前章 Ⅲ
西暦2300年。
節目となるその記念すべき年に、事件は起こった。
自らを『堕天使』と名乗る謎の集団。
その彼らが、世界の主要都市を同時に襲撃した。
漆黒に輝く一対の翼を背にはためかせ、欲望のままに人を喰らう。
その姿はかつて神に天界を追放されたという邪悪な堕天使そのものだった。
人間は、無知であることに対しての恐怖に弱い。
実態も正体も何ひとつ分からない敵に、人類は抵抗策を打ち出すことさえ出来なかった。
政府間の連携も機能も麻痺してしまい、戦力がまともに働くような環境はもうどこにもなく。
同時多発テロから僅か三日後、世界はあっさりと彼らの手に落ちた。
焼け野原となった世界。
ゲファレナーたちが支配する世界。
そこに、人々が安心できる場所はもうどこにもなかった。
世界各国にはいくつかの「天空都市」と呼ばれる管理都市が造られ、今でも人口の約半分が監禁されている。
人体実験や奴隷じみた過酷な労働など不穏な噂は後を絶たない。
危険な跡地に放り出された残りの人々もまた、日々殺戮を恐れ、細々と暮らしていた。
だが、どんな世界にも、例外という名の存在はいる。
いくらその希望が細く淡いものだとしても、それだけを目指して突き進む者たちが。
凶悪な敵を相手に、戦い続ける者たちが。
俺もまた、そんな世界に身を置くうちのひとりだ。
「左だ! 左に誘導しろ!」
「隊長、支援魔法もそろそろ限界です! 次のアタック次第で撤退の準備を!」
「この先は行きどまりだ、それまで持ちこたえよ!」
「目標ポイント見えてきました!」
「よし! 遠方から狙撃魔法、C列用意ッ! 三秒カウント開始、1、2、3!」
爆発音が鳴り響く。
押し寄せた風に逆らうように最後のジャンプを決め、着地。
同時に悠々と枝を広げていた木々が瞬く間に粉砕する。
唸り声を上げる土埃の奥に目を凝らすと、あたりは綺麗な平地になっていた。
腕が痙攣するように震える。
慌てて片手でそれをきつく抑えると、叫び出したくなるほどの痛みが身体を貫く。
やめろ、やめろ。
やめてくれ。
俺の内心の葛藤に反応するかのように、耳の奥で低い声がこだました。
『ほんとは殺りたいんだろう?』
ひくり、と喉が笑う。
違う。 これはもう俺じゃない。
せめてもの抵抗に弱々しく首を振ると、また、耳にあの声が響く。
『自分を誤魔化すな。 俺には分かるぞ、お前の欲望が手に取るように』
もうやめてくれ。 誰かをむやみに傷つけるのは嫌なんだ。
『所詮そんなものは綺麗ごとだ』
綺麗ごと?
その言葉に、だらりと腕を押さえていた手が思わず脱力する。
あいつがニヤリと嗤った。
『狩れ』
声に従うまま抜刀すると、力強く、心地の良い力がみなぎってくるのが分かる。
飢えるような戦いへの渇きにゴクリと喉が鳴った。
「A列B列、戦闘用意ッッ!」
戦闘?
そんなものはもう、とっくに始まっている。
視界から敵以外の姿が消え失せていき、雑音が排除されていく。
隊長が爛々と目を輝かせながらカウントするももどかしく、俺は鋭く大地を蹴った。
「死ね」
囁くように呟き、思い切り深く懐に刀を滑り込ませる。
ザシュッと鈍い音をたて、朱色の飛沫が俺の頬を濡らした。
生暖かくぬるい体温にぞわりと鳥肌が立った。
消えていきそうになる意識の尻尾を何とか掴み、唇を強く噛み締める。
途端に鉄の味がじんわりと広がった。
我に返る。
先刻までの殺気が驚くほど薄らいでいき、肩をゆるやかに撫でていった。
慣れることのない、掌に残る固く強張った骨の確かな感触。
耳元の息が止まるのを確認してから思い切り後方に飛びずさる。
相手が焦点の定まらない瞳を彷徨わせて膝をついた瞬間、ホログラムが音もなく消えた。
純白に輝く馬鹿でかい施設の一面にコングラチュレーションの文字が踊るのを横目に、俺は腰の鞘に刀を戻す。
背後から不機嫌そうな隊長の声が聞こえた。
「おい。 御子柴」
「⋯⋯⋯⋯何でしょうか、隊長」
薄々勘づきながらも覚悟して振り向く。
かすかな光沢を放つバッチを見せびらかすように胸を反らした隊長は、苦々しく吐き捨てた。
「あれほど独断の行動は禁止すると言っただろう。 貴様のせいでチームワークはガタ崩れだ、一週間の謹慎を処する」
「申し訳ありません。 了解致しました」
何度も繰り返されたやり取り。
自分によほどの自信があるのだろうこの人が、俺は正直苦手だ。
ため息を堪えて部屋を出ようとすると、更に後ろの方でひそひそと顔を寄せ合う同期たちの声が耳に入る。
「やっぱり凄いな、御子柴」
「剣筋が見えなかったぜ」
「ケイナ様のお気に入りだってのもわかるなぁ⋯⋯協調性がアレなのは問題だと思うけど」
「でもあの強さだったら近々本隊入りは確定だろ。 あーあ、羨ましいぜ全く」
「おい、しっ。 こっち見てるじゃねーかよっ」
焦ったように一斉に背を向けるその姿に、今度こそ憂鬱な吐息が零れた。
聞いちゃいないのは分かっているが、別に気にしてないよと心の中で呟き鬱々とドアを開ける。
できることなら本当に早く本隊入りしたいものだ。
そう。
自分には、こんな場所でちんたらしている暇はないのだから。
不意に脳裏に彼女の淡く優しげな笑顔が浮かび、俺はきゅっと目頭を押さえた。
君だけは。
君だけは、何があっても必ず助け出してみせる。
あの時の約束を守るために。
そのためにも俺は、この道を自ら選択したのだから。
俺はもう二度とそこに太陽を見ることはないだろう上空を見上げると、決意も新たに一歩を踏み出した。
明日もまた、淡い希望を抱いて、俺たちは荒野を駆ける。




