セレスタンの指導
白亜の礼拝堂には、外の光を受けて淡く輝くステンドグラスの影が落ちていた。
静かな空気を破るのは、遠くで揺れる燭台の微かな音だけ。
セレスタンは祭壇の前に立ち、両手を胸元に組んだまま、ゆるやかに振り返った。
その深い碧眼は、真剣にこちらを見つめるカナを優しく捉える。
傍らには、レイナルトが静かに控えていた。
「祝祷者の祈りは、ただ言葉を唱えるだけではありません」
セレスタンの声は、礼拝堂の高い天井に澄んで響く。
「心を澄ませ、精霊たちの息吹に耳を傾けること。
そして、あなたの内に宿る光を――素直に捧げるのです」
カナは小さくうなずき、両手を胸の前で重ね、祈りの姿勢をとった。
指先がわずかに震えているのに気づいたレイナルトは、そっと囁く。
「大丈夫、君ならできる」
その言葉に、カナは微笑んで頷く。胸の奥が少しだけ温かくなった。
*
セレスタンはゆるやかに歩み寄り、手を差し伸べる。
「まずは、導きの祈りから。――私の声に続けて」
祭壇の聖火が揺れ、柔らかな光が三人を包む。
セレスタンが静かに祈りを紡ぎ始めると、
カナの耳には、風の精霊たちのさざめく声が重なって聞こえてきた。
「……ルーメン・エルナ、精霊たちよ、我らに光を……」
カナは震える声でその言葉をなぞる。
次の瞬間、ステンドグラスから差し込む光がふわりと舞い降り、
小さな花弁のようにカナの周りを漂った。
セレスタンの瞳が、驚きと慈しみに揺れる。
「……まさか、初めてでここまで……?」
レイナルトも息をのむ。
だがカナはただ、祈りの中で感じる精霊たちの優しさに、
胸を熱くしながら祈りを続けていた。
光の粒がまだ舞う中、セレスタンはそっと祭壇に片膝をつき、
カナと同じ高さに目線を合わせた。
その横顔には、驚きよりもむしろ感嘆と慈愛が浮かんでいる。
「カナさん……あなたの祈りは、精霊たちにまっすぐ届いています。
これは導きだけでなく――癒しの祈りにも繋がる素質です」
カナは目を瞬かせ、両手を胸に当てた。
「癒し…の、祈り……?」
セレスタンは微笑んで、彼女の肩にそっと手を置く。
「傷ついた者の痛みを和らげ、迷いを払う祈りです。
今度は、私と一緒にやってみましょう」
「……はい。頑張ります」
カナは頷き、両手を胸の前で組む。
セレスタンが静かに言葉を唱え始める。
「セリス・アムレア、慈しみの風よ、
痛みを抱く者の心と身を、静かに包みて癒したまえ――」
カナも続けて唱える。
胸の奥で小さな光を思い描こうとしたが、
祈りの終わりに、何も起こらないまま沈黙が訪れた。
カナは指先をぎゅっと握りしめる。
「……できない……」
セレスタンは優しく首を振った。
「いいえ、これは当たり前のことです。
癒しは光の精霊との絆が深まって初めて開かれる祈り。
今は、まだその時ではありません」
「……はい」
カナはかすかに頷いたが、表情は曇ったままだった。
*
「……もう一つ、今教えておきたい祈りがあります。
――浄化の祈りです」
カナは驚いたように顔を上げる。
「浄化……とは何でしょうか?」
「浄化とは、闇に囚われた心や、負の力を払い、
精霊たちが本来の輝きを取り戻せるよう導く祈りです」
セレスタンはカナを祭壇の前に立たせ、
両手を胸の前で重ねるよう指示する。
「まず、心を澄ませて。
目に見えない影が、あなたの足元に絡みついていると想像しなさい」
カナはそっと目を閉じ、息を整える。
すると、風の精霊たちが耳元でささやき、
小さな光の粒が足元に集まってきた。
「次に、光を思い描きます。
――闇を怖がらず、優しく包み込む光です」
セレスタンの言葉に導かれ、
カナの胸の奥がじんわりと温かくなる。
「ルミナ・クラリス、清き光の御名において、
闇を溶かし、すべてを清め、精霊たちに自由を与えたまえ――」
カナも声を重ねる。
胸に浮かんだ光を大きく広げようと必死に願うが、
光の輪は揺れただけで、何も変わらなかった。
「……だめ……」
小さな声でそうつぶやいた途端、膝がふらりと崩れる。
レイナルトが素早く駆け寄り、カナの肩を支えた。
「カナ!」
セレスタンもすぐに傍らに膝をつき、彼女の顔を覗き込む。
彼女の顔は、額に汗がにじみ、真っ青だった。
「やはり……負担が大きすぎましたね。今日はここまでです」
カナはうなだれたまま、かすれた声で言う。
「すみません……でも、もっと覚えたくて……。
癒しも浄化も、何もできなかった……」
レイナルトは、そっと彼女の背に手を回す。
「君は初めてで、すでに“導きの祈り”を形にできた。
それだけでも十分すぎるほどだ」
セレスタンも深く頷き、静かに告げる。
「学ぶ心は素晴らしいことです。
だからこそ、今は休むことも大切にしましょう。
できないのではありません。まだ時期が来ていないだけです。
癒しは、光の精霊と深く繋がった時に目覚めるもの。
浄化もまた、あなた自身の心が強くなって初めて成せる祈りです。
――今は言葉だけ、覚えておくとよいでしょう。
……あなたの道は、これからです。
癒しも浄化も、必ず時が来れば開けます」
レイナルトが横から補足する。
「そうだ。だから焦らなくていい。
君の祈りは、もう十分に精霊たちに届いている」
カナはかすかに頷くと、レイナルトの肩に寄りかかり、静かに目を閉じた。
「……はい……ありがとうございます、殿下……。
申し訳、ありません……」
レイナルトは、気を失ったその小さな身体を支えると、そっと彼女を抱きかかえた。
「カナ……君は十分頑張っている。
――学院長。彼女は私が寮まで送る」
「……承知しました。殿下。
――よろしくお願いいたします」
セレスタンは静かに頷くと、ふたりの背を見送るのだった。




