精霊の森へ
昼下がり、空に浮かぶ雲がゆっくりと流れていた。
蝉の鳴き声も遠く、森の奥から風がそっと村を撫でる。
「行ってきます、マリナさん」
カナはそう言って、肩にかかる布の袋を軽く叩いた。
中にはマリナが持たせてくれた水と、干し果物、
そして小さな包みに包まれたお守りが入っている。
「気をつけてね、カナ。森はやさしいけれど、時々いたずらもするから」
そう送り出してくれたマリナの笑顔を思い出しながら、カナは森の入り口へと歩を進めた。
森――“精霊の森”と呼ばれるその場所は、村のはずれに広がっていた。
木々は高く、葉は陽の光を受けてきらきらと輝いている。
風の音、鳥の声、草を踏む音……どれもやさしく、どこか懐かしい。
木陰でそよ風を受けながらひと息ついたそのとき、ふと優しい声が耳元で囁いた。
『……カナ!』
『え?』
誰もいないはずのその場で、はっきりと聞こえた声。
『私よ。風の精霊シルヴィアよ』
その声とともに、光が舞い、透明な羽根を持つ小さな存在が姿を現す。
風に揺れる淡い銀の髪と青い瞳。
『カナ、会いたかった!来てくれたのね!』
「シルヴィア……私、あなたに話したいことがあって」
カナは話した。
森を出てからのことを、全て。
そして――王都に行くと決めたこと。
シルヴィアは頷くと言った。
『あなたの魂は、今も精霊たちに強く引かれているのが見える。
多分……王都に行くのがあなたの使命なんだと思う』
「使命……か……」
『そう。そしてあなたには、精霊の声を聴く力がある。
それは、この世界でも特別なもの』
シルヴィアはそう言って、小さな手をカナの胸元にかざした。
『これは私の加護。あなたがどこにいても、風はあなたを見守るわ』
風が渦を巻き、カナの首元に光が宿る。
それが形をとったとき、そこには一つの小さなペンダントが現れていた。
銀色の鎖に、淡く光る青緑の石。触れると、すっと体が軽くなるようだった。
「……ありがとう、シルヴィア」
『あなたの旅はこれから。でも忘れないで。
風はいつでも、あなたの味方よ』
そう言ってシルヴィアの姿は、風とともに空へ溶けていった。
カナはしばらく、その場に立ち尽くしていた。
胸元に揺れるペンダントが、かすかにきらめきながら、
これから始まる物語の扉を開くように揺れていた。




