第一章・はじめての魔海釣行・その三
蕃神たちの着つけをどうにか終えた玉網媛は、巫女さんたちを下がらせ、常世からきた少女たちを連れて士官室に向かいました。
海軍から貸与された魔海対策局所属の安宅船【玉髄】の士官室。
そこには半年恨んだ伯母の巻網媛が待っているはず。
「うわぁでっけぇ!」
士官室に入った瞬間、歩と名乗る少女が叫びました。
「由宇姉ちゃんよりでっけぇのは初めて見た!」
巻網媛は身の丈が六尺五寸(百九十七センチ)もある熊のような女性ですが、それ以上に目立つ巨大な乳房を持っています。
歩はもちろん、由宇と呼ばれた赤毛の少女もかなりの大きさですが、巻網媛のそれに比べたら……いえ比較しようと考えるのも馬鹿らしいほどでした。
紫の浄衣(狩衣)を纏って誤魔化そうとしているようですが、それでもパンパンに膨らんで、到底隠しきれるものではありません。
常人なら立っているのも難しいはず。
しかし探知に長けた玉網媛には、彼女が神力を纏って全身を支えているのがわかります。
当然ながら彼女の膂力は大幅に増強され、どんな大男でも敵わないほどの戦闘力を持っていました。
戦歴は常勝無敗。
餌食になった数多の男性には、彼女の夫である柑子寛輔も含まれています。
そして可愛い弟の宝利命も。
宝利はあの事件の直後、軍艦で海外視察に出たっきり弥祖に帰ってきません。
きっと柑子大臣の隠蔽工作に違いありません。
おかげで巻網媛への怨みは募る一方でした。
「此度は初陣の者が混ざっておる。儂は他の蕃神様をお連れして先に釣行へと参るが、玉網にはこの者たちの世話を頼もう」
「畏まりました」
魔海や悪樓、そして神楽杖の使い方を説明するのが今回のお役目。
初心者である玉網媛が初心者の蕃神に説明など、烏滸がましいにもほどがありますが、自信があろうがなかろうが、仕事はきっちりこなすのが玉網媛の信条です。
なにより怨み骨髄の巻網媛に勝ちたい、いずれは後を継いで、彼女を超える実績を上げたいという夢があります。
夢というより復讐ですが、神力に劣る玉網媛には、天下無双で完璧人間の巻網媛に完勝する手段が他にありません。
ただし神気図の作成による魔海発生の予報だけは、いずれ巻網媛を超える自信がありました。
探知にかけては地力が違います。
この力で魔海対策局長兼神官長の座に就けば、歴代を遥かに超える実績を作れるはず。
「タモさんタモさん、早く初めてくれよ」
「私は玉網です!」
「だって胸にタモアミって書いてあるじゃん」
魔海対策局の職員は全員、神官服の胸に刺繍で名前が記されています。
「これはタマミと読むのです!」
日本語のような、そうでないような、しかし歩にも読める文字で書かれていました。
「いいじゃんタモさんで。マキエもそう思うだろ?」
「私は小夜理です! ……うえっぷ」
小柄な少女が馬穴に吐きながら抗議しました。
「すみませ……水を……」
「悪ぃ、こいつに水かお茶をやってくれねぇか? 思う存分に吐いたら船酔いが治まるからさ」
「畏まりました。少々お待ちください」
とにかく酔いを醒まさせないと会話もままならないと判断した玉網媛は、食堂で麦茶の入った薬缶を見つけ、湯飲みを一緒に持ってきます。
「すみま……いただ……おぶぅえぇ~~~~っ!」
小夜理は湯飲みを使わず薬缶から直接お茶を飲んでは吐き、飲んでは吐きを繰り返し、数分後には普通に喋れる状態まで回復しました。
「では魔海についてご説明を……いえ、実際にご覧になられた方が早そうですね」
玉網媛は初心者用の紅い神楽杖を二人に持たせて傾斜梯子を上り、後部艦橋に出ました。
「おおっ、いい眺めじゃねぇか!」
「日光の反射ではなく、自ら光っているんですね」
二人は常世では見られない光景に興奮しています。
「そうです。あれが海上に現れる異界、悪樓蠢く魔海です」
すでに女子高生たち三人による悪樓釣りは始まっています。
「こちらをどうぞ」
歩と小夜理に、神力を利用する小型通信機を渡すと、この手の機器に慣れているのか、二人はなんの説明も聞かずに装着してしまいました。
「いまは入力のみに設定しております」
「姉ちゃんたち楽しそうだなぁ……おっ、かかったみてぇだ」
最初の魚信を得たのは三人の代表格らしき人物、日暮坂由宇。
その瞬間、悪樓の引きと重さで、玉髄が平衡を崩しました。
「うわっち!」
「な……これなんですか⁉」
驚く蕃神たち。
玉網媛も実際に体験するのは初めてなので、慌てて神力で足の裏を床材に貼りつかせます。
『やったぁ! 私が一番ねぇ!』
由宇は魚を一気にゴボウ抜き。
魔海から飛び出したのは、タイとカワハギとアジを足して三で割ったような魚でした。
「サンノジ(ニザダイ)だぁ! ……って、バケモンじゃねぇか!」
ギザギザしたファンタジーゲームの怪物っぽいアレンジが入った、魚長四十メートルほどの大魚です。
悪樓は百倍スケールなので、実際は四十センチほどなのですが、それでもじゅうぶんに大物といえるでしょう。
たかまがはらにかむずまります
すめむつかむろぎかむろみのみこともちて……
巻網媛が象牙色に塗装された第二主砲塔跡の天板に立ち、悪樓を取り込む祝詞を唱えます。
「あぁ、これ知ってる。海神祓だ」
「ご存知なのですか?」
「うちは神社だからなぁ。祝詞は必修科目なんだ」
空中でサンノジ悪樓が静止し、徐々に小さくなり始めました。
「なんなのここ……うっぷ」
小夜理はまた船酔いが始まったようです。
「ところでタモさん、ここって……もしかして異世界?」
「いままでお気づきにならなかったのですか」
「三笠でドッキリかと思ってた」
むしろ三笠がなんなのかわからない玉網媛でした。




