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外房漂着ブロンドちゃん 〜床下の菩薩、若者組と海女(アマ)になる〜  作者: 塩塚 蘭仮名


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【第5話:よね婆との出会い、絵草紙の言葉遊び】

お読みいただき感謝です! 今回から新展開。

お咲ちゃんに日本の言葉を教えるため、兄弟が村から「とんでもない強力な助っ人」を床下に呼び寄せます。

コミカルで温かい交流の始まりです。

ギィ、と古びた床板が不気味な音を立てて軋む。

 薄暗い床下――普段は冬越し用のサツマイモを貯蔵している『芋つぼ』の空間には、ひんやりとした土の匂いと、カビ臭い空気、そして兄弟が持ち込んだ小さな行燈の油火がぽつりと揺れていた。

外の賑やかな潮騒や鳥の声は、厚い床板に遮られて遠く微かに聞こえるのみ。

ここは、外房のうら寂しい漁村の中で、お上から最も隠された、人の目の届かぬ隠れ処であった。


「おい、次郎。よね婆さん、本当に大丈夫なんだろうな。誰にも見つかってねえだろうな」

「当たり前だろ、太助兄ちゃん。俺を誰だと思ってんだよ。好物のふかし芋で上手く釣って、庄屋の長屋の裏をぐるりと回って、誰の目にも触れねえようにこの家の裏口から引っ張り込んださ」


 太助と次郎は、狭い床下で大きく身を縮め、膝を突き合わせながらコソコソと囁き合った。

 異国の超絶美女・お咲が、山奥の貧しい農村からやってきた「ほっかむり従姉妹」としてこのあばら家で暮らし始めてから数日が経っていた。

しかし、言葉が一切通じない現状のままでは、今後の綱渡りの隠蔽生活に間違いなく支障が出る。

いつ何時、またお堅い庄屋が抜き打ちでやってくるか分からないのだ。

身振り手振りだけのコミュニケーションには限界があった。

最低限の、この国の言葉を覚えてもらわねえと、次に危機が迫ったときに床下へ潜らせることすら満足にできない。


「……で、なんで他のみんなに隠して、よね婆さんなんだよ。他にも適当な奴はいただろ」

「分かってねえな、兄ちゃん。よね婆さんは村の誰よりも口が堅いんだ。

いや、正確に言えば、耳が遠すぎて人の噂話なんかこれっぽっちも聞こえねえし、自分の世界の事しか喋らねえから、秘密の漏らしようがねえんだよ。

うってつけの人材だろ?」


 そこへ、よいしょ、よいしょ、と衣服の擦れる重々しい音を立てて、小柄な老婆が梯子を一段ずつ降りてきた。

腰の曲がった、シワだらけの顔に優しい笑みを浮かべた老婆――村の最長老の一人であり、生き字引でもある、よね婆その人である。


「おや、おや、おや。こんな暗くてジメジメしたところで、太助に次郎、一体何をしておるんだい? 

ワシに美味い干し芋でも食わせてくれるんかねぇ。それとも、新しい網の繕いでも手伝ってほしいのかい?」

「しーっ! 婆さん、声がデカいよ! 

これからはじめるのは、村の庄屋さまにも、お奉行所の役人にも絶対言っちゃいけねえ、とびっきりの秘密んだからな! 声を落としてくれよ!」


 次郎が焦って顔を真っ赤にしながら、口元に人差し指を何度も激しく立てる。

しかし、よね婆は耳元に手を当てて

「あん? 干し芋じゃなくて、焼き芋かい?」と全く的外れな返事をして、のんきに首を傾げるばかりだった。

その全く噛み合わない様子に、太助は額を押さえて深いため息をつき、苦笑しながら奥の暗がりにひっそりと腰掛けているお咲に向き直った。


「ネエちゃん、もう手ぬぐいを外していいぞ。ここなら床下だから、外を歩く奴らの目には絶対に留まらねえからさ」

「……ええ、分かったわ。ずっとこれを被っていると、頭が少し痒くなるのよね」


 お咲は、よね婆の姿をじっと見つめていたが、太助の言葉に応じて細く白い指先を動かした。

結び目を器用に解き、頭を深く包んでいた藍染めの手ぬぐいをゆっくりと引き剥がすようにして外していく。

 その瞬間、暗く澱んでいた芋つぼの中に、まるで一筋のまばゆい黄金の陽光が激しく差し込んだかのような錯覚が、その場の一同を襲った。


「――おや、まあ……! なんということだい……!」


 よね婆の濁った目が、驚きのあまりこれ以上ないほど大きく丸くなった。

 手ぬぐいの下から滝のように溢れ出たのは、手元の行燈の淡い光を浴びて、それ自体が発光しているかのようにきらきらと眩しく輝く黄金の髪。

さらさらと肩に流れるその毛並みは、お江戸の高級な絹糸よりも美しかった。

そして、外房の深く澄んだ夜空のような、神秘的な異国の青い瞳。

日本の粗末な古着の着物に身を包んでいるはずなのに、お咲のそのえも言われぬ肉体の起伏と不慣れな着付けから覗く眩しい白肌は、どこか神聖な気品をまとってそこに佇んでいた。


「ほう、こりゃ……まるでお天道様がそのまま人の姿になって舞い降りてきたような、綺麗な娘御だねぇ。

ワシも長生きをしたが、お江戸の立派な絵草紙にも、こんなお美しいお方は載っておらんよ。

天女様かい?」

「だろ? だから秘密なんだよ、よね婆さん。驚いて腰を抜かすんじゃねえぞ」


 よね婆はお咲のあまりの美しさと豊満な体つきに完全にドギマギしつつも、シワの刻まれた手を何度も自分の衣服で擦り、拝むようにお咲を見つめた。

お咲はそんなよね婆の純朴な様子を見て、それまでの警戒心を少しだけ解き、ふわりと優しく、小悪魔的な微笑みを返した。


「よし、婆さん。驚くのはそこまでにしてくれ。

このネエちゃんに、日本の言葉を少しずつ教えてやってほしいんだ。

ほら、いつも懐に入れて持ち歩いてる、お気に入りのやつがあるだろ? あれを使ってくれよ」

「あん? 言葉かい? お前たちの言葉はいつも汚くて聞こえんよ。……ああ、これのことかねぇ」


 よね婆はしばらく首を傾げていたが、ようやく太助の言いたいことを察したように大きく頷くと、懐から一冊の古びた、しかし折れ目のないように大切に保管されている冊子を取り出した。

それは、当時の江戸の町人たちの間で大流行していた、色鮮やかな木版刷りの「草紙」だった。

 よね婆はお咲のすぐ隣に腰掛け、冷たい土の上に行燈を寄せると、その草紙をゆっくりと広げた。


「いいかい、綺麗なお嬢さん。よく見ておくれ。これはね、『さかな』。海におる、ワシらが毎日獲って食べる、最高に美味いもんだよ」


 よね婆がシワの寄った茶色い指先で、草紙の真ん中に描かれた、おめでたい立派な鯛の絵を優しく指差した。

 お咲は青い瞳を輝かせ、よね婆の隣にピタリと身体を寄せた。

熱心に草紙を覗き込む彼女の姿勢は、まるで未知の学問に挑む真摯な研究者のようでもあり、同時に無邪気な少女のようでもあった。

 お咲が身体を動かすたびに、粗末な着物の隙間から、異国の香草や未知のハーブのような、甘く濃厚な匂いが床下の空間にふわりと立ち込める。

その匂いと、すぐ目の前で波打つお咲の豊かな胸元の起伏に、後ろで見守っていた太助と次郎は、急に顔を真っ赤にして目のやり場に困り、あさっての方向を向いて激しく咳き込んだ。


「……サ、カ、ナ……?」

「そうそう! 上手いもんだ! 言葉の筋がとってもいいねぇ! じゃあ、お次はこれだ。こっちは『だいこん』。畑で採れる白い、土の中で育つやつさ」


 お咲はよね婆の口の動きを、まるでもぎ取るかのようにじっと真剣に見つめ続けていた。

言葉のしくみを理解しようと、肉感的な唇をきゅっとすぼめて、一生懸命に音を模倣していく。


「綺麗なお嬢さん、これはね、食べたら心が温かくなって、ほっぺたが落ちそうになることだよ。『おいしい』って言うんだよ」


 よね婆が、大きな白いおにぎりをおいしそうに頬張り、目を細めて笑っている子供の絵を指差す。

 お咲は少し考え込むように美しい眉をひそめた後、よね婆の顔をじっと見つめながら、ゆっくりと発音した。


「お・い・し・い……?」


 首を少しだけ右に傾げ、豊かな唇を震わせながら呟くそのしぐさには、不器用ながらも、男二人の心臓を直接掴んで握りつぶすほどの、恐ろしいまでの妖艶さと可愛らしさが溢れていた。


「なぁ、次郎……ネエちゃん、今『おいしい』って言ったよな。不届きだろ、あの可愛さは……」

「ああ、兄ちゃん。俺、なんだか胸が苦しくなってきた。磔獄門の恐怖とは別の意味で、胸が張り裂けそうだ……」


 兄弟は床下に這いつくばりながら、お咲のその一挙手一投足に完全にハートを打ち抜かれ、ただただ圧倒されていた。


「そうさ! その通りだよ! 本当にお上手だねぇ! じゃあ、お次はこれだ。花が綺麗に咲いてるねぇ。『きれい』、だよ」

「き・れ・い……?」


 お咲は、自分の眩しい黄金の髪に細い白指をそっと換わせ、よね婆に見せるようにしながら、もう一度、鈴を転がすような美しい響きの声で繰り返した。


「キ・レ・イ……。おばあちゃん、これも、きれい?」

「おや、まあまあ! 本当に賢い娘御だ。ワシの言うことをこんなによく聴いて、すぐに覚えてしまうなんて。お前さん、やっぱりお天道様がワシらの村に遣わしてくれた、本物の菩薩様だねぇ」


 耳の遠いよね婆は、お咲の飲み込みの早さとその美しさに大興奮し、シワだらけの顔をこれ以上ないほど破顔させて、カカハハと床下に響く大きな声で大笑いした。

お咲も、言葉の意味と絵のロジックが少しずつ頭の中で繋がってきたのが嬉しいのか、それまでの緊張を完全に消し去り、青い瞳を優しく細めて、よね婆の手の甲に自分の真っ白で柔らかな手をそっと重ねた。


「ありがとう、おばあちゃん。オイシイ、キレイ、覚えたわ。私、がんばる」

 言葉の壁は、依然として厚く存在していた。しかし、色鮮やかな一冊の草紙を挟んで紡がれる、耳の遠い老婆と異国の少女の不思議な言葉遊びは、冷たくて暗い芋つぼの空間を、これ以上ないほど温かく、そして幸福な光で満たしていくのだった。

 お咲の「お江戸従姉妹生活」は、この床下の暗闇の中で、村の人間との確かな、そして最初の温かい絆という名の大きな一歩を踏み出したのである。

よね婆の前で一生懸命『おいしい』『きれい』と練習するお咲ちゃん、尊すぎますね!

兄弟のドギマギ感も最高です。

次回、よね婆とのぬくもりに満ちた交流が、お咲ちゃんの孤独な心を溶かしていきます。

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