【第9話:床下の女神が繋ぐ、魚と菜っ橋の架け橋】
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お咲ちゃんの特製レバー油のおかげで、農村の子供たちの目が完全に回復。
大感動した農民たちが、漁村へお礼にやってきて、素敵な奇跡が起こります。
カラリと晴れ渡った秋の空から、あたたかな陽光が外房の漁村へと降り注いでいる。
ここ数日、海の鳴動よりも騒がしかったのは、裏手の山に位置する因習の農村だった。
お咲が泥まみれになりながら丸太の納屋から子供たちを救い出し、あの強烈な生臭さを放つイワシやタラの「魚の肝の油」を匙で飲ませ続けた結果――奇跡はロジックの通りに訪れた。
「兄ちゃん! 見たかよ、山の村の子供たち、もう夜になってもおめめがハッキリ見えてるってよ!」
「ああ、次郎。あんなに頑固だった農民どもが、今じゃ広場で泣きながらお天道様とネエちゃんの方角を拝んでるらしいぜ」
太助と次郎はあばら家の木戸に寄りかかり、遠くに見える山並みを眺めて破顔した。
夕暮れが訪れても、子供たちは暗闇を恐れることなく、元気に笑い声を上げて走り回っている。
その健やかな姿を見て、あれほど迷信を信じ込み、我が子を不衛生な物置に閉じ込めていた長老や大人たちは大感動し、同時に己の無知と過ちを深く恥じ入ったのだった。
そして、お咲の治療から数日が経った、ある爽やかな朝のことである。
ゴトゴト、ゴトゴト……。
地響きのような、重々しい車輪の音が漁村の静かな一本道に響き渡った。
太助が怪訝そうに首を傾げ、木戸を大きく開け放つ。
「なんだぁ? 地鳴りか? いや、網の繕いをしてる場合じゃねえな……おい、次郎!」
「なんだよ兄ちゃん、朝っぱらから。……うわっ! なんだありゃあ!」
次郎が台所から飛び出してきて、目を丸くした。
漁村の境界線を越えてやってきたのは、数日前に土間にひれ伏していた山の農村の若者たちだった。
しかし、その様子は以前とは全く違っていた。
彼らは一様に晴れやかな笑顔を浮かべ、男たちの逞しい腕で、溢れんばかりの物資を積んだ大量の荷車を力強く引いてきたのだ。
「おい、太助! 次郎! いるか!」
「おいおい、お前ら。また何ごとだよ。今度は何の呪いだ?」
太助がおどけて肩をすくめると、農村の若者たちの頭格が荷車の前で立ち止まり、深く、深く頭を下げた。
それは、かつて水利や小作の境界線を巡って何十年もいがみ合ってきた両村の歴史の中で、決して見ることのなかった実直な一礼だった。
「呪いなわけねえだろ! ……これを見てくれ。俺たちの村で今朝、獲れたてのみずみずしい、最高の野菜だ!」
「それだけじゃねえぞ! こっちは秋の収穫で一番出来のいい、白く輝く新米さ!」
若者が荷車のむしろを威勢よくはぎ取ると、中から朝露に濡れてきらきらと輝く大根や瑞々しい菜っ葉、そしてずっしりと重い米俵が姿を現した。
「漁村の『ほっかむりのお咲さん』と、お前たち兄弟のおかげで、村の子供たちが全員救われたんだ。お咲様が言った通り、真っ暗な部屋に閉じ込めめるのが間違いで、俺たちの食い物が貧しかったのが原因だった。……これは、村の全員で集めた、せめてものお礼だ!」
「そうだ。今まで犬猿の仲だなんて言って、勝手に意地を張って突っぱねてきちまって……本当にすまなかった!」
泥にまみれた百姓たちが、涙を浮かべながら太助と次郎の手をがっしりと握りしめた。
「よ、よせよ、水臭えな! 俺たちはネエちゃんの使い走りをしただけだって!」
「そうだぞ! でも、この菜っ葉は大したもんだ。なぁ、兄ちゃん、今日の夜はこれで美味い汁が作れるぜ!」
「おうよ! おい、山の若造ども、ただでもらうわけにはいかねえ。お前ら、ちょっと待ってろ! おい、村の奴らを集めろ!」
太助の威勢のいい声に呼応して、周囲の隠居小屋や長屋から漁師たちが次々と顔を出した。
山の村が頭を下げて極上の野菜を持ってきたと知るや、浜の人間たちも放っておくはずがない。
「おい! 今朝がた網にかかったばかりの、ピチピチの大漁のイワシを大樽ごと持ってこい!」
「山の奴らに、浜の美味い塩をこれでもかと食わせてやるんだ!」
漁村からは輝く銀色のイワシが次々と運び出され、農村からは青々とした新鮮な菜っ葉や米が手渡される。
長年、うら寂しい潮風の中でいがみ合っていた二つの村が、お咲という異国の一人の少女の存在によって、物々交換の弾けるような笑顔と、血の通った温かい人情の架け橋で見事に繋ぎ合わされた瞬間だった。
「わはは! 大根とイワシの煮付け、こりゃあ今宵の酒が美味くなるぞ!」
「お咲さんによろしく伝えてくれ! 村の菩薩様だ!」
外の広場がそんなお祭り騒ぎのような熱気に包まれている最中。
あばら家の薄暗い床下――あのサツマイモの匂いが漂う『芋つぼ』の隙間から、その光景をそっと覗き見ている青い瞳があった。
お咲は、頭を包む藍染めの手ぬぐいの隙間から、畳の僅かな継ぎ目に目を凝らしていた。
外の賑やかな笑い声や、若者たちの感謝の言葉が、床板を抜けて彼女の耳へとダイレクトに届いている。
「ふふ……『オイシイ』、たくさん。みんな、笑っているわ」
お咲の美しく肉感的な唇に、よね婆から教わった「き・れ・い」な笑みが静かに浮かんだ。
彼女の放った医学のロジックが、この不慣れな異国の土地で確かに認められ、人々の暮らしを豊かにし、消えかけていた子供たちの未来と笑顔を生み出している。
かつて故郷のヨーロッパで、知識を恐れられ「魔女」だと罵られて冷酷に追放された彼女にとって、これほど救われる結末はなかった。
(私の知識は、間違っていなかった。ここでは、誰も私を悪魔だなんて呼ばない……)
床下の暗闇に身を隠し、お上の掟に怯える綱渡りの生活。
それでも、お咲の胸の奥は、かつてないほどの確かな達成感と、自分を受け入れ始めてくれた村人たちへの深い愛着で満たされていく。
お咲は床の上のランプの灯りに照らされながら、薬草を挽くための愛用のすり鉢を、豊かな胸の前にそっと抱きしめた。
「タスケ、ジロー。おばあちゃん。……私、この場所が、すこし好きになったわ」
はだけかけた粗末な着物の隙間から、お咲の吸い付くような白肌が汗ばんで妖しく輝く。
しかし、その姿に宿る気高さは、暗い床下をまるで厳かな社のように変えていた。
お咲は、このうら寂しい漁村の床下が、自分にとって世界で一番あたたかい「居場所」になりつつあることを、静かに、そして確かに実感するのだった。
二つの村が笑顔で繋がりました!
お咲ちゃんはまさに福の神ですね。
しかし、村がイワシの大漁で潤うと、必ずやってくるのが「悪い奴ら」。
次回、江戸から悪徳魚問屋が乗り込んできます!




