134 道
「王宮って、広いですね・・・」
一体どのくらいの広さがあるのだろう。
延々と続く長い廊下を、ただひたすら歩き続ける。
メイファ公爵邸も十分に広いと思ったが、王宮の規模はそれをはるかに凌いでいた。
いつまで歩いても、目的の部屋に辿り着ける気がしない。
「この広さと警備の中、よく誰にも見つからず、ベスは抜け出しましたよね」
廊下には、護衛の騎士たちが等間隔で並んでいる。
夜とはいえ、これだけ厳重な警備をされているのにも関わらず、よく誰の目にも触れずに王宮を抜け出せたものだ。
「ああ、ベスは抜け道を通ったからね」
「・・・そうでしたね」
「ん?ベスが、君にそう言ったのか?」
「え、ええ。そう聞きましたけど」
「人に話してはいけないのに・・・。まあ、仕方がないか。君だから、ベスもつい口が滑ったのかな」
(そういえばベスは、『秘密の抜け道』と言っていたわね)
余計なことを言ってしまったと慌てて口に手を当てると、アルバート様はどこか楽しそうに、苦笑いしながら私を見つめていた。
この様子なら、ベスが叱られることはなさそうだ。
アルバート様は、私に説明するような口調で、言葉をそっと付け加えた。
「王宮には、王族しか知らない抜け道があるんだよ」
「なんでそんなものを用意しているんですか?」
「暗殺の危機に晒されることもあれば、暴動で襲われることもある。そうした事態を想定してのことだ。抜け道があれば、そこから逃げられるだろう?」
「・・・・・・さらっと怖いこと言うのは、止めてくれませんか?」
「後で君にも、抜け道の場所を教えておくよ」
(聞いておくべきだけど、ホントに使う機会なんてあるの!?)
アルバート様と結婚して、王族として生活するのが恐ろしくなってきた。
追いかけられる自分を想像してぶるっと震える私に、アルバート様が安心させるように言ってくる。
「そんなに心配しなくてもいい。普段は、まず使うことはないだろう」
「当たり前です。そんな怖いこと、頻繁にあったら困ります」
「私も使ったのは、二回だけだ」
(えっ?そんなに使ったの?)
アルバート様の21年間の人生の中で、それだけ使えば十分ではないだろうか。
そんなに王宮は怖い所なのかと恐怖に震えたが、アルバート様の次の言葉で安心した。
「ベスの後を追いかけたときと、兄上とカワセミを見に行ったときだけしかない」
「・・・そうですか。でも、まだ小さいのに、ベスも抜け道の存在を知っていたんですね」
「ああ。普通ならもう少し大きくなってから教えるのだが、兄上が教えたらしい。抜け道を通り、兄上と二人でこっそり鳥を見に行っていたそうだ」
(ベスが行方不明になったのって、陛下にも責任があるんじゃない?)
親子で警備の目をかいくぐり、仲良く鳥を見に行っていたのだろうか。
微笑ましくもあるが、陛下やベスに何かあれば、国全体が大混乱に陥る。
いくらおおらかな陛下でも、これは度が過ぎている。
「緊急時以外には絶対に使うなと、兄上とベスにはきつく釘を刺しておいたよ」
「それがいいと思います」
「義姉上とエリオット団長が鬼の形相で二人を締め上げていたから、きっと大丈夫だろう」
「・・・でも、ベスなら、きっとまた使いそうな気がしますけどね」
自分の目的のために、慣れないロバに乗って遠出しようとしたベスだ。
イザベラ様に似たのか、あの子は変なところで行動力がある。
「・・・・・・そうだな、気をつけておこう。子どもは何かと秘密の通路が大好きだからな」
「どうして子どもって、秘密の通路が好きなんでしょうね」
「そうだね。きっとその先に、面白いものがあると信じているからだろうね」
(私も子どもの頃は、そうだったしね・・・)
私たち三人も、洞穴や木々が生い茂った道を見つけるたびに、冒険心をくすぐられて探検していた。
大人になるとその先にある恐ろしいものを想像するのに、子どものときには、楽しいものが待っていると何の疑いもなく信じていた。
成長して知識が増え、苦い経験をするうちに、自然の怖さを実感するようになった。
予測できない自然は、本当に恐ろしい。
思わぬところで足を取られ、何度肝を冷やしたことだろう。
いや、自然だけの話ではない。
世の中で、自分の思い通りに物事が進むことなど、本当にあるのだろうか。
「・・・・・・アルバート様、ヘンリー様の披露宴に一緒に来てくださって、ありがとうございました」
「ああ、急にどうしたのだ?別にそんなことは気にしなくていい」
「いいえ。気にします。私、今回のことで、自分がいかに甘かったかを痛感しました」
「別に甘くはないだろう」
「いえ。甘かったです。黙って耐えているだけでは、身を守ることはできませんよね」
「・・・・・・・・・そうだな」
ヘンリー様の披露宴の招待を受けた時、私はただ自分が耐えればいいと思っていた。
もちろん対策はしたつもりだったが、今振り返ると、十分とは言えなかった。
「理屈が通じない相手もいますしね」
「・・・ああ、そうだな」
(きっと、アルバート様はわかっていたのよね)
今回アルバート様がいてくれたから何も起きなかったが、いなかったらどうなっていただろう。
もしアルバート様が披露宴についてきてくれなければ、ホランド伯爵に脅され、上手く丸め込まれていたかもしれない。
現にホランド伯爵は、アルバート様がいてさえ、私を都合のいい駒のように扱おうとしていた。
もし一人で出席していたら、どれほど理不尽な要求をつきつけられていたことか、考えるだけでぞっとする。
「対抗する手段って、多い方がいいですよね」
「そうだな」
対抗手段を持っていても、必ず勝つとは限らない。
でも、持っていないよりはましだろう。
私が自分の意思で自由に振る舞えるようになるためには、力をつけなければならない。
「アルバート様、私、今すごく学びたいです」
「・・・・・・突然どうしたのだ?」
「ヘンリー様の披露宴に行くにあたって、アルバート様をはじめ、いろいろな方に助けてもらいました。私には、経験も知識も、そして心構えさえも不足していました。せめて、アルバート様の足を引っ張らずに済むよう、しっかり学びたいのです」
「君は、十分できている」
「いいえ、まだまだです。上手く言えないんですけど、たくさん学んで、自分の力で立てるようになりたいんです」
ダニエル様の話法、イザベラ様の行動力、そして、アルバート様の豊かな知識。
それらを見習い、心から自分のものにできたとき、ようやく誰にも指図されずに、思うままに振る舞える自由を手に入れられるのだと思う。
「・・・そうか」
「ええ。これから、精一杯学んでいきたいと思います」
「・・・・・・頼むから、倒れない程度にお願いするよ」
きっと私が無理をして、倒れたことを思い出したのだろう。
アルバート様は、眉を顰めて小さくため息をついた。
「大丈夫です。一度限界を迎えていますからね。自分のことは把握してますよ」
「・・・ほどほどにな」
(そんなに心配そうな顔をしないでも、大丈夫よ)
一度倒れた経験があるからこそ、自分の体力の限界は理解している。
気力ですべてが補えることなんて、絶対にないのだ。
もう無茶はしない。
私が微笑みかけると、アルバート様は仕方がないと言いたげに、穏やかな笑みを返してくれた。
足が疲れてきた頃、ようやくアルバート様が、一つの部屋の前で足を止めた。
ここが目的の部屋だったのだろうか。
厚い木製の扉の表面には精緻な彫刻が施され、それだけで王族の威厳をひしひしと感じさせた。
「ここで、食事の支度が整うまで待って居よう」
「わかりました」
(・・・アルバート様の執務室なのかしら?)
重厚な机の上には、書類が山と積まれているし、書棚には、本がぎっしりと詰まっている。
打ち合わせ用のソファとテーブルがあるが、そのテーブルの上にも整然と書類が並んでいた。
そばのインク壺には、蓋を開け閉めした名残が残っている。
いかにも仕事しかないようなこの部屋で、唯一の救いといえば、大きな窓だろうか。
アルバート様が座るよう促してくれたので、遠慮なく座らせてもらことにする。
大きなソファに座って外を見れば、窓から見えた木々の葉は、光を浴びて美しく反射していた。
「アンナ嬢。指輪は外れたか?」
「あ、今から外してみます」
手をできるだけ上に上げるようにしていたおかげで、むくみが引いた気がする。
手で回すように引っ張ると、意外にもすっと指輪が抜けた。
ホッとしつつ、アルバート様に指輪を手渡す。
「ご心配をおかけしました。無事に指輪が外れました」
「それは良かった。すぐにサイズを確認して直させよう」
(・・・申し訳ないけど、当分必要ないわ)
高価な指輪をつけて、私が仕事をできるとは到底思えない。
指輪の存在が気になって、仕事どころではなくなるのは目に見えている。
できることなら、婚約式のときまで預かっていて欲しいくらいだ。
(・・・・・・そう、私には、責任もってやり遂げないといけない仕事があるわ)
アルバート様のためにも立派な妃になろうと意気込んだが、その前にやるべきことがある。
結婚するからと言って、今までの私の仕事を放りだすわけにはいかない。
だけど、うちの仕事を続ければ、アルバート様に迷惑をかけることはわかりきっていた。
私は、これからどうするべきだろう。
「ピーヨ、ヒーヨ・・・」
「ヒーヨヒーヨヒーヨ」
思わず考え込んでいたが、ヒヨドリの鳴き声がやけに賑やかで、現実に引き戻された。
アルバート様もその騒々しい声に、苦笑いしている。
「ヒヨドリの声が聞こえますね」
「ああ、そうだな。ヒヨドリを見ると、タイラーを思い出すよ」
「・・・・・・それ、本人には言わないでくださいね」
「ああ、わかっている」
笑いを堪えるかのようなアルバート様を、横目で睨んでおく。
ヒヨドリは、秋になると実のなる木を求めて人里や庭園によく現れるようになる。
これからの季節、王宮でも沢山のヒヨドリを見ることができるだろう。
(自然の少ない王都だから、生き物もあまりいないと思っていたけど、探せば案外どこにでもいるものね)
生き物は環境に適応し、強く、逞しく、自分たちが生きていける場所を見つけているのだ。
そこでしか生きられないと思えば、必死に自分を適応させるのだろう。
(・・・・・・できない言い訳を探すのではなく、やれるよう努力すべきよね)
鳥や虫にできることなら、私にだって、できないはずがないのだ。
大丈夫、私はまだまだ頑張れるはずだ。
どんなに大変な道でも、やるべきことから決して逃げてはならない。
「アルバート様、お願いがあります」
「ああ。改まってどうしたのだ?」
「申し訳ありませんが、私に時間をください」
「時間?」
「はい。本当なら、すぐにでもアルバート様の妃として、必要なことを学ばないといけないと思います。でも、今すぐに王宮で妃教育を受けることはできません」
「・・・・・・何かあるのか?」
「ええ。まずはオリバーと話し合いをしたいのです。今後のことは、それから考えさせてください」
「話し合い?」
「ええ。卒業後は、当然のようにオリバーが当主になるものだと思っていました。ですが今は、あの子なりに、別の道を考えている気もするのです」
オリバーは、うちで領主の仕事をこなしつつ、あくまで趣味として研究に取り組むものだと思っていた。でも、ルーシー様は、迷いなくサイレニア語で書かれた専門書を選んでいた。
きっとオリバーは、もっと高みを目指し、技術大国サイレニアに留学したいと考えているはずだ。
「そうなのか?」
「・・・ええ。多分、ですが。オリバーの友人が、オリバーへの贈り物として勧めてくれた本は、サイレニア語で書かれていました」
「サイレニアは、科学技術の研究が盛んだったな・・・」
私がアルバート様と結婚すれば、うちは当主不在となる。
そうなれば、あの子は留学への道を諦めるに違いない。
どうすれば最善の方法が見つかるか、お互い話し合う必要があるだろう。
「サウスビー領のことなら心配しなくていいよ。私が手を打とう」
「ありがとうございます。でも、まずはオリバーとしっかり話し合います。その後、改めてアルバート様にご相談させていただけますか?」
「・・・・・・ああ、わかった」
「それから、養蜂場のこともあります。ダニエル様に融資をしていただく時に、全力でやり遂げるとお約束したんです。途中で投げ出すことはできません」
「それも私が・・・」
「ええ。アルバート様に相談に乗ってもらうと思います。だけど、その前に自分たちで考えるべきだと思うので、もう少し時間をください」
ダニエル様だって、この事業に関わっているのだ。
まずは、当事者である私とダニエル様が話し合うべきだろう。
「・・・・・・そうか」
「最初からアルバート様に頼ったほうが、物事がスムーズに進むことはわかっています。でも、最初から頼るのは、違うような気がするのです」
「・・・わかった」
「先ほど足を引っ張らないようにしたいと言いながら、早速引っ張るような真似をして、申し訳ありません」
「いや、それはいい」
アルバート様は、視線をそっと下に落とした。
足りないところばかりの私なのだ。
本当なら、一日でも早く妃教育に取り掛かってほしいだろう。
それに、私の仕事についても、アルバート様に任せた方が早いのだから、すべて任せるべきだと諭されるものだと思っていた。
けれど、アルバート様は何も言わなかった。
「アルバート様のせっかくの好意を無下にして、申し訳ありません」
「気にすることはない。私の方こそ、王族の妃という立場に君を置くことで、負担をかけているのだ。これからどうすればいいのか、一緒に考えていこう」
「本当にすみません・・・」
「そんなに謝らなくていい。それに私は、責任を持って仕事をやり遂げようとする君の姿が、とても好きなのだ。君は、君が思うままに行動すればいい」
「・・・私のことを尊重してくれて、ありがとうございます」
「そんなことは、当たり前だ」
不甲斐ない自分と、アルバート様の優しさが胸に込み上げ、涙が出そうになって慌てて俯いた。
アルバート様が静かに私の隣へ腰を下ろし、躊躇うように滲んだ涙を親指で優しく拭ってくれた。
私を気遣うその仕草に、不思議と胸の奥にこわばっていた緊張が、ゆっくりと解けていく。
こんなにも愛してくれる存在に、胸の奥が静かに熱を帯びていく。
「私、アルバート様と出会えて、本当によかったです」
「アンナ嬢・・・」
どこか切なさを帯びた声にそっと顔を上げると、アルバート様の瞳には、私だけが映っていることに気付いた。
その澄んだ眼差しに見つめられ、胸が静かに高鳴る。
綺麗なアルバート様の顔が、迷うように、それでも確かに近づいてきた。
(・・・・・・・・・どうしたのかしら?)
息が触れ合うほどの距離まで近づいたところで、アルバート様はぴたりと動きを止めた。
不思議に思ってその瞳を覗き込むと、戸惑いの色が静かに揺れている。
思わず首を傾げると、私の気持ちを探るかのように、深い瞳でじっと見つめられた。
問いかけようと口を小さく開いた瞬間、まるでそれを遮るかのように扉が開いた。
お読みいただき、ありがとうございます。
ブクマ、評価をしていただき、ありがとうございました。
「フロンドの乱」では、王宮の警護を破り、民衆がルイ14世の寝室まで侵入したと言われています。
作中のアンナは驚いていますが、やはり備えは必要ですよね。
誤字のご指摘ありがとうございます。
該当箇所を修正しました。助かりました。




