旅立ちの朝
小さな村の広場に、早朝の陽が差し込む。
朝露のきらめく石畳に、馬車が静かに止まっていた。
「……いよいよか」
村長エダンが、腰に手を当てながらカナを見つめる。
その顔には、どこか寂しげな笑みが浮かんでいた。
「カナ、お前の決心はきっと正しい。
だが、決して無理はするな。心が疲れたら、いつでも帰ってこい」
「……はい。ありがとう、ございます……エダンさん」
その傍らには、エダンの妻マリナ。
彼女は、籠いっぱいの焼き菓子や干し果物を差し出しながら、目尻をそっと拭っていた。
「王都はにぎやかだろうけれど、食べ慣れた味も恋しくなるはずよ。
これ、道中で食べて。お菓子は冷めてもおいしいのよ」
「……ありがとう、マリナさん。すごく……嬉しい」
カナの目から涙がこぼれる。
マリナは、俯くカナの背中をそっと撫でてくれる。
「道中……気をつけてね。いつでも帰ってきてね。あなたの家はここよ」
「はい……お二人ともありがとう……ございます。
お世話に……なりました」
マリナは涙をこらえながらカナに言う。
「……違うでしょ、カナ。”行ってきます”よ」
*
荷物を積み終えた馬車の脇では、エリアスが静かに待っていた。
深い藍の外套に身を包んだ青年は、カナが現れると一礼した。
「準備が整いました。王都までは一週間ほど。
無理のない行程を取っています」
「ありがとうございます。お世話になります。
よろしくお願いいたします」
カナは深く頭を下げると、振り返って村の景色を目に焼きつける。
子どもたちと一緒に遊んだ広場、小川のせせらぎ、木々のざわめき。
――そして、風の中に、微かに重なる精霊たちの声が聞こえる。
『カナ、いってらっしゃい』
『きっと、新しい風が君を待ってる』
『また会おうね』
頬にそっと触れる風が、涙のように優しかった。
カナは俯き、唇を噛んだ。
その目に、熱いものがこみ上げる。
ーー一瞬の後。
カナはグッと拳を握ると顔を上げた。
もう、泣かない。
これは別れではなく、始まりだから。
「――行ってきます」
馬車に乗り込み、扉が閉じられる。
蹄の音が静かに響き始めた時、マリナが涙を拭いながら手を振り、
エダンはゆっくりと帽子を取って頭を下げた。
カナは窓の外に手を振り返し、風に乗せて小さく囁いた。
「……見ていてね。わたし、変わってみせるから」
馬車は村を離れ、森の道へと進んでいく。
朝の光が、カナの旅立ちを静かに祝福していた。




