忍び寄る影(8)
司狼が二人の怪我を診ている間、春南と更紗の様子はまるで正反対だった。
春南は涙を流しつつも、陽に説教だ。ただそれも、不安と心配の裏返しだということは、誰もが知るところだった。
陽は弱っていく最中での怪我ということもあり、朔よりも酷い。二人の怪我の状態を見た時は、更紗は言葉を失い、自分が倒れそうになってしまった。だから、春南が怒る気持ちはよくわかる。
しかし、とにかく無事でよかった、それだけだ。更紗は黙りこくり、ツキを抱き寄せ、ひたすらその背を撫でる。そうすることで、心の平静を保とうと努めていた。
司狼の手当てが終わり、それぞれの家に戻る。その間もずっと、更紗は一言も発さなかった。ツキは自分の寝床に戻ってしまったので、代わりに拳をぎゅっと握って気持ちを堪える。
「更紗」
朔が僅かに眉根を寄せ、こちらを窺うように見る。それはわかっていたが、更紗はあえて朔を見なかった。
家に着いて玄関に入った時、朔がもう一度更紗を呼んだ。
「更紗……」
更紗はそこでやっと朔を見る。あちこちに巻かれた包帯が痛々しくて、堪えていた感情が一気に爆発した。
「!」
朔が更紗を抱きとめる。突然堰を切ったように腕の中に飛び込んできた更紗を強く抱きしめ、背を折った。
「ごめん……」
「無事でよかったけどっ……こんな……怪我……もっと私が……」
「違う。更紗は十分力になってくれた」
「でもっ」
朔は更紗に顔を上げさせる。涙に濡れた瞳にそっと指を当て、雫を拭う。
「泣かなくていい」
「……でも」
「ありがとう」
「え……?」
朔が柔らかく目を細め、見たことがないほどの優しい笑みを浮かべる。それは、一目見ると目が離せなくなるような、そして一瞬にして心を奪い去ってしまうような、そんな微笑みだった。
朔は更紗の髪を梳き、再び更紗を腕の中に閉じ込める。
「ツキに俺たちを助けるように頼んだのは、更紗だろう?」
「……春南さんと一緒に頼んだんです」
「必死に頼んだんだろうな」
「はい……。ツキったら、全然関心がないような素振りで。でも、ツキがそういう状態ならかえって大丈夫なんだって……それは頭ではわかってたんです。でもどうしても我慢できなくて。必死にお願いして、そうしたら春南さんも一緒にお願いしてくれて、いつの間にか春南さんもヒートアップしてて。最後には、二人して泣いてお願いして……」
「そうか。だからツキは根負けしたんだな。大好きな二人に泣かれれば、ツキも腰を上げざるをえなかったんだろう」
朔を見上げると、優しい視線とぶつかる。こちらを射るような強いものではなく、柔く包み込むようなそれに、更紗は戸惑う。こんな視線も初めてだったからだ。
「朔さん……」
「ありがとう、更紗。おかげで、早くカタがついた。この程度の怪我で済んだのも、ツキをこっちに向かわせてくれたからだ」
「この程度なんて……。こんなにひどい怪我なのに……」
「一晩で一気に完治するとまでは言わないが、それでもたいしたことはない。二、三日で治る」
「そんなに早く?」
朔が力強く頷く。
これから新月に向かうのだ。朔の力は満ちてくる。それを思い出し、更紗は少しだけ安堵した。
「それなら……よかったです」
「それに、毎夜、更紗の力と……更紗を補充している。すぐに治る」
更紗は大きく目を見開く。
朔は今、何と言ったか。更紗の力と……。
「更紗?」
「あのっ……ごめんなさい。私でも……役に立てているんだって……嬉しくて」
知らぬ間に、また涙が込み上げていた。
まるで「好きだ」と言われたかのように、心が震えている。自分で思う以上に朔に惹かれている、それを自覚せずにはいられなかった。
更紗は朔を見上げ、精一杯の笑顔を見せた。
「今日は、いつも以上に補充してもらえるように頑張ります」
その言葉に朔は一瞬呆気に取られ、次の瞬間に破顔する。
初めて見せた朔の心からの笑顔に、目を奪われる。更紗が見惚れていると、朔が顔を近づけてきた。
「あ……」
「一晩中、離さなくていいんだな」
唇に温もりを感じ、キスされていると気付いた時は、すでにそれは深さを増していた。
「んぅ……」
「……」
身体から力が抜けそうになり、咄嗟に朔にしがみつく。だが、微かに感じた朔の吐息の乱れに、ハッとして離れようとした。
よく考えると、朔は大怪我をしているのだ。しがみつくなどとんでもなかった。
だが、離れようとする更紗を、そうさせまいと朔はさらに口づけを深くする。
時間にすれば、数秒だったのかもしれない。だが更紗からすると、それは永遠に続くとも思われるような、そんな長い口づけだった。




