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夢を見ていた。
何もない真っ白な世界に、ひとり立ち尽くしている。
郷愁にも似た感覚。 孤独になった途端に感じる濃い苦み。
俺は何度か首を横に振ると、肩の力を抜くかのように小さくため息を漏らした。
特にすることもないのでのっぺりとした白い闇に腰を下ろし、呼びかける。
「いるんだろ、ヤマト」
その途端、目の前に赤黒い球体が音もなく現れた。
何度やられても不気味なものだが、いい加減耐性ができたようである。
俺が構わずに睨み続けていると、ククッと不気味な笑い声が響き、突然球体が眩い光を放った。
目を開けると肘をついてだらしなく寝そべった少年と目が合う。
「こうして会うのは久しぶりだなぁ、綾斗」
悪戯っぽく目を細める少年に肩をすくめて尋ねかける。
「ヤマト。 コレ、お前の仕業か?」
「おう。 あ、変に警戒しなくていいぜ。 俺はお前と仲良くなりに来たんだ」
「白々しく嘘つくなよ⋯⋯⋯。 今日の試験、誰のせいで暴走したと思ってんだ」
「綾斗の望みを叶えてるまでだ、俺はお前がいなかったら何もできないしな」
ヤマトはそう妖しく唇の端を上げ、勢いをつけて起き上がる。
胡坐をかいた足に頬杖をついて、黒の装束に身を包んだ少年は「報告がある」と口を開いた。
「報告?」
「ん。 そろそろ戦争が始まる」
「堕天使が本格的に襲いにくるってことか?」
「違ぇよ。 そろそろ元老院のジジィどもが動きだすってことだよ」
ヤマトはそう吐き捨てるように顔を歪ませた。
俺はあえてそれには触れず、聞き覚えのない言葉に首を傾げる。
「元老院? なんだそれ」
「じきに分かるさ。 それでだ、綾斗。 あいつらに俺のことを絶対に話すな」
「ヤマトのことを? 何だよ藪から棒に」
「契約だよ。 黙って俺と共闘するのか殺されたいのか自由に選べ」
「一体どういうことかちゃんと説明しろよ。 そもそもお前、俺が死ねば動けないんだろ」
「これ以上は綾斗の知る必要のないことだ」
彼は強い語気でそう言い切ると、瞳にあきらかな苛立ちの色を乗せた。
のらりくらりと感情を見せることの少ないヤマトにしてはあまりにもその態度は不自然に映ったが、もうどうしても情報を明かすつもりはないらしい。
俺は肩をすくめるとコックリと首を縦に振った。
「――――――わかった、約束するよ。 どうせ俺じゃ逆らえないんだし」
「契約成立だな」
ヤマトがニヤリと嬉しそうに嗤う。
あたりが漆黒の闇に沈み、少年の姿が掻き消えた。
低く、妖しげな声が直接耳の奥に語りかけるように響く。
『俺はお前の欲望が好きだ。 力に対するその執着心こそ、俺の主にふさわしい』
「⋯⋯⋯⋯」
『今の契約を忘れるな、御子柴綾斗。 俺とお前の望みのために』
不意にあたりの景色がダークアウトする。
薄れていく意識のなか、ヤマトの笑い声だけが低く響いていた。
◇◇
ドゴンッ。
「いってぇ⋯⋯⋯⋯」
思い切りベッドから滑り落ちた痛みで、ぱっと目が覚める。
カーテンの外では鳥がさえずり、人々の喧噪が始まりつつあった。
ドアからはもう支度を終えて修練場に向かっているのだろう同期たちの騒がしい足音が聞こえてくる。
ズキズキと痛む頭を押さえながら身体をおこし、よれよれのTシャツを無造作に脱ぐ。
寝ぼけた瞳で時計に視線を走らせると、ちょうどいつもの起床時刻と同じ時間のようだった。
「謹慎中くらいゆっくり寝させろよな⋯⋯⋯」
ひとつ、ため息。
候補生の象徴とも言える特有の青い光沢を放つ制服に袖を通し、ぼさぼさになった頭を適当にくしでとかす。
ぴんとはねた寝癖は放置することに決め、洗濯物の回収カゴに寝巻きを放り込む。
水のはじける音をBGMにさっと洗顔と歯磨きを終え、ゴワゴワのタオルで水滴を拭きとれば俺の身支度は完了だ。
適当極まりないのは一人暮らしなのでこの際気にしない。
トースターでこんがりと焼いたきつね色の食パンにバターと蜂蜜を塗り、ぼんやりと今日の予定を考えはじめる。
謹慎中とは言え訓練への参加を禁止されるだけで、それ以外の行動は許されることになっているのだ。
こんな風に暇を潰しているくらいなら一秒でも長く刀に触れていたいのが本心なのだが、残念ながら修練場のほかに刀を振れるような場所はない。
「とりあえず買い物してから、菜月んとこにでも行くか」
俺はコップに注いだミルクを一気に飲み干した。
「いらっしゃい、いらっしゃい! 今なら黒ビール一杯100円にしとくよー!」
「おっ、そこのにーちゃん! どうだいこの魚! 今日入ったばっかりだよ!」
「アップルパイ焼けましたよ~! 一切れいかがですか~?」
「新鮮な果物も野菜も全部均一価格だ! 売り切れ御免だよ!」
「奥さんどうだい、魚と肉の特製パイ! 今ならレモン汁もつけるよ!」
市場は常に活気に満ち溢れている。軍の寮棟の前に作られているので俺たち軍の人間からすれば利便性も抜群だ。この場所に来て見つからないものはほとんど無いと言ってもよい。食料を売る専門店に限らず、生活用品や雑貨を売っている店、外食の可能な飲食店。「大事件」の前まで当たり前のようにあった店舗が、大通りを中心にして賑やかに連なっている。店を構える人は皆人当りもよく、この荒廃した世界を明るく染めようと常に笑顔を絶やさない。街のなかでも最大の市場なので一般の方々の姿も多く見受けられ、どこか下町のような賑々しさだ。その懐かしい空気に皆も哀愁を覚えているのかもしれない。
アイグール通りと名付けられたこの場所は、まるで「地下都市」の太陽のような場所だった。
地下都市、アルハバート。
日本列島でちょうど関東一帯の地下に広がる、広大な魔法使いたちの隠れ家。
世界の主要国にひとつずつの割合でひっそりと建てられている。
その歴史は古く、一番長いもので中世の時代の都市も残されているほどだ。
魔法は俺たちの思っていたようなものとは違い、もっと身近な代物であった。
地下都市に伝えられている書物などには、古代ローマの記述も残されているほどだ。代々その能力を継承してきた人々は強大な力が争いに使用されないようにと、息を潜めるようにして住んでいたという。
ところが大疫病であるペストが流行し始めてから、状況は一変した。ヨーロッパの人間たちが目立たぬようにと暮らしていた一人の魔法師である老女に目をつけたのだ。
あまりにも勝手な言い分だったが、誤解と噂話ほど広まるのが早いものはない。恐怖心ゆえの魔女狩りはとどまることを知らず、全く関係のない民間人にまでその被害は及んだ。
それきり魔法師たちは極度に人間を忌避するようになり、地下都市が造られるようになったというわけだ。
日本では明治時代の初期に来日してきた伝説の第一級魔法師、セネラル・フィードによって造られたと伝えられている。
フィードが住民として目をつけたのは、かつては「忍び」と恐れられ、また活躍していた日本の魔法師たちだった。彼らは戦国の時代が遠のくにつれ、段々とその存在を忘れられるようになってしまっていたのだ。フィードは開拓に追われ住む場所を無くした全国各地の忍び達を訪ね、地下都市に住まうよう説得を重ねた。
そうして人間たちが知らぬ間に地下都市はどんどんとその住民を増やしていき、世界でも五指に入る巨大さを誇るアルハバートはこうして誕生したのだった。
現在アルハバートは、堕天使に対抗すべく立ち上げられた「帝国魔法軍」の拠点として使用されている。フィード家の血を引き継ぐ少女が日本軍を立ち上げ、地下都市を統治したという話も世界中で伝説のように語り継がれていくと聞く。
もとは少なかった人口も、堕天使からの襲撃の際に今まで地上で生活していながらも魔法力を持っていた人間が大量に発見されたので、その家族も含めると数は一万ほどにまで及んでいる。
堕天使の目の届かない所で訓練を積み、表向きとしては彼らに奴隷として囚われてしまった人々を救うことが目的とされている。裏では堕天使討伐後の世界の覇権を狙っているのだろうという噂もまことしやかに流されているが、それはまた別の話だろう。
同じ取り組みが世界の12の地下都市で進められており、人類も反逆の狼煙を上げる準備を着々と進めている。希望としてはあまりにも小さいが、この道を信じるしか俺たちにはもうすべが残されていないのだ。
これが俺の知る、帝国魔法軍と地下都市アルハバートの全てだ。
「えーっと。 パンは買ったし、野菜も買ったし⋯⋯⋯、」
あとは昼飯を買うだけである。俺は脳内のメモを折りたたみつつ、お気に入りの中華店に足を向けた。
特製の肉まんがアルハバートの情報誌でもグルメと紹介されるほどに人気で、客足が止まっていることはほとんどない。かりっと焦げ目のついたモチモチの皮に、汁気たっぷりのジューシーな肉あんがたまらないのだ。
『新名物! 鳳凰亭新作、ごま焼きおにぎり!』と書かれたのぼりを横目にのれんをくぐると、忙しそうに動き回っていた女店主が額の汗を拭いながら顔をあげた。にぱっと朗らかな笑顔を浮かべ、明るい声がかけられる。
「おっ。 アヤ坊、いらっしゃい! いつもお疲れだねぇ、何にする?」
「ありがとミドリさん。 肉まん2つと新作の焼きおにぎりで」
「まいど!」
ミドリさんは、彼女のウインクに苦笑する俺をよそに横に積まれた商品を茶袋に詰め始めた。焼きおにぎりの醤油の匂いと蒸し器から湧き上がる煙に思わず鼻をひくつかせ、早くも空腹を訴えてキリキリと鳴るお腹をさすっていると、不意に後ろから間の抜けた声がかかってきた。
「おばちゃーん。 僕も肉まん1個ね、アヤ君の奢りで!」
「誰がおばちゃんだい! お姉さんと呼びな!」
「間違えたよごめんってば。 それより早くしてよ、僕もうお腹ペコペコ」
「分かったからちょっと待ちな! アヤ坊、一緒の袋にしとくよ」
「やったー」
のほほんと柔らかな笑みでそうのたまった少年を横目で睨み、俺は剣呑な声を出した。
「⋯⋯⋯おい。 いつの間に俺が奢ることになってんだ」
「いいじゃん固いこと言わなくったってさー」
「むしろ日々の大迷惑を詫びてお前が奢れよ!」
「アヤ君ってばいけずだなー。 いいじゃん一個くらいくれたってー」
黛 時雨少将。
わずか三人の隊員で日本軍を率いる第壱部隊に所属するスーパーエリートで、大規模な戦術級魔法に関しては世界でも五指に入るほどの実力者と称されている。アルバハート総監督の左腕として、軍内では男女年齢を問わずありとあらゆる人々の憧れの的だ。実際には話していると頭が痛くなるようなレベルのアホだが、俺も時雨の戦闘能力には正直感服している。たった一人で堕天使達の住まう「天空都市」を撃破し、何十人もの人間を解放したのは記憶に新しい。
その尊敬ももっとも、「戦闘中だけ」のことではあるのだが。
基本マイペースなはずの時雨から直々に会いに来るなど最早嫌な予感しかしない俺は、ミドリさんに紙袋を貰うや否や早足に店をあとにした。
ところが悪い予知能力というものはよく当たるもので、時雨は当然とでも言いたげに普通に後ろをついてくる。
こうなった以上自分に用事があるのは確かだった。
「おい」
「?」
キョトンと目を瞬かせる上司をギロリと睨み、俺は息を吸い込むなり叫んだ。
「さっきから一体なんなんだよ! 用を言え用を!」
「あれ? 僕、教えてなかったっけ?」
「なんっっにも聞いてねーよ!」
こいつが上層部で日本軍を取り仕切っていることに対して不安に思うのは果たして俺だけなのだろうか。そんなことは断じてないと誰でもいいから言ってほしい。
時雨はごめんごめんと手をヒラヒラさせながら何の悪気もなさそうに謝ると、にこやかな笑顔を浮かべたまま爆弾発言を投下した。
「姫がアヤ君のこと呼んでる」
「⋯⋯⋯⋯わかった。 お前のアホさ加減はよぉぉくわかった」
「失礼だなー。 これでも僕、キミより二歳年上だよ? 年上兼上司なんだよ?」
「よしじゃあとりあえず一発殴らせろ」
「待った待った待った。 会話みじんも成り立ってないからねうん」
目の前で腕を交差させて顔を背ける時雨をそのまま殴り倒したい衝動を必死に堪え、俺は呼び出し人の住むアルハバート城に静かに視線を向けた。
街全体を見守るかのようにそびえ立ち、別名『白銀の城』と呼ばれる美しいそれは、何故だか見るたびに近い将来に訪れる戦いへの不安をかきたてられる。夢の中でヤマトが告げた不穏な言葉、そして記憶の底に今も鮮やかに残る朗らかな笑顔が順に脳裏をよぎり、俺は思わず唇を強く噛み締めた。ここではないどこかにいるはずの彼女に心の中だけで話しかける。
――――――日葵、もうすぐ会えるのか⋯⋯⋯?
そして俺は、その様子をいつになく真面目な顔をした時雨に眺めてられていたことに、全くと言っていいほど気付かなかった。




