6話
冒険者登録を終え、組合を出ると、空はすでに夕焼け色に染まっていた。
石畳が赤く照らされ、昼間の喧騒が少しずつ落ち着いていく。
「今日はもう休みましょう」
隣を歩く女神が言う。
「怪我もありますし、無理は禁物です」
確かに身体はまだ万全じゃない。
森での逃走の疲労が、動くたびにじわりと主張してくる。
案内されたのは、組合近くの宿。
冒険者向けらしく質素だが清潔で、どこか落ち着いた空気があった。
「一部屋お願いします」
女神が受付に告げる。
俺は何気なく聞き流しかけて――固まった。
「……一部屋?」
女神は当然のように頷く。
「はい。一部屋です」
「いや、ちょっと待て。俺は一人で――」
女神が静かにこちらを見る。
「お金、ありませんよね?」
言葉が刺さる。
何も言い返せない。
登録料も街の入場料も、全部この女神が払った。
俺は今、完全に無一文だ。
「別々の部屋は難しいですね」
にこり、と笑う。
その笑顔に反論は通じない。
「……わかったよ」
泣く泣く、だ。
部屋は二階の角部屋だった。
木製のベッドが二つ並び、小さな窓から月明かりが差し込んでいる。
静かだ。
組合の荒々しい空気とは別世界のように。
俺はベッドに腰を下ろし、少し黙ったあと口を開いた。
「……なんで同じパーティ組んだんだよ」
改めて聞く。
女神は窓の外を見たまま答える。
「言いましたよね。あなたが死んだら寝覚めが悪い、と」
「それだけか?」
振り返った女神の目が、わずかに細くなる。
「あなたは、まだ未完成ですから」
嫌な予感がした。
ゆっくりと近づいてくる。
「未熟で、細くて、危うくて……今にも折れそうなのに、確実に伸びる余白がある」
目が輝いている。
昼の時と一緒だ。
「ちょっと待て」
「こういうの、私の癖なんですよね〜」
頭に手が乗せられる。
撫でられる。
ゆっくり、じっくり、堪能するように。
「守ってあげたくなる感じとか、強がってるのにまだ小さいところとか……たまらないんです」
「やめろ」
さらに撫でる。
髪を指先で梳かれ、額をなぞられる。
「自分でもどうかと思うんですけど、可愛がりたくなっちゃうんですよね」
「やめろおおおおお!」
思わず叫ぶ。
だが、両肩を軽く押さえられただけで動けない。
力の差が歴然だ。
「反抗してるのに逃げられないところも、私の好みです」
頬を軽くむに、と摘まれる。
「可愛いですね」
「可愛くない!」
「可愛いです」
即答。
暴れても、ひょいと抑えられるだけ。
完全に子供扱いだ。
しばらく堪能したあと、女神はようやく手を離した。
満足そうだ。
「そういえば」
ふと思い出したように言う。
「まだ名乗っていませんでしたね」
真っ直ぐこちらを見る。
「私の名前は、ルミエラです」
月明かりが横顔を照らす。
「冒険者としてもその名で登録しています。そう呼んでください」
ルミエラ。
女神、じゃなくて。
少し間を置いてから言う。
「……わかったよ、ルミエラ」
その名前を口にすると、彼女は柔らかく微笑んだ。
「はい、リベル」
ベッドに横になる。
隣の気配が近い。
落ち着かない。
けれど、不思議と心細さはなかった。
「明日は依頼を受けましょう」
ルミエラの声が静かに響く。
目を閉じる。
冒険者としての最初の夜は、少し騒がしく、けれど穏やかに更けていった。
ーーーーーーーーーー
翌朝。
まだ眠気の残る身体を引きずりながら、俺とルミエラは冒険者組合へ向かった。
昨日の夕方とは違い、建物の前からすでに人で溢れている。
扉を開けた瞬間、熱気と怒号が飛び込んできた。
「それ俺が先に見てた依頼だろ!」
「早い者勝ちだ!」
掲示板の前では依頼の取り合いが起きていた。
紙を引き剥がす音。
押し合う音。
朝は戦場らしい。
「すごいな……」
思わず呟くと、ルミエラは平然としている。
「朝は依頼の更新直後ですからね。条件の良いものはすぐ無くなります」
なるほど。
だが俺はF級だ。
そもそも選べる依頼が少ない。
人混みの隙間を縫うようにして、掲示板の端へ移動する。
F級でも受けられるものを探そうと目を凝らした、そのとき。
「新人はこっちだよ」
聞き覚えのある声。
振り向くと、昨日の姐さんが受付カウンターの奥から手招きしていた。
「あ、姐さん」
近づくと、姐さんは呆れたように笑う。
「F級があそこに混ざったら潰されるよ」
確かに。
「F級はね、ほとんど雑用だから掲示板に貼らないで受付管理なんだ」
「そうなのか?」
「ああ。だから今後もしばらくは、あたしのところに来な」
にやりと笑う。
頼もしい。
「昨日登録したばっかだろ?最初は慣れないんだからさ」
そう言って、カウンターの下から紙束を取り出す。
「薬草採取。街の外、南の林。危険度は低め。どうだい?」
横を見ると、ルミエラが頷く。
「最初の依頼としては妥当ですね」
俺も頷いた。
「それでお願いします」
姐さんはペンを走らせながら、ふと思い出したように顔を上げる。
「あ、そうだ。まだ名乗ってなかったね」
軽く胸を叩く。
「あたしはエミル。ここの受付嬢だ」
「エミルさん」
「さんはいらないよ。エミルでいい」
そう言って笑う。
姐さん改め、エミル。
「よろしくな、新人」
依頼書を受け取り、俺たちは組合を出る。
外の空気は朝の冷たさをまだ残していた。
「街の外ですね」
ルミエラが静かに言う。
「冒険者としての、最初の仕事です」
薬草採取。
地味だが、確実な一歩だ。
俺は依頼書を握り直した。
「行こう」
こうして、冒険者としての最初の依頼が始まった。




