4話
森を抜けてから、どれくらい歩いただろうか。
太陽は頭上を越え、少し傾きはじめている。
街道は踏み固められた土の道で、ところどころに馬車の轍が残っていた。
人の気配もある。
前方から荷馬車が来て、すれ違うこともあった。
そのたびに、俺は無意識に道の端へ寄った。
視線を感じる。
ちらり、と。
露骨に、じろじろと。
少女が一人。
森の方角から。
服は裂け、腕には傷。
土と汗で汚れている。
怪しまれない方がおかしい。
それでも、誰も声はかけてこなかった。
関わらないほうがいい、とでも言うように。
やがて――
遠くに、石の壁が見えた。
高い。
灰色の石を積み上げた巨大な城壁。
その中央に、大きな門。
「……街」
思わず足が止まる。
本当にあった。
幻じゃない。
人がいる。
煙が上がっている。
屋根が連なっている。
文明だ。
喉の奥が、じわりと熱くなる。
生き延びられるかもしれない。
そう思った瞬間、足の震えがようやく自覚できた。
門の前には、列ができていた。
商人らしき男。
荷物を背負った旅人。
剣を下げた男たち。
俺は、最後尾に並ぶ。
視線が刺さる。
前に並んでいる中年の男が、ちらりとこちらを見る。
後ろに並んだ若い女が、ひそひそと何かを囁く。
「一人……?」
「森から来たのか?」
「怪我してないか、あれ」
聞こえる。
聞こえてしまう。
居心地が悪いけど、列を抜けるわけにはいかない。
街に入れれば、どうにかなる。
半日ほど歩いた。
腹も減っている。
喉も渇いている。
もう森には戻れない。
門番が一人ずつ確認しているのが見える。
何かを提示させている。
紙……いや、板か。
木の札のようなもの。
やがて、俺の番が来た。
目の前に立つのは、鉄製の兜を被った男。
槍を持ち、無表情でこちらを見る。
「身分証の提示を」
低い声。
「……身分証?」
聞き返してしまう。
門番の眉が、わずかに動く。
「登録証、通行証、商会札。いずれかを提示しろ」
持っているわけがない。
俺は首を横に振る。
「ありません」
周囲の空気が、少しだけ変わった。
門番はため息をつく。
「初入街か」
うなずく。
「ならば入街税だ。千ジル」
「……ジル?」
聞き慣れない単位。
だが、金が必要なのは分かる。
ポケットに手を入れる。
女神から渡された、あの小さな革袋。
あれがあれば。
まさぐる。
……ない。
反対側のポケット。
ない。
胸元。
ない。
「……あれ?」
嫌な感覚が、背中を這い上がる。
もう一度、両手で探る。
布の感触だけ。
何もない。
「どうした」
門番の声が冷える。
「い、いや……その……」
森。
坂。
転倒。
転がった。
「あ……」
落とした。
魔物から逃げる途中で。
血の気が引く。
「金がないなら入れん。次だ」
門番が横にずれる。
後ろの男が前へ出ようとする。
俺は動けない。
街が、目の前にある。
あと数歩で、届く距離にある。
なのに。
「……ちょっと待ってください」
声が震える。
「後払いは――」
「できん」
即答。
列の視線が集まる。
痛い。
情けない。
森で死にかけて。
やっと辿り着いて。
金がないから入れない?
「……」
言葉が出ない。
どうする。
戻る?
森に?
無理だ。
あそこにはあいつがいる。
今度こそ死んでしまう。
呆然と門の前で立ち尽くしていると、後ろから聞き覚えのある声が聞こえてきた。
「困っているようですね」
振り返ると、白いローブを身に纏った女性。
柔らかな微笑み。
光を含んだような瞳。
間違いない。
「おまえ…なんでここに…」
思わず出た言葉に、自分で少し驚く。
敬語が出なかった。
……もういいか。
神様だろうが何だろうが、森で死にかけたんだ。遠慮してる場合じゃない。
女神は楽しそうに目を細めた。
「まあまあ、いったんいいじゃないですか」
軽い。
あまりにも軽い。
こっちは森で死にかけて、金を落として、門前払いされているというのに。
女神は門番の前へ進み出る。
「この子の分も払います。千ジルですね」
革袋から銀貨を数え、差し出す。
さらに、胸元から木製の札を取り出した。
門番の態度が一瞬で変わる。
「……確認しました。お通りください」
重い門が開く。
街のざわめきが、波のように流れ込んでくる。
俺は半ば呆然としたまま、石畳を踏んだ。
中に入った途端、膝の力が少し抜ける。
助かった。
けど――
隣を歩く女神を睨む。
「で?なんでここにいるんだよ」
女神は少し視線を泳がせた。
「流石に、あのスキルで生きられるか心配だったんです」
「……」
「だから、私も下界に降りてきました」
さらっと言う。
怪しい。
「見守り?」
「ええ、まあ……そんな感じです」
そんな感じって何だ。
石畳の通りを歩く。
屋台の匂い。
行き交う人々。
俺は横目で女神を見る。
「ほんとにそれだけか?」
女神は少しだけ笑う。
「あなたが死んだら、寝覚めが悪いですから」
冗談っぽいが、どこか本音も混じっている。
追及しきれない。
俺は息を吐き、自分の顔を指差した。
「じゃあこれは?」
女神はきょとんとする。
「これ?」
「体。外見。少し変わるって言ったよな」
一拍。
そして。
「ああ、それは私の趣味ですね」
即答。
足が止まる。
「……は?」
女神は嬉しそうに語り始める。
「転生って滅多にない機会なんですよ? どうせなら理想を形にしたいじゃないですか」
「理想?」
「ええ。まず肌は透明感重視。光の加減で柔らかく見える質感に。骨格は細めですが華奢すぎない。将来しっかり筋肉が乗る余白を残しました」
余白って何だ。
「瞳は少し大きめに。感情が出やすい方が物語性がありますから。あと、中性的なラインは絶対外せません」
「物語性って何だよ」
「成長が映えるんです」
真顔だ。
「戦闘特化に振ることもできましたよ? でも完成形スタートは美しくないでしょう?」
「俺の人生なんだけど」
「努力で変わる余地。未完成のアンバランスさ。あの年頃特有の危うさ。最高です」
熱量が上がっている。
目が本気だ。
「身長はあえて抑えました。急激に伸びる余地を作るためです。変化ってドラマですから」
「設計図みたいに言うな」
「髪色も悩みました。もっと明るくするか、落ち着いた色にするか。最終的に、光を受けて柔らかく見える色味に」
「そこまで考えたのかよ」
「もちろんです。第一印象は七割外見ですから」
理屈は正しい。
方向が完全に狂っている。
「……俺、展示品?」
「違います。最高傑作です」
即答。
一歩下がる。
引く。
完全に引いている。
女神は満足そうに頷いた。
「ちゃんと鍛えれば、かなり映えますよ?」
「映えなくていい!」
通行人が振り向く。
俺は声を落とす。
女神はくすくす笑う。
「でも安心してください。強くなれる設計です」
「設計って言うな」
額を押さえる。
森で死にかけたのに。
命の恩人が、ただの造形フェチかもしれない現実。
「……ほんとに趣味だけか?」
女神は少しだけ表情を和らげる。
「それだけじゃありませんよ」
「ほらな」
「あなたがどう生きるのか、見ていたいんです」
さっきまでの熱量とは違う、静かな声。
一瞬だけ、本気が混じる。
それ以上は聞かない。
すると女神が前を指差した。
「着きました」
視線を上げる。
石造りの大きな建物。
人の出入りが多い。
入口の上には、交差する剣と盾の紋章。
ざわめきが外まで漏れている。
「……ここは?」
「冒険者組合です」
女神は当然のように言う。
「あなたの物語は、ここから本格的に始まります」
森とは違う、別種の圧。
俺はその建物を見上げる。
チートじゃない。
金もない。
頼れるのは、趣味全開の女神。
「……まじかよ」
女神は楽しそうに微笑んだ。
「ええ。まじです⸻




