断章・その一
「噂には聞いていたけど、これはまた大きくなったものだね……」
皇都・瑞京の料亭【蜑屋】の個室【ひばつのまたの間】にて。
弥祖皇国主席宰相の柑子寛輔は、第三皇子で甥の宝利命と三年ぶりの再会を果たしていました。
「うすらでかいばかりで申し訳ない」
宝利は作法を無視して座布団にドカリと座ります。
「して、用件は?」
「そうだね。挨拶は抜きで行こう。もちろん巻網の話だよ」
「そうであろうな。予想はしておった」
魔海対策庁次官としての面会なら、首相官邸か、なのりそ庵での会合になるはず。
しかも長官の巻網媛抜きとあっては、内容は私的なものに決まっています。
「やはり五年前のアレか?」
結婚式の当日に宝利を殴ってしまった事件です。
「そうだよ。実はあの時……」
「事故であろう? 先日、直接会うて気づいた」
「見ただけでわかったのかい⁉」
「吾輩も似たようなものだ」
宝利も八尋に接する時は、ふとした弾みで壊してしまわないように、細心の注意を払っています。
「そうか……あの時は訳も話さず国外追放みたいな真似をして、申し訳ないと思っているよ」
「訳はいま話してくれるのであろう?」
「うん。まあ、一言でいえば巻網はあれで心底参っている。あの日は僕の目の前で倒れて熱を出した」
「あの伯母上が⁉」
神力自慢の宝利の目にも超人じみて映る巻網媛が、精神的ダメージで倒れるなんて想像もつきません。
「ああ見えて繊細なんだよ。しかも失敗の経験がほとんどないから、取り繕い方も知らない」
「謝罪くらい手紙でもよいではないか」
「そもそも謝罪の概念を持っていないんだよ。他人に謝罪を求めた事もない。改善すれば、それでよいと思ってる人だからね」
「だが取り返しのつかぬ問題に出くわせば……」
「他人の犯罪行為なら容赦しない。でも……いや、だからこそ、自分が失敗すると自責と後悔で圧し潰される。巻網はそんな状態を五年も続けてきたんだ」
「なんと厄介な性分なのだ……」
玉網媛に似て生真面目な性格。
豪放磊落が信条の皇族に、一体どこでそんな血が混ざったのか、宝利はちょっとだけ興味が湧きました。
「前々から予定されていたのを多少早めただけとはいえ、宝利を海外に出したのは失策だった。あの頃の巻網は君の顔を見るだけで失神しそうだったから、渡りに船と思ったんだけど……」
「泥船であったな。早急に解決すべきであった」
「いや、それも拙い。巻網が耐えられない」
「そこまで酷かったのか」
「夜毎魘されてね。いまでも日に一度は僕と顔を合わせて慰めてやらないと眠れないんだ」
「最近は会うておらぬように見えるが……?」
「おそらく、ここ数日は眠れていないと思う」
「五年も経ったのに、まるで回復しておらぬようだな」
「なまじ体力があるばかりに、過労や睡眠不足では倒れてくれないんだよ」
「まるで倒れてくれといわんばかりであるな」
「うん、焦燥しきった顔がまた可愛くて可愛くて」
「惚気は勘弁してくれ」
「いや、まずは倒れてくれないと、おそらくこの件は解決できない」
「吾輩にはさっぱり理解できぬ」
「おそらく宝利があの話を蒸し返したら、巻網はその瞬間に失神するよ。でも一度倒れてからでないと、落ち着いて話もできない」
「なるほど気絶させる方法はようわかった」
「まあ、五年前はそれで子作りの機会を得られたんだけど……」
神力自慢の柑子首相にとっても、巻網媛は虎か熊のようなもので、気落ちして神力と腕力が抜けてくれないと、抱きしめるだけでもおっかないのです。
「だから惚気はやめろと……産まれておらぬではないか」
「産むのが恐ろしいといっていたよ」
ご懐妊は時の運とはいえ、なにせ巻網媛は規格外なので、無意識のうちに神力で避妊している疑いがあります。
それに、たとえ妊娠と出産ができたとしても、心痛でなにが起こるかわかりません。
「また殴ってしまうと?」
「今度こそ殺してしまうかもしれない。幼子は可愛すぎて手元が狂うとぼやいていたよ」
「まさか諸悪の根源はそちらか?」
「そう、彼女が最も恐れているのは宝利や玉網の糾弾じゃない。だから謝罪させるだけじゃ駄目なんだ」
子供を殺しかけ、またいつ同じ失敗を繰り返すかわからない。
そして今度こそ死なせてしまうかもしれない。
その懊悩が巻網媛を苦しめていました。
「いつの間にか玉網が魔海対策局に紛れ込んでいたしね。どうやら、あの現場を目撃していたらしい」
「見られておったのか⁉ まさか復讐でもする気であったのか姉上は⁉」
「だろうね。隙を見つけられなくて断念したようだけど、復讐ならもう遂げていると思うよ」
しかもやりすぎです。
「心中お察し申し上げる」
「大きくなっても可愛い、しかも神力の弱い姪っ子が傍にいるだけで精神が摩耗するんだ。あの子は撫でただけで首が飛びそうなくらい華奢だからね」
「そっちか⁉ てっきり姉上の視線を恐れているとばかり思うておったぞ⁉」
「巻網はああ見えて子供好きなんだ」
玉網媛は満二十歳の立派な成人女性ですが、四十を過ぎた親戚には、まだまだ可愛いお子様に見えてしまうのです。
そしてそれは、年齢を重ねないと理解できない事でもありました。
「でも宝利が弥祖に帰ってきて、ようやく面子が揃った。すべてを解決できるのは、いましかないと思う」
「もう少し経ってからでもよいのではないか? ただでさえ長官就任と、これからの事で忙しいのだ。伯母上に負担がかかっておる時期に決行するのは、どうかと思うぞ?」
「それなんだけどね……もうすぐ神官候補と支局長候補の皇族が集まってくるから、あまり待ってはいられないんだ」
「確かに見習いたちに作法を教えるのは大変だが、そこは姉上たちに任せればよい」
「そうじゃなくて、集まる皇族の中に十歳未満の子が結構いるんだ」
虎の檻に仔山羊を放り込むようなもので、ちょっと可愛がるだけで大惨事間違いなし。
「なるほど……しかし伯父上、策はあるのか?」
「実はない」
柑子首相にしては珍しくノープランでした。
「だから知恵を貸して欲しい。代償はいくらでも払う」
「吾輩を艦長にしてくれるなら手を貸そう」
「ええっ⁉ いまとなっては難しいなあ……」
宝利は海軍に入れるには偉くなりすぎています。
ただし艦長になれるだけの技能は持ち合わせていました。
あとは資格と経験と役職と階級だけ。
……足りないものの方が多いような気がします。
「なに、十年二十年かかっても構わぬ。海軍にも拘らぬ。魔海対策庁の艦でもよい」
「時間かかるほど難しいんだけどね……まあ善処するよ。とりあえず筋道だけでも作ってみよう」
「ならば引き受けた。任せよ」
などといってますが、実は宝利もノープランです。
「済まない……」
柑子首相は台盤(お膳)に顔を擦りつけました。
「頼む、巻網を救ってくれ」




