第一章・はじめての魔海釣行・その一
玉網媛は伯母が嫌いでした。
現女皇である投網皇の姉で、弥祖皇国運輸通信大臣夫人にして魔海対策局長兼神官長、柑子巻網。
通称・巻網媛。
豪放にして豪胆、竹を割ったように裏表のない性格と世間ではいわれていますが、玉網媛はその本性を知っていました。
去年の暮れに、愛らしい美少年だった実の弟、宝利命を、訳もなく平手で殴りつけ、その剛力と神力で十間(約十八メートル半)も飛ばしたのです。
幸いにも宝利は神力で障壁を張り、軽傷で済みました。
しかしその直後、巻網媛はあろう事か現場から逃げ出したのです。
その一部始終を、玉網媛は物陰から目撃していました。
決して許してはいけない母の姉。
決して気を許してはいけない母の姉。
可愛く美しく罪もない(数え年で)十一歳の少年を殴るなんて、たとえ蕃神様が許しても玉網媛が許しません。
しかしその巻網媛も、いまは玉網媛の上司です。
ひふみよいむなやこともちろらねしきるゆいつわぬそをたはくめかうをえにさりへてのますあせへほれけ
海よりも深き怨みはあれど、お勤めは抜かりなく果たさねばなりません。
集中、集中。
ひふみよいむなやこともちろらねしきるゆいつわぬそをたはくめかうをえにさりへてのますあせへほれけ
長い語句を一言で発声する【ひふみ祝詞】は、同じ文言を繰り返すので息は辛いものの、他の祝詞より遥かに短く単純で覚えやすく、他の巫女さんたちに合わせやすいのが長所です。
魔海対策局所属の安宅船【玉髄】、その後部主砲塔跡に設置された第二祭儀室。
満十五歳で新任見習い神官の玉網媛にとって、これが初めての蕃神召喚術でした。
ひふみよいむなやこともちろらねしきるゆいつわぬそをたはくめか……
祝詞を通して、召喚責任者の先輩神官に、神力を吸われるのを実感します。
その後、瞼を閉じていてもわかるほどの光が祭儀室に広がりました。
「ぷはぁっ!」
海水で満たされた浴槽から、山吹色の髪を持つ少女が現れました。
身長は玉網媛よりちょっと低いくらいでしょうか。
「はふっ!」
もう一人現れました。
こちらは翠の黒髪を持ち、年齢は十と少しと思われます。
「歩ちゃんたちも無事にこっちにこれたみたいねぇ。お守り渡した甲斐があったわぁ」
怪獣みたいにザバァッと現れたのは、赤毛で豊満な女性でした。
年齢は玉網媛と同じくらいか、それより少し上のようです。
「この子が先輩の妹さん?」
天然パーマの入った巻き毛の長髪が現れました。
「さっすが由宇の妹、小学生でそのバストかよ」
水面から短髪の女子も顔を出します。
「うわ姉ちゃん裸じゃねぇか!」
金髪少女は初めての召喚らしく、驚いて知人らしき赤毛に話しかけています。
「歩ちゃんだって裸よぉ? ここにはみぃんな裸でくる事になってるのぉ」
「うぇっぷ……しょっぱい」
黒髪の少女は気持ち悪そうな顔をしています。
「ちょっと飲んじゃった……うぷっ」
「うわ……やべえみんな逃げろぉ!」
金髪が浴槽から飛び出したので、先輩の巫女さんが慌てて肌襦袢をかけました。
「おっとすまねぇ」
「歩ちゃんなんで逃げるのぉ⁉」
「マキエが水飲んだ!」
「????」
「気持ち悪い……ゔえっ……」
ぐぼあっ。
黒髪が飲んだ海水を吐き出しました。
「うきゃあっ⁉」
「きたねえ!」
「この子船酔いしてるのぉ⁉」
胃の内容物までは召喚されないので、浴槽に吐き散らされたのは、ただの海水ですが、それでも祭儀室はパニック状態に。
……前言撤回、胃液が混ざっています。
「みなさん落ち着いてください! お清めの湯なら用意してございます!」
玉網媛の呼びかけは誰も聞いていません。
バシャバシャと逃げ出す赤毛、ゲ〇がこっちにこないように波で防ごうとする巻き毛、浴槽の縁に上がって猫のように毛を逆立てる短髪。
「……………………」
どんな神々《こうごう》しい方々かと期待に胸を膨らませていた玉網媛は、猿のようにキャーキャーと燥ぐ少女たちに幻滅していました。
常世とは神々の住まう神聖な世界ではなかったのか。
蕃神は神と呼ばれども宗教上の神々とは異なるとは聞いていましたが、金髪や赤毛といった珍しい風貌を持ってはいますが、中身はただの子供ではないか。
物語に書かれた蕃神たちは、もっとこう、お淑やかで優しく力強く礼儀正しかったはず。
これが……。
これが蕃神か。




