前章 Ⅱ
突然、世界はその在りようを変えた。
血の海。
ついさっきまで退屈な時間を紛らわすために教師の目を盗んで談笑していた生徒たちが。
体育館の隅で眠気を必死に堪えていた教師たちが。
壇上で熱弁を奮っていた定年間近の校長が。
皆、一様に意識を失い、もう帰らぬ人となっていた。
あまりに非現実な現象に、何があったのか理解できなかった。
「あはぁ」
壇上の中央に立つ若い女が、地獄じみたその光景を眺めて満足気な吐息を零す。
後ろには長いフードを目深に被った数人の従者たちが並び、その表情は全く把握できない。
全員の背中には、薄い漆黒の輝きを帯びた一対の翼。
濃密な殺気に縁どられた気配も、その容貌も、明らかに普通の人間じゃなかった。
静まり返った体育館に女の甘ったるい声が響く。
「ごめんね、あたしは別にキミ個人に恨みがあるわけじゃないんだけど」
こつん、こつん。
女の足音はどんどんと近づいてくる。
「あたし達が世界を滅亡させるためには、キミが凄い邪魔な存在なワケ」
世界の滅亡?
邪魔な存在?
麻痺した思考の中、途切れ途切れに言葉を反芻させていく。
分からない。
女が何を言っているのか、もう全く理解できなかった。
こつん、こつん、こつん。
恍惚とした表情でこちらに向かってくる姿は、ある種の狂気に満ちている。
「だからごめん。 キミには、ここで、死んでもらう」
こつん、こつん、こつん、こつん。
こつん。
足音がピタリと止み、女が片手をゆらりと上げた。
得体の知れない恐怖に囚われ、思わず固く瞳を閉じた瞬間―――――――。
視界が暗転した。
どこかで、声が聞こえる。
「あーあ、どうすんの。 気ぃ失ってるじゃんか」
「姫、確か意思を確認してから保護せよとのご命令でしたよね?」
「ええ。 でも、もう連れて行っていいんじゃないかしら。 あいつ殺っちゃったし」
「ですが、」
「心配性だなー。 大丈夫だって、僕がちゃんと納得させるし!」
「阿呆。 姫の立場の問題にも関わるのだぞ」
「だってこの子めちゃ強いんでしょ? 仲間にしなきゃ損じゃーん」
「お前の頭にはちゃんと脳みそが詰まっているのか、時々心配になる」
「やだ、褒めても何も出さないよ」
「褒めてなどない! いいからもうお前三回くらい死んでこい!」
「ふふっ。 落ち着いて、そのときはそのときよ。 長居していても面倒そうだし連れて帰ることにしましょ」
「やたっ!」
「⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯姫の仰せとあれば」
暖かく優しげな掌が身体を包み込む。
どことなく懐かしい温もりに、誰なのかと尋ねる暇もなく。
かすかな浮遊感のあと、もう一度意識が闇に沈んだ。




