忍び寄る影(10)
「朔さんって、外の人間には素っ気なくて冷たいんだけど、内に入れた人間に対しては情が深いのよね。その中でも、一番深い部分に入れた更紗さんに対しては、もうとんでもなく甘くなるような気がするんだけど、実際はどんな感じ?」
「は、春南さんっ!」
春南の顔は、完全に揶揄っているそれである。興味津々と顔に大きく書いてあった。
「だって! 陽と結婚してから、女の子と恋バナするなんてことなかったし、久しぶりなんだもの! それに、朔さんにはまだまだ謎も多いし、いろいろ聞いてみたいわ!」
「もぅ……」
言われてみれば、更紗も同性とそんな話をするなど、いつぶりだろうか。少なくとも、社会人になってからはほぼなかったといっていい。元彼と付き合い始めてからは、付き合っていることを隠していたこともあり、できるだけそういう話には関わらないようにしてきた。
「でも、春南さんの気持ちもちょっとわかります……」
「でしょ!」
春南が嬉々として更紗の手を握ったその時だった。背後に途轍もなく不穏な空気が感じた。ひりつくような緊張感と悪寒が身体中を駆け巡る。春南を見ると、彼女の顔も緊張で強張っていた。
「ギャウッ! ギャウギャウッ!」
ツキがそちらに向かって激しく吠える。ツキのこの反応から、二人の背後には恐ろしい何かがいる。背後には拝殿がある。そこに何かがいるというのか。
後ろを見るのが怖い。だが、このまま背を向けていては危険だ。
更紗と春南は顔を見合わせ、小さく頷く。そして意を決し、二人同時に振り返った。
「ひっ……」
喉を締められたような声。更紗の様子がおかしいと感じた春南は、すぐさま更紗を背に庇う。
二人の目の前には一人の男がいて、こちらを見ていた。何の変哲もない男だ。ゾッとするような怪しい気配がしたのはほんの一瞬で、それはすぐに消えた。今となっては、先ほどの気配が彼から発せられていたものかはわからない。
というのも、その男からはすでに何も感じなくなっていたのだ。ごくごく普通の一般人。怪しげな雰囲気は欠片もない。
「更紗さん、大丈夫?」
「……っ」
にもかかわらず、更紗の怯え方は尋常ではなかった。彼には何かあるのだ。
春南は戸惑いながらも、更紗を庇い続ける。そして、ツキは吠えるのはやめたが、男から視線を逸らさず様子を窺っている。
「春南!」
異変を察知したのか、陽が駆けつけてきた。二人とツキを見て、陽もその男に視線を向ける。陽までもが警戒の姿勢を示したことで、その男はオロオロと狼狽え始めた。
「あ、あの……すみません」
「いえ、こちらこそ申し訳ございません。彼女たちがあなたに驚いてしまったようで、何かあったのかと……」
怯える更紗と警戒を解かないツキに異変は感じながらも、目の前の男からは何も感じない。陽はとりあえず頭を下げる。
「いえ、こ、こちらこそ、驚かせてしまってすみませんでした」
「参拝のお邪魔をしてしまったようですね。それでは私たちは失礼いたします」
陽が春南と更紗を促してその場を去ろうとした時、その男はそれを引き留めるように、初めて大きな声を出した。
「更紗!」
陽と春南は大きく目を見開く。
彼は、更紗の知り合いだろうか。しかし、更紗は酷く怯えている。
その時、陽はいち早く背後の気配に気付く。後ろを向かなくとも、それが誰なのかはわかりきっている。陽は安堵し、肩の力を抜いた。「登場がまるでヒーローだな」と苦笑しながら呟く余裕まで生まれている。
「性懲りもなく、また更紗を追いかけてきたのか」
いつもより何倍も不愛想で冷たい朔の声に、彼は表情を歪め、後退った。
拝殿にいたのは、更紗がかつて愛し、そして更紗を裏切った男・津山玲二だった。




