第一章・はじめての魔海釣行・その二
巻網媛は自分の肉体が嫌いでした。
扉の上枠に頭をぶつけるほど背が高く、なにより乳房は途方もない大きさで足元が見えません。
蕃神様によると病気の一種で、外科手術以外の治療法はなし。
もちろん、いまの弥祖皇国に、そんな技術はありません。
巨大な胸が重くて重くて立ち上がるのも難しく、常に神力で全身を保持しています。
そのため巻網媛は、なにをするにも精密な神力制御を必要としていました。
そして去年の暮れ。
その日、巻網媛は運輸通信大臣を務める柑子寛輔との婚礼を終え、柑子巻網になりました。
投網皇の厚意により、式場は皇居が使用されています。
しかし臣籍降下した大臣と皇姉の婚姻ともなれば、世間の注目は必至。
薹の立った中年女など興味なかろうと、高を括っていた巻網媛は仰天しました。
三十も半ばを過ぎたとはいえ美女は美女。
普段から写真機を嫌い記者を退けていたのが災いし、いまや好機とばかりに報道陣が押し寄せたのです。
披露宴のあと公式写真の撮影が終わった瞬間に逃げ出して、人の波を潜り報道記者や挨拶にきた高官たちを撒き、神力で屋根を飛び越えて姿を晦まします。
そして、たどりついた庭の片隅で、石の腰かけで休んでいると……。
「おばさま、おばさま」
小さくて痩身で可愛らしい童に見つかってしまいました。
「まきみおばさま、庭にお花が咲いておりました」
もうすぐ数えで十二歳になる甥っ子の、宝利命です。
「おや、摘んできてくれたのではないのか?」
「それではお花が可愛そうです。なのでおばさまを連れて参ろうと思いました」
「そうであったか、それはよい心がけじゃ。では案内しておくれ」
巻網媛は頭を撫でてあげました。
「ぎゃふぅんっ!」
ぶっ飛ぶ甥っ子。
宝利の優しさと仕草があまりにも可憐で、身体制御の神力加減を誤ってしまったのです。
「な……しもうたっ!」
宝利は十間(約十八メートル半)も飛ばされて、庭木に突っ込んで鼻から血を流しています。
「……あ……ああっ!」
動転した巻網媛は、ついその場から逃げ出してしまいました。
物陰から姪の玉網媛が覗き見ていたのは知っていましたが、もうそれどころではありませんでした。
日頃から常勝無敵最強剛腕天下無双を誇っていた巻網媛は、逃避という概念を知りません。
もちろん、どこに逃げればいいのかも。
……いえ、一つだけ安息の地がありました。
つい先ほど婚礼を上げたばかりの夫、柑子寛輔の懐です。
巻網媛は必死に寛輔の神力を辿り、這う這うの体で夫のいる控室に飛び込みました。
「おや、どうしたんだい? 巻網がそんな顔をするとは珍しい」
いつも落ち着いた態度で接してくれる、そんな態度が癪に障る寛輔ですが、いまはただ心強く思えました。
そして寛輔の目前で倒れました。
あとの記憶は定かではありません。
のちに聞いた話では、仔細を知った寛輔が事後処理に奔走し、熱を出した巻網媛をつきっきりで看病し、それから燃え上がる初夜を迎えたようです。
しかし幾度の夜を共にしても、巻網媛は子を宿せませんでした。
幼子に接する恐怖を覚えたのか、あるいは天罰が下ったのかもしれません。
殴り飛ばしてしまった宝利命は、幸いにも軽傷で済みました。
ですが巻網媛が負った心の傷は、半年経ったいまでも癒える気配がありません。
少しばかりは持っていた笑顔も消え果てて、すっかり無表情になってしまいました。
夜道を歩くとたまに襲いかかってくる暴漢をぶん殴って、民家の屋根や電信柱の上に引っかけたりもしましたが、なんの気晴らしにもなりません。
そして巻網媛が務める魔海対策局に、一人の見習い神官がやってきました。
あの時、宝利を殴りつける現場を見ていた玉網媛です。
妹の投網皇がなにを思ったのか、玉網と宝利は事の真相を知らされていません。
知ったところで、どうなるものでもありません。
きっとこれが罰なのでしょう。
眠れない夜が続きました。




