第二話 不動の男
「そいつは、俺が預かる」
村田の言葉が、張り詰めた空気の中に響いた。
俺の腕を後ろからつかんでいる茶髪の隊員が、村田へ視線を向ける。
「……村田治」
隊長が低い声で名前を呼んだ。
「あなたも確保対象です。抵抗せずに同行してください」
「断る」
村田は即答した。
「では、実力行使でいきます」
「やってみろよ」
村田は不敵に笑った。
……いや、ちょっと待ってくれ。
俺はまだ、茶髪の隊員に腕をつかまれたままだ。
目の前には、俺を連行しようとしていた女性たち。そして今、その前に村田という男が立ちはだかっている。
隊長は銃を構え、もう一人の黒髪の隊員は警棒を手にしていた。茶髪の隊員だけは俺を拘束したまま、村田の動きを警戒している。
戦闘に参加するのは二人。それに対して、村田はたった一人だ。
普通に考えれば、圧倒的に不利な状況のはずだった。
「確保を実行してください」
隊長の指示と同時に、黒髪の隊員が動いた。
警棒を構え、一気に村田との距離を詰める。
狙いは肩か、それとも腕か。素人の俺にはわからなかったが、かなり速い一撃だった。
それでも、村田は避けなかった。
警棒が肩に届く寸前、村田の身体を覆うように透明な膜が現れる。
ガンッ!
硬いもの同士がぶつかったような音が響いた。
警棒は村田の身体に触れることなく、見えない壁に弾かれた。
「なっ……!」
黒髪の隊員が体勢を立て直そうとする。
だが、その隙を村田は見逃さなかった。
「遅いな」
村田が踏み込み、拳を握る。
次の瞬間、その拳が隊員の腹部にめり込んだ。
「ぐっ……!」
隊員の身体が折れ、苦しげな息が漏れる。
村田は追撃せず、相手が後退するのを見届けてから、隊長へと顔を向けた。
「村田治! 攻撃をやめなさい!」
隊長が銃を構える。
「そっちが先に仕掛けてきたんだろ」
村田は平然と言い返した。
その態度には、焦りも緊張も感じられない。
「警告はしました」
銃声が響いた。
俺は思わず肩をすくめた。
だが、村田は微動だにしなかった。
透明な半球状の壁が、その身体を包み込んでいる。
銃弾は壁にぶつかり、硬質な音を立てて弾かれた。そのうちの一発が隊長の足元へと跳ね返る。
隊長はすぐに射線を外し、距離を取った。
「……《反射壁》」
彼女は冷静に能力の名を口にした。
「ああ。知ってるなら話が早い」
村田は肩をすくめた。
「これ以上やっても無駄だろ?」
「能力を把握していることと、確保を諦めることは別です」
隊長は銃を構えたまま、黒髪の隊員へ目配せした。
隊員は苦しそうに腹部を押さえながらも、再び警棒を握り直す。
二人が左右に分かれた。
隊長が銃で牽制し、黒髪の隊員が側面から接近する。村田の注意を分散させ、一瞬でも隙を作ろうとしているのだろう。
隊長が引き金を引く。
銃弾が《反射壁》に弾かれた。
ほぼ同時に、黒髪の隊員が警棒を振り下ろす。その一撃も透明な壁に阻まれ、弾き返された。
村田は避けない。
銃弾も、警棒も、半球状の壁に触れた瞬間に反射される。村田の身体には、かすり傷ひとつない。
「くっ……!」
黒髪の隊員が体勢を崩した瞬間、村田が踏み込んだ。
今度は相手の胸元を狙って拳を突き出す。
隊員はとっさに腕を上げて防ごうとしたが、衝撃を受け止めきれず、数歩後ろへ押し戻された。
村田はそれ以上追わず、再び正面を向く。
攻撃を受けても、避けない。
《反射壁》で攻撃を跳ね返し、相手に隙ができれば、自分から拳を叩き込む。
守りに徹しているわけではない。相手の攻撃を受け止めながら、確実に反撃の機会をうかがっているのだ。
「これが……魔法?」
俺は呆然とつぶやいた。
三十歳まで童貞のままでいると、まれに魔法が発現する。
そんな話は知っていた。
けれど、実際に魔法を目にする日が来るなんて、考えたこともなかった。
しかも、目の前でそれを使っているのは、俺を助けに来た男だ。
村田は一歩も退いていない。
相手の攻撃を避けることなく、正面から受け止めている。
その姿を見て、ふと、先ほど隊長が口にした名前を思い出した。
村田治。
そして、彼女たちが知っていた、もう一つの呼び名。
――不動。
攻撃を受けても、決して退かない男。
この戦い方を見ると、その名がついた理由もわかる気がした。
「隊長」
黒髪の隊員が、息を整えながら声をかけた。
「このままでは、制圧は困難です」
隊長はすぐには答えなかった。
銃撃も、警棒による攻撃も、《反射壁》に阻まれて通用しない。それどころか、接近すれば格闘で反撃される。
二人は能力を把握したうえで攻め方を変えている。それでも、今の装備と人数では突破口を見つけられずにいた。
隊長は村田を見据えたまま、短く息を吐いた。
「……全員、攻撃を中止」
黒髪の隊員が警棒を下ろす。
「現在の戦力では制圧できません。これ以上の交戦は中止し、撤収します」
「了解」
隊長は銃を下ろした。
それから、俺を拘束している茶髪の隊員へ指示を出す。
「対象者を解放してください」
「了解」
茶髪の隊員が、俺の腕から手を離した。
ようやく自由になった腕をさすっていると、村田がこちらへ歩いてきた。
透明な壁は、すでに消えている。
「大丈夫か?」
「あ、はい……。ありがとうございます」
「ならいい」
村田は俺の様子をひと目確かめると、肩に手を置き、自分の後ろへと引き寄せた。
そのまま俺を背にかばうように立ち、隊長へ視線を向ける。
「こいつは俺が連れていく。異論はないな?」
「今回の撤収は、あなたへの確保を断念したという意味ではありません。佐久間大輔さんも、引き続き調査対象です」
「好きにしろ。だが、こいつを渡す気はない」
村田の声から、さっきまでの軽い調子が消えた。
隊長は彼を数秒見つめたあと、静かに告げた。
「撤収します。全員、戻ってください」
オヤジ狩り隊は、武器を構え直すこともなく、その場を去っていった。
彼女たちの姿が見えなくなってから、俺はようやく息を吐いた。
「た、助かった……」
全身から力が抜ける。足が震えているのが、自分でもわかった。
さっきまで、俺は国家治安維持局の女性たちに連れていかれるところだった。
それを村田が正面から受け止め、戦い、俺を取り返してくれたのだ。
「おい、立てるか?」
村田が声をかけてくる。
「だ、大丈夫です。たぶん……」
「なら、ここを離れるぞ」
「えっ、どこへ?」
「俺たちのアジトだ」
「俺たち……?」
嫌な予感がした。
そういえば、村田は自分のことを「チェリーの人間」だと言っていた。
チェリー。
名前だけ聞けば、かわいらしい果物を思い浮かべる。けれど、オヤジ狩り隊の反応を見る限り、そんなのんきな名前に似合う組織ではないらしい。
「あの、チェリーって……」
「詳しい話はあとだ。ここを離れるぞ」
村田は歩き出しかけて、ふと思い出したように振り返った。
「そうだ。佐久間大輔」
「は、はい?」
「お前、俺たちの組織に入らないか?」
「……はい?」
何を言われたのか、すぐには理解できなかった。
「入るって……どこに?」
「チェリーだ」
「いやいやいや! ちょっと待ってください! 俺、今初めて会ったばかりですよね!?」
「そうだな」
「そうだな、じゃなくて!」
思わず声が大きくなる。
ついさっきまで、俺は国家治安維持局の女性たちに連行されそうになっていたのだ。
それが今度は、助けてくれた男から謎の組織に勧誘されている。
展開が急すぎる。
「なんで俺なんですか?」
そう尋ねると、村田は一瞬だけ、何かを考えるような顔をした。
だが、すぐにいつもの調子に戻る。
「お前には、チェリーに来てもらう理由がある」
「その理由って何ですか?」
「それも、着いてから話す」
またそれか。
「今、教えてくれてもいいじゃないですか!」
「ここで話すことじゃない」
村田はそれだけ言って、今度こそ歩き出した。
納得できる説明は何ひとつなかった。
それでも、村田は俺を連れ去ろうとしたオヤジ狩り隊を退け、その手から取り返してくれた。
この男を信用していいのか、まだ判断はつかない。
けれど、今はほかに頼れる相手もいなかった。
俺は小さく息を吐き、村田の後を追った。
* * *
村田に連れられてたどり着いたのは、古い雑居ビルが並ぶ一角にある、小さな店だった。
店先には衣類を預けるカウンターがあり、壁際には洗剤やハンガーが並んでいる。
看板には、控えめな文字で「クリーニング」と書かれていた。
どこにでもありそうな、何の変哲もない店だ。
少なくとも、秘密組織の拠点には見えない。
「……ここですか?」
「ああ」
村田は迷うことなく店の奥へ進んだ。
「ちょっと待ってください。ここ、普通のお店ですよね?」
「そう見えるな」
「いや、そう見えるなって……」
店内に客の姿はなかった。
村田はカウンターの奥に回り、壁際の棚に手を伸ばした。
洗剤のボトルが並ぶ棚の端に、目立たない小さなスイッチがある。
村田がそれを押すと、低い機械音が響いた。
次の瞬間、棚がゆっくりと横へ動き始めた。
「……え?」
棚の向こうに現れたのは、地下へと続く階段だった。
俺は口を開けたまま、しばらく動けなかった。
「な、何ですか、これ!?」
「入口だよ」
「いや、それは見ればわかりますけど! なんでクリーニング屋の奥に地下への入口があるんですか!?」
「目立たないからだろ」
「そういう問題ですか!?」
「そういう問題だ」
村田は当然のように答え、階段を下り始めた。
俺はもう一度、店内を振り返った。
普通のクリーニング屋。その奥に、地下へ続く秘密の階段。
どう考えても普通ではない。
けれど、ここまで来て引き返すわけにもいかなかった。
俺は覚悟を決め、村田の後を追った。
階段は思ったよりも長かった。
下りるにつれて、店の外の音が遠ざかっていく。代わりに、低く響く機械音が少しずつ大きくなってきた。
やがて階段の先に、重厚な金属製の扉が現れた。
扉の横には、見慣れない認証装置が取り付けられている。
村田は慣れた手つきで装置に手をかざした。
短い電子音が鳴る。
続いて、扉の奥から重い駆動音が響き、金属扉がゆっくりと開いていった。
その向こうには、明るい照明に照らされた地下通路が続いていた。
白い壁。天井に設置された監視カメラ。一定の間隔で並ぶ照明。
通路の奥からは、人の話し声や機械の作動音が聞こえてくる。忙しそうに行き交う人影も見えた。
外から見た小さなクリーニング屋とは、まるで別世界だった。
ここは、ただの隠れ家ではない。組織が活動するための設備が整った、本格的な拠点らしい。
「ここがチェリーの拠点だ」
村田が振り返った。
「……これ、全部地下にあるんですか?」
「そうだ」
「こんな場所、どうやって作ったんですか……?」
「その話も含めて、これから説明する」
村田は通路の先へ目を向けた。
「まずは中に入れ。紹介してやる」
俺はもう一度、地下通路を見渡した。
朝、目を覚ましたときには、いつもと変わらない誕生日になると思っていた。
それが、国家治安維持局に連行されかけ、魔法を使う男に助けられたあげく、秘密組織の拠点に連れてこられることになるとは。
三十歳の誕生日に、いったい何が起きているんだ。
「おい、佐久間。早く来い」
「あっ、はい!」
俺は慌てて村田の後を追い、金属扉をくぐった。
村田が、なぜ俺をチェリーに誘ったのか。
その理由を知るのは、もう少し先になりそうだった。




