【第31話:太平洋からの巨大な影、襲来】
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村の仲間たちに守られ、最高のユートピアを満喫していたお咲ちゃん。
しかし、太平洋の彼方から、彼女の忌まわしい過去を乗せた「黒い影」が現れます。
「ほら、お咲ちゃん、
このアサリが一番ぷっくりと肥えてて美味いべ!
熱いうちにハフハフやって食いな!」
「ガハハ!
太助、お前さっきからお咲ちゃんにばっかり
一番いいのを剥いてやってるねぇ!
下心が透けて見えてやがるべ!」
「な、何言ってんだ頭!
俺はただ、ネエちゃんがいつも床下で窮屈な思いをしてるから、
こうして夕暮れの浜風に当たらせてやってるだけで……」
「ふふふ、ありがとう、タスケ。
このアサリ、
とても香ばしくて、日ノ本のお醤油の味が染みていて美味しいわ」
「お咲ちゃんが喜んでくれりゃあ、
夜を徹してでもアサリを
掘り起こしてくる甲斐があるってもんだべ!」
外房の広い海が、
燃えるような鮮やかな茜色に染まる夕暮れ時。
浜辺に組まれた小さな薪の火を囲み、
若者組の少年たちや海女たちと、
獲れたてのアサリを焼きながら和やかに談笑していたお咲の身体が、
突如として氷を投げ込まれたかのように、ガタガタと激しく凍りついた。
「……おや、お咲ちゃん?
急に黙り込んじまって、どうしたんだい?
アサリの汁で喉でも焼いたかい?」
「違います……。
あれを、あそこを見てちょうだい……。
水平線の、太陽のすぐ横よ……」
お咲の美しく涼やかだった青い瞳が、
恐怖のあまり限界まで大きく見開かれる。
沈みゆく血のような太陽の光を遮るようにして、
沖合の霧の向こうから、ぬうっとその不気味な姿を現したのは、
巨大な三本檣の異国の武装帆船だった。
黒々と塗られた不気味な船体を波に揺らし、
舷側に大砲の砲門をずらりと並べたその圧倒的な威容は、
うら寂しい漁村の景色に、
まじい異物感と逃れようのない恐怖をもたらしていた。
「ひ、ひえぇぇ……!
なんだべありゃあ!
城が、海の上を城が動いてやがるべ!」
「黒船じゃ……!
異国の軍船が、この村を攻め滅ぼしにやってきたんだべぇえ!!」
「おい!
早く名主様と庄屋の糞ジジイを呼んでこい!
とんでもねえ化け物船が押し寄せてきたべ!」
それまで笑っていた村人たちが、
一瞬にして阿鼻叫喚の大狼狽に陥り、砂浜を右往左往し始める。
しかし、お咲の胸を突き刺したのは、
単なる巨大な船への恐怖ではなかった。
船の最も高き本檣に掲げられた、
風にたなびくあの忌まわしい紋章――
それこそが、かつて自分に無実の「魔女」という悍ましい濡れ衣を着せ、
冷酷に追放船へと追いやった、
故郷であるゲルマン領邦の使節船そのものだったのだ。
「なぜ……なぜここに、私の国が……!
あの冷たい、教会の黒い影が、どうして私を追いかけてくるの……!?」
「ネエちゃん!? 顔が真っ青だべ!
しっかりしろ!」
お咲の豊かな胸元が、過去のトラウマと激しい嫌悪感、
あるいは逃げ場のない絶望で激しく上下する。
せっかくこの村の温かい人々に受け入れられ、
誰も自分を魔女と呼ばず、理不尽に抑圧もしない、
世界で一番愛おしい理想の安楽土を
手に入れたばかりだったのだ。
それが、過去の因習と絶対的な権力によって、
再び無慈悲に踏みにじられようとしていた。
ズゥゥゥンーーーーーッ!!!
次の瞬間、異国船が外房の沖合に厳かに錨を下ろすと同時に、
村を威嚇するように一発の凄まじい空砲が放たれた。
天地を割るような大轟音が外房の切り立った崖に幾重にも響き渡り、
狂騒に満ちていた村中が一瞬にして、水を打ったように静まり返る。
子供たちの泣き声さえも凍りつくような、圧倒的な武力の誇示だった。
「(ああ……捕まれば、私は今度こそ生きたまま、
あの冷たい火刑の炎で焼かれてしまうわ……。
タスケも、ジローも、村のみんなも、
私のせいで巻き添えになってしまう……)」
お咲ははだけかけた着物の襟元を震える白い指先できつく押さえ、
砂浜にへたり込みそうになった。
その時、彼女の左右の手を、泥と潮の匂いが染み付いた、
しかし驚くほど力強い二つの肉体が、
挟み込むようにしてきゅっと握りしめた。
「ネエちゃん、大丈夫だべ!
震えるんじゃねえ!」
「そうだべ!
何が黒船だ、何が異国の軍船だ!
どこのどいつが乗っていようが、お咲のネエちゃんは俺たちの身内だべ!」
太助と次郎の兄弟が、怯えるお咲の柔らかく冷え切った手を、
自らの体温を移すかのように力強く、熱く握りしめていた。
二人の眼眸には、恐怖など微塵もなく、
ただ大切な家族を守り抜くという狂おしいほどの
男気だけが欄々と燃え盛っていた。
「タスケ……ジロー……。
でも、あの船はとても強くて、大砲がたくさん……」
「バカ言っちゃいけないよ、お咲ちゃん!
俺たち海女の衆を忘れてもらっちゃ困るべ!」
「若者組の頭も生き返らせてくれたんだ、
村の働き盛りは全員でお前の味方だべ!
あの鉄の塊ごと、地引き網で海に引きずり落としてやるわ!」
「そうだべ!
お咲ちゃんに指一本でも触れる奴がいたら、
このアワビのヘラで脳天を叩き割ってやらあ!」
海女の頭領が濡れた白い磯着を豪快に翻して立ちはだかり、
若者組の男たちも棍棒や漁具を握りしめて
お咲の前に強固な人間の砦を築き上げた。
かつては床下の芋つぼに一人隠れ、
冷や汗を流していた孤独な異国娘。
しかし今や、彼女の後ろには、
剥き出しの生命力とお色気作戦、あるいは命を賭す覚悟を持った、
無敵の村の連帯が存在していた。
「みんな……。
ありがとう、本当に、ありがとう……!」
お咲の青い瞳から、恐怖ではない、
熱い感動の涙が雪のような白肌を伝って一筋こぼれ落ちる。
お咲の過去を血眼で追ってきた巨大な影との、
あるいはこの小さな現世の安楽土を守るための、
命懸けの戦いの火蓋が、
今まさに外房の赤き海原で切って落とされようとしていた。
ついに現れた故郷の使節船!
お咲ちゃんの怯える表情と、それを支える兄弟の男気が光る回です。
せっかく築いたユートピアを、
お咲ちゃんたちは守り抜けるのか!? 次回、傲慢な使者が上陸します!




