【第7話:山の因習村からのSOS】
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よね婆から日本の言葉や文化を少しずつ教わり、漁村に馴染み始めたお咲ちゃん。
そんな中、犬猿の仲である裏山の貧しい農村から、切迫した若者たちが駆け込んできて……。
どん、どんと荒々しく木戸を叩く音が、うら寂しいあばら家に響き渡った。
居間の床板を戻し、お咲を芋つぼから引き上げたばかりの太助と次郎は、そのただならぬ音に思わず肩を跳ね上げる。
「おい、太助! 次郎! 頼む、いるなら開けてくれ!」
「なんだよ、朝っぱらから。庄屋さまの次はどこのどいつだ?」
太助が怪訝な顔で木戸の閂を外した。
滑り込んできたのは、潮の匂いとは無縁の、泥と藁の匂いをぷんぷんとさせた数人の若者たちだった。
彼らは一様に息を切らし、額から大粒の汗を流して血相を変えている。
「おい、お前ら……裏の山の村の奴らじゃねえか。何の用だよ」
次郎が不機嫌そうに眉をひそめた。漁村の裏手に広がる、頑固で貧しい農村。
昔から水利の権利や小作の境界線を巡って、太助たちの漁村とは犬猿の仲だ。
普段なら目を合わせるだけで口喧嘩が始まるような相手である。
しかし、農村の若者たちは、睨みつける次郎を前にして、泥だらけの土間にドサリと両膝を突いた。
「頼む! この通りだ! 面目もクソも言ってられねえんだ!」
「うわ、なんだよ急に。頭を上げろよ、気味が悪いな」
「漁村に、どんな重病も一発で治しちまう、謎の『ほっかむり娘』がいるって噂を聞いたんだ! 太助、頼む、その娘を俺たちの村へ連れてきてくれ! 村の子供たちを救ってほしいんだ!」
若者たちが必死に床に頭を擦りつける。その言葉を聞いた瞬間、太助と次郎の背中を、それこそ心臓の止まるような冷や汗が流れ落ちた。
お咲の存在が、あろうことか天敵であるはずの農村にまで漏れている。
「な、何言ってんだお前ら! そんな怪しい奴、この家にいるわけねえだろ!」
「そうだぞ! 俺たちの従姉妹のお咲ならいるけどよ、ただの口のきけねえ大人しい田舎娘だ!」
次郎が声を裏返してまくし立てるが、農村の若者は顔を上げ、涙目で訴えかけた。
「嘘でも何でもいい! 神頼みでも何でもしたいんだ! 数日前から、村の子供たちが次々と妙な病にかかっちまって……。お日様が出ているうちは元気なのに、夕暮れになって暗くなると、突然、目が一切見えなくなっちまうんだよ! 暗闇の中でバタバタと壁にぶつかって倒れて、泣き叫ぶんだ!」
「暗くなると、目が見えなくなる……?」
太助が怪訝そうに呟く。
「そうだ! 村の長老どもは『昔、漁村との争いで死んだ仏のお化けの呪いだ』って大騒ぎしやがって……! お祓いだなんだって言いながら、怯える子供たちを、光の入らねえ真っ暗な納屋に閉じ込めちまってるんだ! このままじゃ、呪いが完成して皆死んじまうって!」
「呪いなわけねえだろ、あの分からず屋のクソジジイどもめ!」
次郎が拳を握りしめて怒る。
だが、太助の脳裏にあるのは別の恐怖だった。
お咲の医術がバレれば村ごと磔獄門。
それが農村の長老や庄屋の耳に入れば、それこそ破滅だ。
「おい、何を騒いでいるの? 太助、次郎」
居間の奥から、大きな手ぬぐいを深く頭に巻いたお咲が、静かに姿を現した。ここ数日、よね婆との絵草紙を使った言葉遊びで、彼女はいくつかの簡単な日本語の単語を覚え始めていた。
お咲の美しい青い瞳が、土間にひれ伏す泥まみれの若者たちを、じっと見つめる。
「ネエちゃん、出てきちゃダメだって!」
「いいから説明しなさい。次郎、今の男たちの話、『コドモ』が『ビョウキ』なのね?」
お咲は、よね婆から教わった「子供」と「病気」という単語を組み合わせ、鋭い眼差しを太助に向けた。
言葉は完璧ではなくとも、若者の必死な態度と、次郎の怒り、そして漏れ聞こえた症状から、彼女の明晰な頭脳はすでに事態を察知しつつあった。
お咲は、土間に転がっていたよね婆の絵草紙のページをパラパラと捲り、野菜の絵を指差した。
「暗くなると、目が見えない。それは、呪いじゃないわ。理屈よ。……『えいよう』が足りないの。山の村は貧しくて、緑の野菜や、新鮮な油を食べていないのでしょう?」
「え? 栄養? なんだよそれ、ネエちゃん」
「とにかく、暗い部屋に閉じ込めるなんて、最悪の選択よ。そんなの、病気を酷くするだけだわ」
お咲の目の色が変わった。
かつて故郷のヨーロッパで、どんなに魔女だと罵られ、迫害されようとも捨てられなかった、本物の薬師としての熱い血が、その肉体の中で激しく騒ぎ出していた。
お咲はお江戸の粗末な着物の袖を、細く白い手で力強く掴み、太助を真っ直ぐに見つめた。
「太助、行くわよ。案内しなさい」
「はぁ!? 無茶言うなよネエちゃん! あっちの村は因習の塊みたいな頑固ジジイばっかりんだぞ! もし髪の毛一本でも見えて異人だってバレたら、それこそ俺たち全員――」
「子供たちが苦しんでいるのよ!」
お咲の声が、狭い居間にピシャリと響き渡った。
ほっかむりの手ぬぐいの隙間から覗く、その青い瞳。そこには、磔獄門の恐怖など微塵も恐れない、医療に従事する者としての圧倒的な気高き意志と、息をのむような美しさが満ちていた。
「大人が不条理な因習で子供を閉じ込めるなんて、私は絶対に許さない。そんなの、完全に――『フェボアテン(禁止)』よ!!」
お咲は胸の前で、力強く、完璧なバツ印を作ってみせた。
その凛とした美しさと、剥き出しの生命力の輝きに、太助と次郎は、完全に言葉を失って圧倒されてしまった。
「……クソ、ネエちゃんにそんな目をされたら、断れるわけねえだろ」
「あはは、兄ちゃん。俺たちの負けだ。磔獄門への道連れだろうが何だろうが、付き合うしかねえな」
太助は観念したように頭を掻くと、土間の若者たちを睨みつけた。
「おい、お前ら! このお咲を連れてってやる! その代わり、村の長老どもには絶対に俺たちの従姉妹だって言い張れ! いいな!?」
「あ、ああ! 分かった! お咲様、お咲様、ありがとうございます!」
若者たちが涙を流して感謝する。お咲は手ぬぐいの結び目をきゅっと締め直すと、太助と次郎の顔を見て、小悪魔的にクスッと微笑んだ。
「太助、次郎。護衛、よろしくね」
「へいへい、小者兼用心棒として、命を懸けさせてもらいますよ」
こうして、お咲は初めて、安全な漁村の床下の上から、未知なる外の世界へと一歩を踏み出すこととなった。
うら寂しい漁村の境界線を越え、山の因習村へと向かう道中、兄弟の心臓はハラハラと冷や汗で破裂しそうだったが、お咲の毅然とした背中は、これまでにないほど頼もしく、そして眩しかったのである。
子供たちの危機にお咲ちゃんが立ち上がりました!
悪い因習の残る農村へ、ほっかむり姿のまま向かうお咲ちゃんと兄弟。
次回、農村の暗い納屋でお咲ちゃんの怒りのロジックが炸裂します!




