【第20話:かわら版屋、菩薩を追う】
いつも応援ありがとうございます!
「外房の金髪菩薩」の噂を聞きつけ、江戸から敏腕のかわら版屋が突撃取材にやってきます。
お咲ちゃんの正体が暴かれれば即・磔獄門。兄弟の奇策が炸裂します!
「おいおいおい、聞いたかよ? 外房のあのうら寂しい漁村に、夜な夜な現れる絶世の金髪菩薩がいるそうだ」
「どんな難病も一瞬で治しちまうってなぁ。
その特大の珍事、俺がかわら版にしてお江戸中で売り捌いてやりゃあ、銭が山ほど転がり込んでくるぜ。
へへへ、考えただけでもよだれが出そうなくらい、たまらねえなぁ」
鋭い狐のような目つきをした男が、ニヤリと下卑た笑みを浮かべて村の境界をまたいだ。
男の名は宗助。
お江戸の街を騒がせる、抜け目のなさで鳴らしたかわら版屋である。
彼は村に到着するや否や、まるでお上の有能な密偵か何かのように、懐に忍ばせた文銭をちらつかせながら、言葉巧みに世間話を装っては漁師や長屋の女たちへ執拗な聞き込みを重ねた。
そして、お咲が病人たちを救うために毎晩のように歩いていた夜間徘徊の具体的なルートを、その卓越した嗅覚で瞬く間に割り出していったのである。
「へへへ、今夜こそその菩薩だか何だかの化けの皮をひん剥いてやる。
本当にありがたい本物の菩薩か、それとも人を化かす狐狸の類か、この俺の目でしかと確かめて写生帖に描いてやるべ」
宗助は夜の暗い裏路地の物陰、どす黒い干し網の影に深く身を潜め、懐から墨汁と薄い写生帖を静かに取り出した。
見たものを瞬時に紙へ写し取る、彼の最大の武器はその鋭い絵筆だった。
息を殺し、じっと獲物を待ち伏せするその邪悪な姿は、ひなびた漁村の平穏を根底から脅かす、不気味で冷たい影そのものであった。
一方で、このお江戸からの厄介な侵入者を床下の芋つぼから察知した太助と次郎の兄弟は、生きた心地がしていなかった。
居間の薄汚れたむしろにしがみつきながら、冷や汗を滝のように流している。
「おい、ネエちゃん!
大変だ、とんでもねえ大変なことになっちまったべ!
江戸からかわら版屋の執念深いキツネ目が、完全にネエちゃんの髪を狙って村に乗り込んできやがった!」
「もしネエちゃんの正体が、海を渡ってきた異国人だってことがかわら版で江戸中にバラされてみろ!
お上の耳に入った瞬間に、匿っていた俺たちだけじゃねえ、名主から五人組、組の者まで全員漏れなく磔獄門、村ごと一族郎党根絶やしだぞ!
頼むから今夜は一歩も出ないでくれ!」
太助が恐怖のあまり床板に頭を何度も打ち付けんばかりに焦り狂う。しかし、床下の奥深くに潜み、愛用のすり鉢を握り締めたままのお咲は、その美しい青い瞳に不敵な光を妖しく宿した。
「絶対にあの男に姿を見せるわけにはいかないわね。
タスケ、ジロー、いつまでも泣き言を言うのは終わりよ。
追いつめられた時こそ、やり返す絶好の機会よ。あのキツネ目を恐怖のどん底に叩き落として、お江戸へ二度と来られないように追い返す、とっておきの逆襲の悪戯をでっち上げましょう。
あなたたち、手伝いなさい」
お咲と兄弟は、床下を挟んで息の合った阿吽の呼吸で、極めて悪質な悪だくみを練り上げた。
深夜、丑三つ時の静寂の中。
お咲は夜の深い闇に紛れて中央広場の共同井戸へと静かに忍び寄った。
彼女の白く細い手には、家の裏手の秘密の薬草仕込み園から摘んできたばかりの、特定の菌類や鉱物を含んだ、特殊な和漢の植物の汁があった。
それらを井戸の古い木枠や不気味な板壁へと、手際よく丁寧に塗り拡げていく。
その所作は驚くほど迅速で、かつ正確だった。
夜風がヒュウと冷たく吹き抜ける頃、物陰で息を潜めていた宗助は、ふと目を見開いて声を漏らした。
「……ん?
なんだありゃあ。
おいおい、井戸の周りが、妙に青白くボウッと光ってやがらねえか……?
お狐様の仕業か?」
月光の悪戯のではない。お咲の施した植物の汁の仕掛けが、夜の闇の中で不気味な燐光を妖しく放ち始めたのだ。
これこそ江戸中でバカ売れする特大のネタだと、宗助が恐怖を押し殺して興奮に震えながら写生帖を握り締め、身を乗り出したその瞬間、ドスの効いた、地獄の底から響くようなお咲の恐ろしい声が広場全体にこだました。
「我が神聖なる眠りを妨げる愚かなる者は……『フェボアテン(禁止)!!!』」
「ひぇっ……!?
な, 何だ今の恐ろしい声は……!
耳が腐るべ!」
宗助の背筋に、氷の刃を直接突きつけられたような凄まじい戦律が走る。
それと同時に、井戸の背後にある底知れない暗闇から、おどろおどろしい怪しの音と共に、太助と次郎が昼間のうちに大急ぎで仕込んでおいた、村から永久追放されたはずの「悪徳魚問屋・金兵衛の幽霊」を模した巨大なハリボテが、ガタガタと不気味な音を立てて突如として飛び出してきたのだ。
太助たちが裏で必死に紐を引いて操っているのだった。
「うらめしやぁ……!
俺を芋つぼに落として殺したのは誰だぁあ!
お前も道連れにして呪ってやるぅう!」
「う、うわあああ!
菩薩じゃなくて, ここは魑魅魍魎の恐ろしい巣窟じゃねえか!!
助けてくれぇ!」
宗助は完全に腰を抜かした。
目の前で不気味に明滅する青い光、耳を突き刺す聞いたこともない異国の呪詛、おどろおどろしく牙を剥いて襲いかかる怨霊の姿。
彼は恐怖のあまり失禁せんばかりになり、命より大事な写生帖も筆もその場に放り出すと、這うようにして立ち上がり、江戸の方向へと一目散に脱兎のごとく叫びながら逃げ帰っていった。
もう二度と、この恐ろしい外房の村の土を踏むことはないだろう。
「ふふふ、大成功ね!
私の勝ちよ!」
かわら版屋の無様な足音が完全に遠ざかったのを見計らい、お咲は井戸の物陰からしなやかに姿を現した。
深夜の労働で、はだけかけた着物の襟元を冷たい夜風に揺らしながら、彼女は物陰からガタガタ震えながら駆け寄ってきた太助と次郎の兄弟と顔を見合わせ、楽しそうにパチンと手を白く打ち鳴らした。
「兄ちゃん、やったぜ!
あの偉そうなキツネ目、狂言の道化役みたいにひっくり返って逃げてったべ!」
「ネエちゃんのあの地獄から響くようなドスの効いた声、本物の怨霊かと思って俺たちまで裏で紐を引きながら腰が抜けそうだったぞ!」
「あら、失礼ね。
私はただ、私の故郷の言葉で『ここに入るべからず』と優しく警告してあげただけよ。
悪霊のふりをした方が効果的でしょう?」
お咲は美しい黄金の髪をさらりと揺らし、悪戯っぽく真っ白な歯を覗かせて微笑んだ。
磔獄門という常に死と隣り合わせの、薄氷を踏むような凄まじい危うさを、極上の笑い話に変えてみせる彼女の並外れた肝の据わり方に、兄弟は改めて心から感服し、同時に月光に照らされたその妖艶な美しさに目を奪われるのだった。
隠された床下の女神による夜の冒険と容赦ない悪戯は、太助たちの冷や汗をたっぷりと吸い込みながら、さらに激しくエスカレートしていくのだった。
かわら版屋を幽霊パニックで撃退するお咲ちゃんたち、痛快でしたね!
これにて第2章完結です。
次回からの第3章、お咲ちゃんが村の「若者組」に遭遇し、日本の自由すぎる文化に大衝撃を受けます!




