月川神社の護り(8)
朔は気まずそうに視線を逸らし、話し始める。
「俺は満月に、そして陽は、新月に力を出すことができない」
その言葉を聞き、更紗はようやく思い出した。朔と陽が交代した日だ。その日は確か、新月だった。
二人は交互に悪霊退治をこなす。だが、新月と満月の日だけはその順番に関係なく、力が使えない方のフォローをする、そういう暗黙のルールがあったのだ。
「明日は満月だ。俺は、満月に近づくほど力が弱まっていく。その関係なのか、体調もあまりよくない」
それで、今日も霊がおとなしくしていればいいと言っていたのだ。
それにしても──。
「どうしてそんな大切なことを……」
満月にはただの「人」となる。それは、狛犬である朔にとっては最大の弱みとなる。それなら、更紗が最大限に注意を払わなくてはいけないのに。
大切なことだから、話してもらえなかったのだろうか。
更紗は俯き、唇を噛む。
「更紗」
「……」
「そんなに強く噛むな。傷つく」
朔の指が唇に触れる。それにハッとして更紗の口が少し開き、その隙をつくように、朔の指が無遠慮に更紗の口に入ってきて、更紗は硬直してしまう。
朔は身を屈め、注意深く観察する。
「唇を噛むのは癖なのか? 強く噛むと切れる。直せ。……少し我慢しろ」
「……っ」
朔の顔が近づいてくる。形のよい瞳、長い睫毛、触れる吐息、更紗はたまらずぎゅっと目を閉じた。
朔は傷ついた更紗の唇に軽く自分のそれを押し当て、すぐに離れる。小さな傷なので、一瞬で治癒するのだろう。
離れてしまった唇が寂しい。無意識にそんなことを思う自分に、更紗は頬を染める。浅ましい、と恥ずかしくなった。恥ずかしさのあまり、顔を上げられなくなってしまう。
「更紗」
「……」
「……怒っているのか?」
更紗は首を横に振る。怒っていないと言いたいが、まだ顔を上げられない。
朔が小さく吐息する。見なくてもわかる。朔はどうすればいいのかわからず、戸惑っているのだ。
朔は人と関わることが苦手だ。心を許せる人間も少ない。それ故、恋愛経験も極端に少ないのだと、陽からこっそり聞いていた。
『朔は、特に色恋沙汰には疎い。それこそ、幼稚園レベルなんじゃないかなってくらいに。だから、無頓着だったり、いろいろと気付かないことも多いと思う。でも……辛抱強く付き合ってやってほしいんだ』
陽が呆れたようにそう言っていたことが頭に浮かぶ。しかしその顔は、弟を思い遣り、心配する兄のものだった。
そんなことを思い出していると、朔が急に更紗を解放する。
なくなってしまった温もりに心細くなってつい顔を上げると、朔は先ほどと同じ体勢で頭を下げていた。──土下座である。
「朔さん、頭を上げてください」
「ごめん」
「私、怒ってませんから」
「大切なことを話せなかった」
「それは……」
「更紗を信用していないわけじゃない。絶対に」
再び強く否定され、更紗の胸が熱くなる。よかった、と心から安堵する。
ひと月も経ったというのに未だに信用されていないのなら、よほど相性が悪いのだろうし、嫁なんて務まるわけがないとかなり落ち込んだだろう。
偶々月読命に選ばれ、三ヶ月間、朔の嫁としてともに暮らすことを契約した。それは、更紗自身の身を守る手段でもあった。そのおかげで元彼からも解放され、更紗はここで安全に過ごせている。
だからこそ、自分に与えられた役目はきちんと全うしたかった。出来得る限り心を通わせ、朔の力になりたい──今ではそう思っているのだ。
更紗はまだ頭を上げようとしない朔に近寄り、頼りなくへたれている獣の耳に、そっと触れた。




