【第19話:井戸の奇跡と、菩薩の正体】
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お咲ちゃんが深夜にピカピカに掃除した共同井戸。
翌朝、それを見た村人たちは「やはり菩薩様の仕業じゃ!」と大歓喜。
一方、床下のお咲ちゃんは兄弟にお説教されて……?
「おい、ちょっとお前さん、起きて見ておくれよ! これはいったいどういうことだい!」
「まぁ……!
昨日まであれほどドブ臭くて魚の腐った油で汚れていた井戸の周りが、まるでお寺の磨き抜かれた床みたいにピカピカだべ!
どこを見ても一点の曇りもねえぞ!」
カラリと晴れ渡った、どこまでも清々しい翌朝。
中央広場にある村の共同井戸に、朝一番の水を汲みにやってきた長屋の女たちは、目の前の光景に一斉に悲鳴のような驚きの歓声を上げた。
昼間に漁師たちが捌いた生魚の腐った内臓やゴミ、赤土のどろどろとした泥でまみれていたはずの石畳は、自分の目を疑うほど見事に磨き上げられ、その無数の節々や隙間には、清浄な白い灰が美しく、あるいは几帳面な手つきでびっしりと撒き詰められていたのだ。
女たちの一人が恐る恐る石畳を指先でなぞってみるが、不快な油のぬめりは完全に消え去り、さっぱりとした灰汁の匂いが鼻腔をくすぐるだけだった。
「おぉ……やはり、やはり黄金の髪を持つあの菩薩様が、村の病を哀れんで井戸を清めてくださったんじゃ!」
「本当だわ!
見ておくれよ、うちの新太のあれほど激しかった夜通しの腹痛が、今朝になったら嘘みたいにぴたりと治まっちまったんだよ!
菩薩様が夜中に舞い降りて、悪い虫を全部きれいにお祓いしてくださったんだわ!」
「ありがたや、ありがたや……!
これで子供らの命も助かったべ!
お上の役人に目をつけられる前に、お供え物を倍にしなきゃなんねえな!」
女たちだけでなく、ただならぬ凄まじい騒ぎを聞きつけた漁師たちや近隣の若者たちも続々と広場に集まり、広場はまたたく間に狂喜の渦に巻き込まれた。
集まった人々は清められた井戸の周りに一斉にひざまずき、涙を流して湿った地面に額を何度も何度も擦り付け、熱心に感謝の祈りを捧げ始めた。
遠くの細い路地の物陰からその異様な熱気と男たちの狂騒を目撃した太助と次郎の兄弟は、顔を真っ白にして冷や汗をだくだくと流した。
「おい次郎……これ、絶対に夕べの……あのネエちゃんの仕業だろ……」
「ああ、間違いないべ!
あんな風に灰を隙間なく撒き詰めるなんて、あのネエちゃんに決まってるべ!
おい兄ちゃん、周りの連中に怪しまれる前に、お上の役人に見つかる前に大急ぎであばら家に戻るぞ!」
二人は脱兎のごとくあばら家へ引き返すと、それこそ泥棒が入ったかのような凄まじい勢いで居間の薄汚れたむしろを勢いよくひっぺがし、床下の薄暗い芋つぼの底を覗き込んだ。
床下のひんやりとした土の暗がりには、深夜の大掃除で泥と灰に少し汚れた粗末な着物のまま、よね婆から譲り受けた古い絵草紙をのんびりと眺めているお咲の姿があった。
太助は頭をガシガシと両手で抱えて、芋つぼの奥に向かって声を極限まで潜めながら必死に意見を始めた。
「ネエちゃん!
あんまり派手に村中を動き回るなって、あれほどきつく言ったろ!
俺たちは毎日生きた心地がしねえよ!」
「そうだべ!
作蔵や長屋の連中だけじゃねえ、お堅い庄屋様まで井戸の前で本気で拝み始めてるんだぞ!
これでお触れが出ちまってお上の耳に届いたらどうすんだよ!
隠匿の罪で俺たち全員漏れなく磔獄門だぞ! 村ごと一族郎党根絶やしだ!」
上から降ってくる、怒鳴り散らす兄弟の激しい剣幕に、お咲は絵草紙からゆっくりと顔を上げ, 床下の底から上目遣いで二人をじっと見つめた。
そして、ふっくらとした豊かな紅い唇を少しだけ不満げに尖らせると、子供のように悪戯っぽくぺろりと小さな舌を覗かせてみせた。
「ふん、そんなに怒らなくたっていいじゃない。
私はただ、汚れたお水を清らかにしただけよ。
小さな子供たちを苦しめる病気の虫をやっつけるのは、薬師の当然の務めでしょう?
誰もやらないから私がやったのよ。悪いことかしら?」
「だからって、やり方が派手すぎるんだってんだよ!
まるでお奉行所のお白洲みたいに真っ白にピカピカに磨きやがって!」
「ボサツだなんて、本当に日本の人は大裟裟ね。奇跡でも何でもない、ただの灰汁の力よ。
そんな風に大騒ぎして拝むなんて、本当に『ウンメーリヒ(あり得ない)』」
お咲はクスクスと楽しそうに笑いながら、深夜の重労働で少しはだけかけた着物の襟元を直そうともせず、むしろの上でしなやかにその豊かな肢体を横たえた。
彼女が寝返りを打つたびに、雪のような白肌と豊かな胸の膨らみが暗がりの中で妖しく揺れ動く。
その、怒る気すら一瞬で失せるほどの肉感的な可愛らしさと、あまりにも無防備な外国娘の妖艶なしぐさに、太助と次郎は顔を耳まで真っ赤に染め、ハァと大きなため息を漏らすしかなかった。
「……ちぇっ、相変わらず凄まじい色香だべ。
兄ちゃん、こんなに綺麗な顔で見つめられたら、これ以上強く言えねえや。
胸がドキドキしてしょうがねえ」
「馬鹿野郎、見惚れてる場合じゃねえ。
村の入り口にあれだけお供え物の山が積まれてんだ、お上の目が光ってんのは間違いねえんだからな。
引き締めていかねえと命がいくつあっても足りねえぞ」
太助はぶつぶつと言いながらも、泥と灰のついたお咲の着物の袖を見て、そっと物置の奥から新しい真っ白な手拭いを取り出して床下へと優しく放り投げた。
「ほら、それで身体を拭きな。
夜の汚れがついたままだと冷えるぜ。
よね婆に見つかったら、またお小言が長くなるからな」
「ダンケ(ありがとう)、タスケ。
あなたたちは口は悪いけれど、本当に優しいわね。
大好きよ」
お咲は手拭いを受け取ると、美しい青い瞳を細めて、心の底から愛おしそうに微笑んだ。その笑顔の圧倒的な破壊力に、兄弟はまたしても胸をドキンと激しく高鳴らせる。
言葉の壁を越え、磔獄門という死罪の恐怖と常に隣り合わせながらも、お咲と兄弟の奇妙な絆は、この薄暗い床下の芋つぼを通じて、誰にも引き裂けないほど確実に、そして深く結ばれていくのだった。
床下からのテヘペロ顔お咲ちゃん、破壊力が凄まじいですね(笑)。
村の信仰心も最高潮です。
しかし、この噂を聞きつけた「厄介な奴」が、ついに江戸から村へ乗り込んできます。大ピンチ!?




