135 褒美
扉に目を向けると、そこに立っていたのは陛下だった。
視線を泳がせ、立ちすくむ姿からは、ただならぬ気まずさが滲んでいた。
「兄上!?」
「陛下・・・?」
「いや、すまない。アルバートたちが帰ってきたと聞いたものだから、嬉しくてつい・・・」
「い、いえ、別に構いませんよ」
「うむ・・・。いや、邪魔をして悪かった」
「い、いや、そんなに気になさらないでください」
「まさか、私もあんな状況とは思わなったものだから・・・」
「そ、そんなことありません。何もありませんし、大丈夫です」
「・・・・・・・・・すまんな、アルバート」
肩をすぼめて恐縮する陛下を、アルバート様が焦るように取りなしている。
相手の確認もなしに扉を開けるのは、王族ならではの癖なのだろうか。
ベスもノックをせずに入ってきたし、イザベラ様は形だけのノックだった。
私も立ち上がり、カーテシーをしようと腰を屈めたが、陛下は笑ってそれを制した。
「そんなことをせずともよい。私たちは、親戚になるのだろう?」
「は、はい」
「イザベラも、可愛い義妹ができたと喜んでいた。私も、君のような優しい義妹ができて嬉しく思っている」
私を認めてくれるかのように、陛下がそっと目を細めて微笑んでくれた。
そう言ってもらえるのは嬉しいけれど、陛下と会ったのはベスを迎えに来たほんの一瞬だけだった。
私の人柄なんて知る由もないだろう。
「それにしても、わざわざ私の部屋までいらっしゃるとは、どうしたことですか?」
「ああ、せっかくだから、アンナ嬢と話をしにきたのだ」
「そうですか。わかりました」
アルバート様がそのままソファに腰を下ろそうとすると、陛下は軽く眉を寄せ、困ったように小さく息をついた。
「アルバート、すまない。私はアンナ嬢と話がしたいのだ」
「ええ、ですから一緒に・・・」
「悪いが、二人きりにしてもらえないだろうか」
「え?兄上、それはどういうことですか?」
アルバート様も驚いているけれど、私だって陛下のお願いには驚いた。
これから親戚になるとはいえ、陛下と二人きりで話すとなると、やっぱり緊張する。
「私だって、アンナ嬢とゆっくり話がしてみたい」
「それは・・・、食事のときに話せばいいでしょう?もうすぐ食事の時間ですよ」
「イザベラがいるのだ。それに、子どもたちもな。ゆっくり話すなんて、できるわけがないだろう?」
「では、私も一緒に・・・」
「アルバート。少しの時間でいいから、お願いできないか?」
(・・・・・・陛下は私に話があるのよね)
イザベラ様がそうだったように、陛下もアルバート様と結婚する私のことを知りたいのだろう。
陛下からすれば、どこの馬の骨かもわからない令嬢だ。
その気持ちは十分にわかる。
私に気を遣ったのか、アルバート様はそっと陛下を部屋の隅に誘い、低く囁くように耳打ちを始めた。
何を話しているのかは分からないが、陛下の表情には、ほんのわずかに困惑の色が漂っている。
「兄上。申し訳ないのですが、私もアンナ嬢とゆっくり話がしたいのです」
「アルバートは、いつでも話せるだろう?」
「話せていたとお思いですか?」
「・・・・まあ、イザベラがいる限り、無理だろうな」
「それもありますが、いつも邪魔されてばかりだったのです」
「そうなのか?」
「ええ。ですから・・・」
「邪魔ばかりされるとは、アルバートも可哀想にな」
「そう思うなら、遠慮していただけますか?」
「私もか!?私も邪魔をしたのか?」
「・・・いや、先ほどご自分で邪魔をしたと言いましたよね?」
(・・・多分、私を気遣って、陛下と二人きりにならないようにしてくれているのよね)
アルバート様が耳打ちするたびに、陛下の眉が大げさなほどにぴくりと動いている。
こんなことで、陛下の機嫌を損ねたくないし、兄弟喧嘩をして欲しいわけでもない。
そっと二人のそばに行き、アルバート様に声をかける。
「アルバート様。私も、陛下とお話がしたいです」
「しかし・・・」
「ほら。アンナ嬢もそう言ってくれている」
「ですが・・・」
「アルバート。10分でいいから」
「10分もですか?」
アルバート様の非難めいた声に、陛下はぱちりと目を大きく開いた。
10分は短いと思ったが、アルバート様にとっては長かったのだろうか。
意外にも、アルバート様はイザベラ様と同じくせっかちなのかもしれない。
「・・・では、5分。5分ならいいだろう?5分経てば、食堂にアンナ嬢と一緒に行く。アルバートは、食堂に先に行ってくれないか?」
「・・・・・・・わかりました。5分ですよ。それ以上は待ちませんからね」
アルバート様は心配そうに私の顔を見るが、にっこりと笑っておく。
私がそれ以上何も言わないので、しぶしぶと頷き、アルバート様は部屋を出て行った。
「まったく。イザベラから聞いていた通りだな」
陛下はアルバート様が開け放していった扉を見ながら、苦笑いしている。
私の戸惑った顔に気付いたのか、笑いながらソファに座るよう勧めてきた。
恐る恐るソファに腰をかけ、陛下とテーブルを挟んで対面する。
緊張で、手が少し震えた。
「ベスとアルバートが、世話になったな」
「えっ、あ、いいえ。特に何もできなくて」
「いや。そんなことない。ベスは、毎日君たちのことを楽しそうに話しているよ。どうやら得難い経験をしたようだ」
「えっ?そうですか?」
大したもてなしはできなかったけれど、そう聞くとやっぱり嬉しかった。
セオドアたちが聞いたら、きっと喜ぶことだろう。
「あの子が一番興味を持ったのは、乗馬だな。おかげで、ロバを買わされた。毎日自分でロバの世話をして、乗馬を楽しんでいるよ。まあ、小さいながらに見事に乗るものだ。妻や侍女たちは、ハラハラしているようだがね」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
(ベス!!お願いだから、もう少し考えて!!)
大人の反応を気にせず、自分の好きなことに夢中になれるのは子どものいいところだ。
でも、もう少し自分が一国の王女であることも考えてほしかった。
どこの世界に、自分でロバの世話をして乗り回す王女がいるだろう。
おかげで、冷や汗が背中までじわりと滲む。
「も、申し訳ありません」
「いや、別に構わない。おかげで、ベスの興味の幅が広がったようだ」
「そ、そうですか。でも、王女殿下に相応しくないことを教えてしまい、本当に申し訳ありませんでした」
「そう謝る必要はない。まあ、妻は驚いているがね。でも、ベスの楽しそうな様子を見ていると、それでいいかと思うから不思議だ。それに、いかに私たちがベスを型に当て嵌めようとしていたかがわかったよ」
「型に・・・?」
「今までベスに、王女としての振る舞いを強制していた。7歳の子どもには、少し厳しかったかもしれない」
「でも、ベスの将来を考えたら・・・」
「ああ、そうだな。そのさじ加減が難しい。王女としての教育は施しつつも、本人の好きなことは全力で応援しようとは思っているよ。だけど、本当にこれでいいのかと、つい考えてしまうがね」
(・・・・・・難しいわよね)
陛下もベスの教育についてどうするべきか迷っているのか、少し困ったように笑みを浮かべている。
言葉にするのは簡単でも、実際に手を引いて導くとなると、思った以上に難しいのだろう。
きっと母たちも、そうして迷いながら育ててくれたのだろう。
「それよりアンナ嬢。ベスたちを助けてくれた褒美がまだだっただろう。褒美を取らそう」
「え、いいえ。本当に結構です」
「まあ、そう言わず。礼を受け取って貰えぬとあっては、私の気持ちも収まらない」
「でも・・・」
「イザベラからは受け取っているではないか。私からも、ぜひ贈らせてくれ」
(・・・・・・・受け取るべきよね)
イザベラ様も、同じようなことを言っていた。
あまりお礼を固辞してしまうと、逆に失礼になってしまうかもしれない。
「では、遠慮なくいただかせてもらいます」
「何がいい?爵位でも、金でも、宝石でも、好きなものを言うがいい。さすがに王冠はやれんがな」
陛下が、自分の王冠を指し示しながら、どこか悪戯っぽい笑みを浮かべた。
本当に親しみやすく、明るい方だ。
この方の明るさがあったからこそ、アルバート様の心は、少しずつ救われていったに違いない。
(・・・・・・いただくとしたら、何がいいかしら?)
爵位が上がれば名誉は増すが、それと同時に責任と制約が重くなる。
研究に没頭したいオリバーが、不相応な爵位を与えられても困るだろう。
お金はあって困るものではないが、使ってしまえばおしまいだ。
そうなると、このタンザナイトのように、子孫に残せる宝石だろうか。
何がいいのかを必死に考えてみても、どうしても結論が出ない。
眉間に皺を寄せて黙り込む私に、陛下が安心させるように微笑みかけた。
「自分の心に問うて、一番欲しいものを言うがいい。なんでも叶えよう」
(・・・・・それなら、答えはでてるわね)
公爵邸でお金の使い道を考えた時に、ぼんやりとだが頭に浮かんだものがある。
そしてそれは、王都での出会いや経験を通じて、私の中で、一つの夢になった。
「陛下。私は『機会』が欲しいです」
「きかい?」
「はい。私は政策に関わる機会が欲しいです」
「アンナ嬢が政策に・・・」
思っていた答えではなかったのか、陛下は難しい表情を浮かべ、考え込み始めた。
(・・・・・・それはそうよね)
この国では、女性が政治に関わることなど皆無に等しい。
だからこそイザベラ様は、傀儡として利用されることを恐れ、自分を偽り続けてきた。
(・・・まあ、無理よね)
王族になるとはいえ、王弟の妃が政策に関わることなんて前例がない。
歴代の王女だって、政治は王配や重臣任せだったはずだ。
「・・・・・・・・・・・・・ああ、わかった」
「え?『わかった』って、いいのですか?」
「ああ。構わない」
「ほ、本当にいいのですか?私、一子爵家の娘ですし、学院も出ていませんけど!?」
「・・・アンナ嬢が、そう願ったのだろう?」
「は、はい。あの、でも、まさか本当に聞いていただけるとは思っていなかったので」
「叶わないと知ってて、願ったのか?」
「え、いえ、ダメ元でと思っていたものですから・・・」
「ははっ。本当に面白い娘だな。何でも叶えると国王である私が言ったのだ。今さら、できないとは言えないだろう?」
「・・・・・・・・・申し訳ありません」
陛下を試す意図はなかったのだが、正直なところ、本当に叶えられるとは思っていなかった。
「以前の私なら、断っていただろうよ。でも、私はベスの父親だからね」
「あ・・・」
王位継承順位第一位のベスは、将来的には女王になる。
ただ、慣例では王女の王配が政治を取り仕切り、王女は政策決定には携わらない。
一見、女王は責任を免れているように見えるが、その実、全責任を負っている。
もし私がベスの立場だったら、人に任せて自分が責任を取らねばならないくらいなら、自分で舵をきりたい。
「女性が積極的に政策に関わっていく姿をベスに見せたい。それをどう捉えるかは、本人次第だけどね。それに、そんなにはっきりと口にするということは、アンナ嬢には、政策に関わりたい理由があるのだろう?」
「・・・・・・はい。学びを」
「え?」
「民の教育に、力を尽くしたいと考えています」
「・・・この国は、教育に力を入れていないと言いたいのか?学院には惜しみなく投資をしているし、優秀な者には奨学金を出して留学もさせている。私の政策だけでは不服か?」
「いいえ。そのようなことは思っていません。ただ、私は経済的な事情で学院に進めませんでした。それがどれほど悔しく、悲しいことだったかを身をもって知りました」
「・・・すべての貴族の子女に教育を、とういうことか?」
「いいえ。貴族だけではなく、平民にも教育を施したく思っています。これまで、平民が知識がないばかりに、思わぬ不利益を被っているのを見てきました。だから、すべての民が教育を受けられるようにしたいと考えています」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
「うちは子爵家ですが、私は平民に近い暮らしをしています。だから、民が何が必要で、何を欲しているかは、地位のある方たちよりも、よくわかっているつもりです。民が望んでいるのは、知識です。知識があれば、よりよい生活が送れるようになります」
「・・・・・・・・そうか」
リリー様の知識のなさを、呆れるように言ったイザベラ様。
高金利から金を借り、犯罪に手を染めた者を自業自得だと言ったアルバート様。
幼い頃から教育を受けた王侯貴族には、知識のなさがどんなことに繋がるのか想像がつかないだろう。
(・・・学べばできるようになるわけでもないけどね)
もし、学ぶ機会があっても、結果は同じだったかもしれない。
現に国際情勢をよくわかっているはずの先代国王は、リリー様に心を移して国を危機に晒した。
でも、機会がなければ人は学べない。
鳥も虫も、野生の生き物は、生きる術を生まれながらに知っているが、人間は学ばないと生きていけないのだ。
「教育の効果は目には見えませんし、実際お金もかかります。無駄と思われるかもしれません。成果が出るのは10年後。・・・いえ、もしかしたら、20年後になるかもしれません。でも、きっと国の力になると思います」
「・・・・・・・100年かかったそうだ」
「え?」
「サイレニアだ。サイレニアが全国民に普通教育を施して、成果が見えたのが30年。技術大国になるまで、100年の月日がかかったそうだ」
「100年・・・」
「すべての民に教育を施すとなると、国の財政的負担が大きい。それに小国のサイレニアは国王の意見が隅々まで届くが、うちは国土が広く、人口も多い。国力はあるが、その分まとまりには欠ける。サイレニアのようには、なかなかいかないだろうな」
「・・・・・・そうですか」
陛下の意見を聞いて、これは無謀な試みだったかもしれないと唇を噛む。
私ごときが、簡単にできることではないのだろう。
ただ、そう思いながらも、諦めきれない自分がいた。
「私も、すべての民に教育を施そうと考えたことはある。でも、一部の家臣が反対してできなかった」
「反対?どうしてですか?」
「第一に、金がかかりすぎる」
「そうですよね・・・」
「うちも、そう財政に余裕があるわけではないからな。国の施設も随分と古くなっていて、改修を迫られている。まずは、先立つものが必要だ」
(すっごく、よくわかるわ)
父が学校を作ったとき、どれほどお金がかかったことか。
それに、作るだけでは済まず、維持費のことでいつも頭を抱えていた。
「第二に、有能な一部の者が全体を導いた方が上手くいく」
「えっ?そんなこと・・・」
「私はそうは思っていない。でも、そういう考えもあるということだ。ドルネイルはまさにその考えだが、あの国も、それなりに栄えている」
「・・・・・・・・・」
「まあ、あそこは民が知識や判断力をつけたら、権力の維持ができなくなるからな。自らの権力を維持するため、意地でも知識を分け与えたりはしないだろう」
北の大国ドルネイル。
民は知識を制限されているが、強国であることは間違いない。
「第三に、下々の者には、教育を受けるだけの能力がそもそもない」
「それは違うと言わせてください!うちで働いているセオドアは平民ですが、私たちと同じ教育を受けました。文武共に優秀で、騎士団の試験に優秀な成績で合格しました。生まれは関係ありません!」
(お願いだから、セオドアを馬鹿にしないで!)
平民を馬鹿にするのは、セオドアを馬鹿にするのと同義だ。
セオドアは自分のことを頭が悪いと思っているようだが、比べる対象がオリバーだからだ。
難関だと言われる騎士団に合格したセオドアだって、十分に賢い。
そして剣の腕は、ほぼ貴族子息が占める騎士団の入団者の中でも群を抜いている。
あの子の努力のことは、私が誰よりもよく知っている。
「・・・・・・アルバートも、同じことを言っていたな」
「では・・・」
「ただ、上層の教育に集中した方が、効率的ではある」
(やっぱり、無理ってこと!?)
求める理想と現実の差が大きすぎるのだろうか。
陛下は眉を顰めたままだった。
「それに、国が負担する割合が増えると民は甘え、努力しなくなる」
「そんなことは・・・」
「あるだろう?現に補助金を出した当初は喜んだが、次はもっと、もっと・・・、と、要望は留まるところを知らない。なかなか難しいものだな」
「・・・・・・・・・・・・・」
確かに補助を受けることが当然になったら、努力を怠るようになるかもしれない。
こんなにも、政治というのは難しいのだろうか。
「・・・それでも、すべての民に教育の機会を与えようと、アルバートと話をしていたところだ」
「え?」
「アルバートも、民の生活を肌で感じて、色々と考えることがあったらしい」
(・・・・・・一応、うちは貴族なんですけどね)
顔に出さなかっただけで、アルバート様はうちの暮らしぶりに驚いていたのかもしれない。
「アルバートは王都に戻ってきてすぐに、重臣たちを説得するために、民の生活状況や他国の事例を調べ始めた。まだ専門家の助言を集めたり、リスクの洗い出しをしている段階だ。方針を決定するのは随分先になるが、そこにアンナ嬢も参加すればいいだろう」
「・・・・・・いいのですか?」
「ただ、やりがいはあれど、大変だとは思うがな。本当に褒美はそれでいいのか?」
「はい!ありがとうございます」
「それにしても恐れ入ったな。アンナ嬢の願いが、こんなに高尚なものだとは思わなかった。随分と高い志を持っているのだな」
「・・・・・・・・・いえ。そのようなことはありません」
陛下が額に手を当てて驚いたように私を見るが、別に高尚でもなんでもない。
私の願いは民のためになるだろうが、民のためだけを思ったものではない。
学びの大切さを信じ、すべての領民に教育の機会を与えようとしたお父様。
そして、経済的な事情で学びたくても学院に行けなかった私。
誰か一人でも、学べて良かったと言ってくれる者がいたら、それだけで私の心は救われるような気がしたのだ。
陛下にこの気持ちを説明しようとした瞬間、可愛らしい声が響いた。
お読みいただきありがとうございました。
日本で教育の成果が目に見えて現れたのは、明治維新から30年後だったと言われています。
技術大国と呼ばれるようになったのは、1960年代ですから、やはり100年ほどかかりますよね。




