【第12話:夜泣き赤子と、謎の黄金ハーブ(菩薩伝説の幕開け)】
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夜間徘徊中のお咲ちゃん、長屋で赤ん坊の夜泣きと腹痛に途方に暮れる母親を発見。
そっと窓から侵入し、自慢の薬草ロジックで奇跡を起こします!
「ううっ、嫌だよぉ……神様、仏様、どうか、どうかこの子を助けてくだせえ……!」
湿った潮風が吹き抜ける夜の長屋。薄暗い一室の襤褸布団の横で、若い母親が髪を振り乱し、小さな赤ん坊を抱きしめて泣き崩れていた。
生後数ヶ月ほどの赤ん坊は、顔を真っ赤に強張らせて手足をバタつかせ、引き付けを起こさんばかりの激しさで夜泣きを繰り返している。
「おぎゃあぁあ! あぁあぁあ――っ!」
「泣かないでおくれ、お前まで死んじまったら、私はどうしたらいいんだよぉ……!」
昼間の漁の疲れを癒す静寂の中で、その泣き声だけが狂おしく響いていた。
母親の額からは冷や汗が滴り、限界を迎えた絶望が部屋を支配している。
その時だった。
サ、と微かな衣擦れの音がして、わずかに開いていた格子の引き窓から、一つの影が滑り込んできた。
「ひっ……!?」
母親は恐怖に短い悲鳴を上げ、腰を抜かしかけた。
ランプの油火が微かに揺れる空間に突如として現れたのは、夜の闇にはおよそ似つかわしくない、輝くような黄金の髪を持つ異国の美女だった。
手ぬぐいを肩にかけ、はだけかけた粗末な着物の隙間から吸い付くような白肌を覗かせている。
「静かに、お母さん」
お咲はよね婆から教わった「き・れ・い」な笑顔をその美しい唇に浮かべると、白く細い人差し指を自らの唇へとそっと当ててみせた。
「シ――。私は、敵じゃないわ。大丈夫、怖がらないで」
その優しく鈴を転がすような響き。
お咲の豊かな胸元からふわりと漂ってきたのは、潮の香りをかき消すような、甘く清涼なハーブの香りだった。
その香りと彼女の圧倒的な慈愛の佇まいに、部屋の張り詰めた空気は一瞬にして和らいでいく。
母親は呆然と涙を流したまま、その場に硬直していた。
「子供、見せてちょうだい」
お咲は泥にまみれた床に躊躇なく膝をつくと、激しく泣き叫ぶ赤ん坊の元へと擦り寄った。
白く引き締まった腕を伸ばし、赤ん坊の小さな衣服を優しく押し上げる。
お咲の青い瞳が、知性の光を宿して鋭く細められた。
(熱は……それほど高くないわね。呼吸の乱れは泣きすぎのせい。問題は、ここよ)
彼女の繊細な指先が、赤ん坊の膨らんだお腹を優しく触診していく。
トントン、と微かに指先で叩き、腹壁の張りを確かめる。
その瞬間、お咲の明晰な頭脳は、赤ん坊を苦しめている病のロジックを完全に解き明かした。
(よかった……。悪い疫病じゃないわ。ただお腹に気が滞っているだけ――一過性のガスによる、激しい腹痛ね。これなら、あの花が効くわ)
お咲はすぐさま、懐から小さな麻の袋を取り出した。
それは、今しがたの夜のそぞろ歩きの最中に、月光の中で識別して摘み取っておいた、浜辺に自生するカモミール系の野草――黄金ハーブだった。
「お母さん、台所、借りるわね。お湯、ある?」
「え、あ、はい……! 火鉢の上の鉄瓶に、白湯なら……!」
言葉は通じずとも、お咲の目配せと手つきで母親は必死に頷いた。
お咲は台所の土間へ素早く移動すると、素焼きの茶碗に乾燥させた黄金ハーブを器用に千切って入れ、沸き立つ白湯を静かに注ぎ入れた。
たちまち、狭い長屋の中に、林檎のような甘く優しい香りが満ち溢れていく。
「さあ、お待たせ。これで痛いの、飛んでいくわよ」
お咲は茶碗を丁寧に揺らして冷ますと、赤ん坊を抱きすくめている母親の前に戻った。
そして自然な動作で、赤ん坊の小さな身体を自らの豊かな胸へと優しく抱き寄せたのだ。
「おぎゃぁ……あ、う、うあぁ……」
雪のような白肌の温もりと、圧倒的なハーブの香りに包まれ、赤ん坊の泣き声がほんの少しだけ弱まる。
お咲はスプーンの代わりに白湯の茶碗の縁を赤ん坊の小さな唇へと当て、人肌に冷ました煎じ汁を、一滴一滴、愛おしそうに口へと含ませていった。
「おいしい、おいしい薬よ。お腹の痛い虫、バイバイしましょうね」
お咲がゲルマンの優しい子守唄のような声を囁きながら、二度、三度と喉を鳴らさせると――奇跡は静かに訪れた。
「……あ、うぅ……」
あれほど狂ったように泣き叫び、全身を強張らせていた赤ん坊が、ピタリと泣き止んだのだ。
赤ん坊はお腹を包むお咲の手の温もりと、胃を温めるハーブの効能によって、すっかり強張りが解け、お咲の豊かな胸元に小さな顔を埋めながら、スヤスヤと深い眠りへと落ちていった。
「あぁ……神様、仏様……! 坊やが、坊やが寝た……!」
母親は溢れ出る涙を止めることもできず、畳に額を何度も擦り付け、お咲の足元に深くひれ伏した。
「ありがとうございます、お咲様……! あんたは、あんたは我が家の菩薩様だ……!」
「ふふ、菩薩? よく分からないけれど、もう泣かなくて大丈夫よ」
お咲は首を少し傾げると、ひれ伏す母親に向けて、茶面っ気たっぷりに片目をきゅっと瞑ってみせた。
その小悪魔的なウィンクは、張り詰めていた母親の心を完全に救い去るものだった。
「じゃあね、お母さん。タスケたちに怒られちゃうから、私はもう行くわ」
東の空が僅かに白み始め、朝の気配が路地に忍び寄ろうとしていた。
お咲は身を翻すと、寝ている赤ん坊をそっと布団へ下ろし、開いた障子窓から外の暗がりへと鮮やかに駆け去っていった。
その身のこなしは、まるで夜風そのもののようだった。
ダダッと夜の静寂を駆けるその去り際。
結び目が緩んでいた藍染めの手ぬぐいが、強い海風に煽られて、ふわりと頭からめくれ上がった。
「――あ」
手ぬぐいの隙間から解き放たれた黄金の髪が、満月の残光を浴びて、夜の闇の中で眩いばかりに揺らめく。
それは不吉な異国の化け物の光などでは断じてなかった。
長屋の窓からその背中を呆然と見送っていた母親の目には、暗闇を照らし、命を救い上げる、あまりにも妖しく、そして神聖な「菩薩の御光」そのものに映っていた。
うら寂しい外房の漁村に、目に見えない知性の灯火が灯る。
この月夜の小さな救命劇こそが、やがて国境と因習の壁を打ち破り、村中、そして国中へと広がっていく「金髪の菩薩伝説」の、輝かしい幕開けとなるのだった。
赤ん坊を抱きしめてハーブを飲ませるお咲ちゃん、まさに聖母であり菩薩ですね!
母親も大感動です。
しかし翌朝、この出来事が村中でとんでもない大騒動へと発展してしまいます!




