた。
マルクは、ごくりと唾を飲み込んだ。
正直、聞きたいことは山程ある。
魂のこと。
この都市のこと。
そして、あの奇妙な五人のこと。
しかし、真っ先に口から出たのは全く違う言葉だった。
「なぜ、“僕”なんですか?」
自分でも、おかしな質問だと思った。
別にマルクは大勢の中から選ばれたわけでも、指名された訳でもない。
言ってから、少し恥ずかしくなる。
まるで自分が特別扱いされている前提のようではないか。
「す、すみません。やっぱりなんでも」
「君が、吾輩を求めないからダ」
「——え?」
マルクは思わず顔を上げた。
アテンは変わらず、こちらを見つめていた。
「君の中心は、吾輩ではなイ」
「えっと、それってどういう……」
マルクは困ったように頬を掻く。
「これ以上は答えなイ」
アテンは机から肘を離した。
「え!さっき何でも答えてくれるって……」
「どこまでを一つとするかは吾輩の勝手だヨ」
「そんなぁ……」
机に額を押し付けて悔しがるマルクを、アテンはどこか愉快そうに眺めていた。
「……よく分からないけど、僕には魂が無いんですよね?」
マルクが顔を上げ、少し拗ねたように口を尖らせた。
「そうだナ」
「分からないことだらけですよ。……“あの人たち”のことだって、何も分からない」
「奴らは、“支配者”と言われる存在サ」
「二つ目いってますけど!?」
「ボーナスタイムというやつだヨ」
アテンが紅茶を啜る。
この人、実は結構おしゃべりなんじゃ……
マルクは苦笑しながらこめかみを掻いた。
「なにをもって支配者とするかは、吾輩にも分からン。知っているのは本人だけサ」
「アテンさんも」
「アテン」
「アテ……ンも、その一人なんですか?」
アテンは湯気の向こうに視線を落とした。
「そうだヨ」
「じゃああなたは何を——」
「ボーナスタイム終了」
「ちょっとさっきから何なんですか!アテン!」
マルクが机から身を乗り出す。
「ボーナスタイムは、終わるからボーナスタイムなんだヨ」
「ぐぅ〜!」
マルクが恨めしそうにアテンを睨む。
「冗談は置いといテ」
アテンはティーカップを机に置いた。
「奴らには気をつけたまエ」
マルクは小さく息を呑んだ。
アテンの声色が、僅かに変わった気がした。
「それは、何故……?」
「夜会には未だ、一つの空席があル。そして奴らは常に“七人目”を探していル」
「僕はその候補として、あの場に呼ばれた……」
「そうダ」
アテンは冷めかけた紅茶へ視線を落とした。
「しかし、君にはランプに灯す魂が——そもそも、存在しなかった」
マルクは黙って続きを待った。
「奴らは未知に敏感ダ」
「ある者は君を壊シ」
「ある者は独占シ」
「ある者は、愛そうとするだろウ」
つまりサ、とアテンが続ける。
「この世で一番厄介な“六人”に、君は目をつけられてしまったんだヨ」
アテンの声には、隠しきれない愉悦が滲んでいた。
——“六人”
マルクは、その数字の意味をゆっくりと咀嚼した。




