【第16話:村中に広まる“菩薩の噂”】
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老漁師の命を救ったことで、「外房の金髪菩薩」の噂はついに村の境界線を越えて大爆発。
お堅いあの庄屋さままでもが、熱心にお祈りを始める事態に発展します(笑)。
「おいおい、お前さん、聞いたか? 外房のあのひなびた漁村に、夜な夜な神々しい御姿で現れるお方がいるそうだ」
「あぁ、知ってるととも!
どんな難病も一瞬で治しちまうっていう『金髪の菩薩様』だろ?
去り際によ、えも言われぬ美しい金粉を夜風にハラハラと撒き散らして、跡形もなく消えちまうんだってな。
今や街道筋はその噂でもちきりだぜ」
「何でも、その菩薩様が触れただけで、労咳病みの寝たきりだった婆様が翌朝にはシャキシャキ歩いて畑に出たっていうじゃねえか。
信じられねえが、生きた神仏が本当に現れたんだべ!」
老漁師・茂作が涙ながらに語った「金粉の奇跡」は、引き潮の波に乗るよりも早く、村の境界を越えて津波のように広がっていった。
噂は隣の貧しい農村や賑やかな宿場町へと瞬く間に伝わり、果ては街道を大急ぎで行き交う旅人、飛脚、商人たちの口を伝って、文字通り房総の地一帯を熱狂させながら駆け巡ったのである。
噂が噂を呼び、神格化はとどまるところを知らなかった。
「なぁ、これをお供えすれば、うちの親父の重い労咳も綺麗に治るかねぇ。
少しでも菩薩様の目に留まればいいんだが」
「きっと届くさ。
菩薩様は信心深い者の味方だ。
ほら、持ってきた米俵を庄屋様の屋敷の前に置かせてもらおうじゃねえか。
粗末に扱ったら罰が当たるべ。しっかりとお祈りも捧げるんだぞ」
数日もしないうちに、うら寂しかった漁村の入り口には、遠方からわざわざお供え物を抱えた人々がひっそりと、だが引きも切らずに長い列をなして集まり始めていた。
カゴから溢れんばかりに盛られた新鮮な山菜、上質な麦の袋、丁寧に畳まれた見事な麻布。
さらには、なけなしの文銭を包んだ紙までが置かれていく。
菩薩様の御利益に何とかして預かろうとする衆生の凄まじい熱気と、奇跡を信じる執念は、ついに村を取りまとめるあのお堅い庄屋の頑なな心をも、完全に融かしてしまった。
ドタバタ、ドタバタ。ズサァーッ、ズサァーッ。
まだ夜も明けきらぬ薄暗い早朝、太助と次郎のあばら家の前で、妙に騒がしい砂を蹴る足音と、衣服が擦れる音が激しく響く。
「……ありがたや、ありがたや。
南無阿弥陀仏、南無菩薩大士……どうか我が村に永く留まり給え……村の全ての穢れを祓い給え……」
次郎が眠い目をこすりながら、細く開けた障子の隙間から恐る恐る外を覗き込み、ひっと喉を鳴らした。
「おい、兄ちゃん!
起きろよ、大変だ、とんでもねえ大変なことになってるぞ!
外を見ろ!」
「なんだよ、朝っぱらからうるせえな……
まだお日様も出てねえ、暗いじゃねえか……
うわっ! 庄、庄屋の旦那じゃねえか!
何やってんだあのじいさん!」
太助がガバッと飛び起きて次郎を床に突き飛ばし、窓枠に額をぶつけそうなほどへばりつく。
そこには、普段なら百姓が声をかけることすら恐れ多いお堅い庄屋が、真剣そのものの強張った顔つきで冷たい泥土の上に両膝をつき、太助たちのボロいあばら家の土壁に向かって、何度も何度も熱心に両手を合わせ、狂ったように拝礼を繰り返している姿があった。
その目は完全に据わっており、一心不乱に呪文のような経文を唱えている。
「我が領内にこれほど尊き神仏が舞い降りてくださるとは、お代官様にも申し訳が立つほどの誉れじゃ。
ありがたや, ありがたや。
これで我が村も末代まで大漁安泰じゃ。
この家から尊き気が溢れておるわ……」
「お、おい次郎……庄屋様、完全に信じ切ってやがるぞ。
それも、お社じゃなくて、うちの腐りかけのボロ壁に向かって必死に額を擦り付けてやがる……」
「当たり前だろ!
茂作の爺さんの喘息を治したあと、ネエちゃんがこの家に風みたいに逃げ込むのを、運の悪い誰かが見てたんだ。
菩薩様がこのあばら家に宿ってると思われてんだよ!
完全に目をつけられてるべ!」
ガタガタと武者震いとも違う圧倒的な恐怖で震える兄弟の足元――
すなわち薄汚れたむしろのすぐ真下の、狭く薄暗い芋つぼの中では、当の「菩薩様」が、あきれ果てた顔で土の天井を見上げていた。
ドタバタ、ズサァーッという熱心な拝礼の振動と、庄屋のぶつぶつという念仏の声が、容赦なく土の壁を伝って床下の奥深くまで響いてくる。
あまりの騒がしさに、お咲の睡眠は完全に妨げられていた。
「タスケ、ジロー、
さっきから踏み鳴らす音と、お経の声がうるさいわね。
上のじいさん、毎朝あそこで何をしているの?
私、全然眠れないわ」
お咲はよね婆からもらった古い絵草紙をめくりながら、呆れたように長いため息をついた。
頭のほっかむりをさらりと外すと、月光の代わりにロウソクの微かな火を浴びた黄金の髪が、暗がりの芋つぼの中でさらさらと波打つように美しく揺れた。
眠気で少し潤んだ青い瞳、そして寝返りを打った際にはだけた着物の襟元から、豊かな胸の膨らみが妖しく火に照らされている。
その無防備な肉体美は、薄暗い床下で息をのむほどの輝きを放っていた。
「ネエちゃん、静かにしてくれ!
声が漏れたら終わりだ!
庄屋様が命がけでお祈り捧げてんだよ!」
「もしあの菩薩の正体が、床下に隠れてる異国のネエちゃんだってことがお上や役人に露見してみろ。
それこそ隠匿の罪で、俺たち全員漏れなく磔獄門、一族郎党お取り潰しだぞ!
頼むから大人しく寝ててくれよ!」
太助が涙目で床板に顔をくっつけ、声を押し殺して必死に床下へと訴える。
生きた心地がしないとはこのことだ。
しかし、お咲はパチパチと大きな青い瞳を瞬かせると、日本の民のあまりの信心深さと勘違いがたまらなく可笑しくなったようで、豊かな胸を大きく揺らしてクスクスと鈴を転がすような笑い声を漏らした。
「ハハ、本当に日本の人は面白いわね。
ただの和漢の薬草の効き目なのに、神様だなんて崇めるなんて。
奇跡でも何でもない、ただの医術よ。
そんな風に拝まれるなんて、本当に『ウンメーリヒ(あり得ない)』!」
「笑い事じゃねえってんだよ、ネエちゃん!
村の入り口にあるお供え物の山を見てみろ、これじゃ遠からずお奉行所の役人やお代官様の手代や密偵が不審に思って、大挙してすっ飛んでくるのも時間の問題だ!
俺たちは毎日お縄になる夢を見て飛び起きてんだぞ!」
「タスケ、そんなに怖がらなくていいわ。
あなたたちは本当に心配性ね。
要するに、その役人たちに見つからなければ、何も問題ないでしょう?
私は床下から出ないわよ」
お咲は悪びれもせず、むしろの上に無防備に横たわったまま、白い指先で絵草紙の植物の精緻な図をなぞった。
「それより、次郎。
そのお供え物の中に、珍しい芳草……いいえ、私の知らない日本の面白い薬草はなかった?
もしあれば、私の仕込み園に新しく足して、もっと強いお薬を仕込みたいのだけれど」
「あるわけねえだろ!
みんな米とか芋とか、ありがたい熊野のお札ばっかりだよ!
誰もネエちゃんが喜ぶような怪しい草なんかお供えしねえよ! みんな本物の仏様だと思ってんだからな!」
次郎が頭を抱えて筵に突っ伏す。
お咲の肝の据わり方と、どこかズレた薬師としての情熱には、もう言葉も出なかった。
外では、庄屋の熱心すぎる読経と、泥をこする拝礼の声が、朝の清々しい空気の中にどこまでも不気味に響き渡っていた。
床下に隠された異国の知性と圧倒的な色香、死罪と隣り合わせの薄氷を踏むような危うさ、そしてそれを「黄金の菩薩」と疑わない純朴すぎる村人たちの狂信。
抱腹絶倒の勘違いが、うら寂しい漁村の夜と朝を、どこまでも熱く狂わせていくのだった。
床下の真上で真剣にお祈りする庄屋さま、シュールすぎて爆笑ですね!
兄弟の冷や汗も限界突破です。
次回、お咲ちゃんを一目見ようと村の若者たちが夜回りを強化。
絶体絶命の捕獲大作戦が始まります!




