133 再会
「・・・なんで、オリバーがいるの!?」
「それはこっちの台詞だよ。姉さんこそ、どうしてアルバート殿下と一緒にいるのさ」
ホランド伯爵邸を出たその瞬間、こちらへ駆け込もうとしていたオリバーと正面から鉢合わせし、心臓が跳ね上がるほど驚いた。
この時間なら、オリバーはまだテストの最中のはずだ。
「オリバー!?貴方、テストはどうしたの!?」
「あ・・・」
「まさかテストを放り出して、ここまで来たの!?」
「いや・・・」
「どうしてこんなことしたのよ!?」
焦るあまり、オリバーの肩を揺すって問い詰めた。
だが、オリバーは落ち着いた様子で、しかも白けた瞳を私に向けてきた。
「・・・・・・姉さんを心配して駆け付けてきた弟に向かって、そんなこと言う?」
「えっ、だって、卒業できなかったらどうするのよ!?」
「大丈夫だよ。テストはちゃんと受けてきたよ」
「う、嘘よ。だって、そんなに早く終わるわけないでしょう?」
卒業できなかったらどうするのだ。
元々生活はギリギリの状態で、これ以上、一年間分の学費と生活費を送る余裕はない。
「テスト開始から30分経てば、教室から出られるんだよ。さっさと終わらせて出てきたから、大丈夫だよ」
「そ、そうは言っても、そんな短い時間でちゃんと解けたの?」
「当たり前だよ。僕を誰だと思っているのさ。あのエリート揃いの学院で、ずっと主席なんだよ」
大した自信だが、不思議とオリバーが言うと納得できる。
この子の賢さは、誰もが認める折り紙つきだ。
「そ、それならいいんだけど」
「それより姉さん。僕、アルバート殿下にご挨拶をしたいんだけど。その様子だと、姉さんがお世話になったんだよね?」
「あ、ああ、そう、そうね」
オリバーは一瞬躊躇うように、私の隣に立つアルバート様に視線を向けた。
驚きのあまり、すっかりアルバート様の存在を忘れてしまっていた。
それにしても、自分からアルバート様に挨拶をしようとするなんて、オリバーも随分成長したものだ
「初めまして。サウスビー家当主アンナの弟のオリバーです」
「ああ。アンナ嬢から君のことはよく聞いているよ。随分優秀らしいな」
「恐れ入ります。王都では、姉がお世話になったようですね。ご迷惑をかけて申し訳ありませんでした」
「別に構わない。アンナ嬢は、私の婚約者だからね」
いつも冷静なオリバーの目が一瞬だけ固定され、ゆっくりと私に視線を戻した。
私の顔を確認すると、オリバーはきっちりと一拍の間を置き、やがておもむろに口を開いた。
「・・・・・・姉さん、僕はそんなこと聞いてなかったよ。アルバート殿下と知り合いになったと手紙に書いてあったけど、婚約者だったの?」
「あ、えっと、うちで知り合って、その、昨日婚約したの」
「知り合いって・・・。アンナ嬢、私たちはあの時、友人ではなかったのか?」
アルバート様が傷ついたような口調で言ってくるが、今はオリバーと話をしているのだ。
ややこしくなるので、話に入ってくるのは止めて欲しい。
「え、なんか、王弟のアルバート様を『友人』というのはおこがましくて・・・」
「なぜ君は、そう自分を卑下するのだ」
「いや、そういうわけではないのですが、説明がちょっと手紙では面倒だったというか・・・」
「面倒!?」
「いや、だって・・・」
「君は面倒だからといって、説明を省くようなことをするのか?」
「えっと・・・」
「まあまあ、お待ちください」
アルバート様の説教が始まりそうだと嫌な予感がした瞬間、オリバーが割って入った。
さすがオリバーだ。
空気は読まないが、無駄な時間を嫌うことは一貫している。
「お二人の間に何があったのはわかりませんが、仲がいいのはわかりました」
「・・・・・・仲がいいって」
(お説教されそうになっただけだけど?)
アルバート様は、オリバーの言葉になぜか嬉しそうに頷いて矛を収めた。
オリバーは、私とアルバート様の顔を交互に確認すると、小さくため息を漏らした。
「一応、確認しておきたいんだけど。姉さん、セオドアはいいんだね?」
「セオドア?どういう意味?今、どうしてセオドアの名前が出てくるのよ?」
「ああ、別に気にしなくていいよ。僕もセオドアも、姉さんが幸せになることが、何よりの願いだからね」
(何なのよ。相変わらずわけがわからないことばかり言う子ね)
戸惑っていると、オリバーがアルバート様に向かって深々と頭を下げた。
身分に忖度しないこの子が、こんなに頭を深く下げることがあったのかと驚いてしまう。
「アルバート殿下。少し鈍いところもありますが、私にとっては大事な姉です。どうか姉をよろしくお願いいたします」
「ああ、勿論だ」
(鈍いってどういうことよ・・・)
そしてアルバート様も、私が「鈍い」と言われたのに聞き返さなかったことから、そう思っているのだろうか。
なんだか釈然としない気分だ。
「姉さん。僕たちは、今後のことについて話し合わないといけないね」
「え?あ、ああ、そうね。でも、今日は陛下から食事に呼ばれているの。せっかく来てくれたのに悪いんだけど、今日はオリバーとの時間が取れないのよ。予定通り、明日会うということでいいかしら?」
「ああ、もちろんだよ。それに、僕もこれから予定があるんだ」
「予定?」
「うん。アスター家の昼食に招かれているんだ」
「アスター家に?」
オリバーが振り返った少し先には、アスター家の馬車が停まっていた。
馬車の扉にもたれかかり、ダニエル様は、ぼんやりとキンモクセイを見つめていた。
香りに心を預けるように、どこか遠くを思う目をしている。
「あ・・・、ダニエル様」
私たちの視線が自分に向けられたのを感じたのか、ダニエル様がこちらを振り返った。
ダニエル様は顔に微笑みを浮かべると、背筋をまっすぐに伸ばし、静かに足を進めた。
「ダニエル様が、どうしてここに・・・?」
「姉さん、ダニエル様が僕をここまで連れてきてくれたんだよ」
「え?」
「朝登校したときに、ルーシー嬢から言われたんだ。解答用紙を提出したら、ダニエル様がホランド伯爵邸まで馬車で送るから、裏門に行くようにって」
「そうなの・・・?」
(なんでそんなんことをしてくれたのかしら・・・?)
私とオリバーに恩を売ったところで、アスター商会の利益からしたら大したことはない。
それよりも、人脈のあるホランド伯爵に睨まれたほうが、アスター商会にとってはずっと困るのではないだろうか。
困惑しているうちに、ふと気づくと、ダニエル様が目の前に立っていた。
目にうっすらと疲れが見えるが、風邪はもう治ったのだろうか。
その微笑みは何を思っているか分からず、心の内はまったく読めなかった。
「ダニエル様、わざわざオリバーを連れてきてくださって、ありがとうございました」
「いいえ、いいんですよ。味方は一人でも多い方がいいでしょう?アルバート殿下がいらっしゃるから大丈夫だと思っていましたが、念のためにオリバー様もお連れしただけです」
「本当にありがとうございます。体調も良くないのに、お手数をおかけして申し訳ありません」
「体調?」
「風邪を引かれていましたよね?」
「・・・ああ、そうですね。お気遣いありがとうございます。薬を飲んで、一晩寝たら治りましたよ」
「そうですか。それは良かったです」
私の顔に目を留めたダニエル様は、いつもの柔らかい笑みを浮かべた。
求婚前と同じ、あの頃と同じダニエル様の態度に、思わずほっと息をついた。
「わざわざアンナ嬢のために来てくれたのか?」
「ええ、少しでもアンナ様のお役に立てればと思ったものですから」
「そうか。私からも礼を言う。ありがとう」
「本当にありがとうございます」
お礼を告げるアルバート様に頭を下げた後、ダニエル様はふっと優しく目を細めた。
「アンナ様、見立てた私が言うのもおかしいですが、その青いドレス、とてもお似合いです」
「ありがとうございます。こんなに美しいドレスを纏うのは初めてなので、本当に嬉しいです。他の色も素敵で・・・」
「素敵でしょう?この青は、昔は王を象徴する特別な色とされ、王族以外の者が身に纏うことは許されなかったのですよ」
「そうなんですね。道理で美しいはずですね」
「ネックレスもイヤリングも美しいですが、特にその薬指のリングによく映えていますね」
「あ、ああ、これですね。あ、ありがとうございます」
目敏いダニエル様は、私の薬指に光るブルーダイヤモンドに気付いたらしい。
気恥ずかしくなり、思わず指先で指輪を軽く覆い、視線を逸らしてしまった。
ダニエル様は、私の照れた様子が面白かったのか、瞳が見えなくなるほど瞼を細めて笑った。
「アルバート殿下、アンナ様。ご婚約、おめでとうございます」
「あ、ありがとうございます」
「ああ、ありがとう。これからもアスター商会には世話になると思うが、よろしく頼む」
「ええ、お任せください。今後とも、どうかアスター商会をお願いします。では、お二人のお邪魔をしてはいけませんし、オリバー様、私たちも失礼しましょうか?」
「そうですね。では、姉さんもまた明日ね。アルバート殿下、僕たちはここで失礼します」
「ええ、またね」
オリバーに手を振った瞬間、風が吹き、キンモクセイの甘い香りが漂った。
思わず笑顔の母が脳裏によぎる。
おそらくオリバーの胸にも同じ思いがあったのだろう。
目線をキンモクセイに向け、懐かしそうに目を細めた。
「いい香りだよね、姉さん」
「ええ、そうね」
「・・・・・・家のこともいろいろあるだろうし、次の休みには家に帰ろうと思っているよ」
「うん、わかった」
オリバーとダニエル様は背を向け、馬車へと歩いて行った。
二人の後ろ姿を見送りながら、ふわりと漂うキンモクセイの香りに、懐かしさで胸がいっぱいになる。
この香りは、私たち姉弟にとって特別なものなのだ。
だが、どこか最近も嗅いだような気がして、急に胸がざわついた。
何か、大事なことをオリバーに伝え忘れたような気がする。
(・・・・・・・・・・・・そうよ!ルーシー様よ!!)
この甘い香りは、ルーシー様のつけている香水と同じ香りである。
ルーシー様は、オリバーを狙うと呟いていた。
今アスター商会に向かえば、オリバーはルーシー様に、いやこの兄妹に結婚を迫られるかもしれない。
オリバーが圧力に屈するわけないと思うが、この兄妹、決して一筋縄ではいかないだろう。
「あ、ま、待って。ねぇ、ちょっと待って!オリバー、お願いだから待って!!」
「姉さん、そんなに慌ててどうしたの?」
「あ、い、いえ、あの、その・・・」
(どうしよう。ダニエル様もいるのに、求婚されるかもしれないから気をつけてとは言いにくい!)
オリバーに、なんと声をかけていいかわからない。
焦る私を、オリバーもダニエル様も、不思議そうに見つめている。
「あの、あ、明日はテスト最終日なんでしょう?その、勉強はいいのかな、と思って」
少しでもアスター家から抜け出す口実を作ろうとした途端、ダニエル様が私の意図を見透かしたかのように、片頬を上げて笑った。
「ええ。ですから、オリバー様は昼食後、ルーシーと一緒に勉強していただく予定です」
(えぇぇぇ!?逃げて!オリバー、逃げて!!多分、それ、ダニエル様の罠!!!)
オリバーに危険を必死に伝えようと口を開けるが、言葉は出てこない。
スタンリー先生から手旗信号は習ったけど、まさかこの場で旗を持ち出すわけにはいかないだろう。
「え、あ、あの、その・・・・・・」
「どうしたの、姉さん?」
「あ、あ、あの・・・・・・」
「何を言いたいのか、よくわからないよ。きちんと言葉で伝えてくれる?」
(それができたら苦労しないわよ!)
オリバーに文句を言いたいが、おかしそうに見ているダニエル様の前では、とても言えるわけがない。
私が焦る意味がわからないアルバート様は、ただ事態を静観しているだけだ。
「・・・・・・あ、あの、も、モズって小さくて可愛いけど、ど、獰猛よね?」
(お願い!これでわかって!!)
ルーシー様は、なんとなくモズに似ている。
私たち姉弟の感覚は大体同じだから、伝わるのではないかと望みをかけた。
私の気持ちが通じたのか、オリバーはくすっと笑った。
「・・・・・・大丈夫だよ、姉さん。僕、モズって好きなんだ」
「あ・・・、そう?そうなの?オリバーが好きならいいんだけど・・・」
「うん、好きだよ。モズって可愛いよね。小さいのに負けん気が強いところが、僕、本当に好きなんだ」
(・・・そういえば、今まで聞いたことがなかったわよね)
初めてオリバーの女性の好みを知った。
何でもオリバーのことは知っていると思っていたが、姉であっても知らないことはたくさんあるのだと実感した。
迷いなくオリバーへの本を選んだルーシー様は、きっと私の知らないオリバーのことをよくわかっているに違いない。
「・・・オリバー様、そろそろ行きましょうか」
「ええ、お待たせしてすみません」
再びダニエル様たちが、アスター家の馬車へと歩みを進める。
いつの間にか逞しくなったオリバーの背中を、私はじっと見送った。
離れている間、この子はどれほど成長したのだろう。
もう、いつまでも私の後ろをついてきたオリバーではないのだ。
その成長の喜びと、守ってきた者が巣立っていく寂しさが、同時に胸を襲ってきた。
「それにしても、オリバー様も小鳥がお好きとは知りませんでした」
「もしかして、ダニエル様もお好きですか?」
「ええ。必死で頑張る姿が可愛くて、つい応援したくなる」
「とてもよくわかります」
二人は互いに笑顔を交わしながら、和やかに話を続けている。
オリバーはダニエル様が苦手だと思っていたが、意外にも二人は気が合うらしい。
会話の意味がわからなかったのだろう。
二人を見送りながら、アルバート様は私に問いかけるように呟いた。
「・・・・・・モズ?」
「目の端に黒い筋がある、小さくて可愛い・・・、猛禽類です」
「それは知っている。なぜ、モズの話題を出したのだ?」
「・・・・・・内緒です。種明かしができる日まで、楽しみに待っていてください」
不思議そうに首を傾けるアルバート様を見ながら、自然と口から笑いが出てくる。
(オリバーがいいなら、いいんだけど)
明るくよく笑うルーシー様と、落ち着いたオリバーは、意外にもお似合いかもしれない。
元気で押しの強いルーシー様なら、どんな場所でも逞しく生き抜けそうだ。
私にちょっと我儘で可愛い義妹ができるかもしれないと思うと、嬉しかった。
お読みいただき、ありがとうございました。
ブクマ、評価、誤字のご指摘をしていただき、ありがとうございました。
キンモクセイの花言葉は、「真実の愛」の他に「初恋」「陶酔」「気高い人」という言葉があるそうです。
また、猛禽類の目元が黒いのは、日差しの反射を防ぐためだと言われています。




