守りたい
「失礼しまーす……って、誰もいませんね……」
「もしかしたら他の教室でも怪我人がでたのかもしれないわね。保健医の先生はそっちに行ってしまったのかも……。まぁ、備品は遠慮せず使わせてもらいましょう」
「そうですね!」
そう言って備品をおそるおそる探し始める令嬢を余所に、私は淡々と「氷はここよ」と指をさした。
「あ、本当だ……アイレスさんは何でもご存知なんですね」
「そういうわけではないわ。それに、ベアトリーチェでいいわよ。この学園にいる以上は、身分差は関係ないのだから」
私がそう告げると、彼女は少しもじもじしながら、「じゃあ、ベアトリーチェさんって呼ばせてくださいね」と笑った。
「私、マリベル・モンフォールっていいます。男爵家で身分も高くないから、この学園に入学できたことに興奮しちゃって……さっきも、ベアトリーチェさんが庇ってくれなかったら、私は身を乗り出して怪我をしていたと思います」
「それは……」
「だから……ありがとう、ベアトリーチェさん」
そう言って、彼女……マリベルは、優しい笑顔を私に向けてくれた。別に私は、彼女を守ろうとしたわけではない。
ただ、シルヴァンの心を守りたかっただけだった。まぁ結果として私が代わりに怪我を負ったわけではあるが、私は退学しないし、シルヴァンもそれほど気に病むことはないだろう。
だから、私は別にマリベルのことなんてこれっぽっちも心配していなかった。自分勝手な行動だったのに……。あなたは、こうして私に笑ってくれるのね。
「……私の方こそ、ありがとう、マリベル……」
「なんでベアトリーチェさんがお礼を言うんですか? ふふ、ベアトリーチェさんってクールに見えるけど、ちょっと不思議な人ですね」
マリベルが私の額に氷嚢を当てながらクスクス笑う。その姿がとっても可愛らしくて愛らしくて、私はなんだか涙が出そうだった。
あぁ、私は彼女の運命を変えたのか。そう思って。
「……ねぇ、マリベル」
「なんですか?」
「私とお友達になってくれる?」
「え、えぇ!?」
私の言葉に、マリベルが目を見開いた。それから少し頬を染めて、「私なんかでよければ、よろしくお願いします」と微笑む。
額は冷たいはずなのに、胸が温かい。そういえば、一周目の学園生活ではずっとシルヴァンと行動していたから……私、友達が一人もいなかったのだわ。
「友達なんていたことがなかったから、なんだか不思議な気分だわ」
「えっ! 私、そんな重責を負っているのですか……!?」
「ふふ、マリベルって面白いこと言うのね」
「だって、侯爵令嬢なんて私にとってはお姫様みたいなものだもの……! それに、レグナールさんと恋人なんですよね……!?」
「少し違うわね。私とシルヴァンは、家同士が決めた婚約者よ」
私が答えると、マリベルは「ひぇ~! 世界が違う……」と呟きながら、楽しそうにしている。
それから、ハッとしたように口を開いて、私にこう問いかけた。
「じゃ、じゃあ……ベアトリーチェさんはレグナールさんのこと、どう思ってるのですか……!?」
***
怪我をさせてしまった。それも、将来の妻となる、大切な婚約者のベアトリーチェに。
俺は、自分の魔法に自信があったし、過信をしていたんだ。だからまさか、あんな風に彼女を怪我させてしまうなんて思ってもみなかった。
でも、ベアトリーチェがモンフォールさんを庇っていなかったら……きっとモンフォールさんが怪我をしていたのだと思う。彼女は身を乗り出していたから。
「俺は、ベアトリーチェに助けられたんだ……」
そうぽつりとつぶやきながら、一人廊下を歩く。今は試験が終わって、ベアトリーチェのお見舞いに向かっているところだ。
医務室の前に着いて、扉を開けようとドアノブを手にかける。
「じゃ、じゃあ……ベアトリーチェさんはレグナールさんのこと、どう思ってるのですか……!?」
――その瞬間、中から弾んだ令嬢の声が聞こえてきて、ぴたりと手を止めた。
ベアトリーチェが、俺のことをどう思っているかって……?
……一体ベアトリーチェは、なんと答えるのだろうか。なんとなく聞いちゃいけないことを盗み聞きしているようで、変な背徳感がある。いや、実際そうなのだろうけれど。
「私がシルヴァンのことをどう思っているかって? そうね……」
ドクン、と心臓が脈打った。俺はどうしてこんなに緊張しているんだろう。
唇が渇いて、ぺろりと舌なめずりをした。
「そもそも私がシルヴァンの婚約者なのは、彼の慈悲なの」
「? ど、どういうことですか……?」
そんなの、俺が聞きたい。慈悲って、ベアトリーチェは一体何を言っているんだ? もしかして、婚約を承諾した時のことを、ずっと引きずっているのだろうか……?
「彼は優しいから。好きでもなんでもない私を、婚約者としてそばに置いてくれているの。だから私は……シルヴァン・レグナールという存在を、守り抜きたいの」
中から「キャー! カッコイイ」という、黄色い悲鳴が聴こえる。でも俺はそんなの気にする余裕もなく、医務室の扉を背にスリズリとその場に座り込んでしまった。
「守りたい……? なんで……?」
わからない。ベアトリーチェの考えていることが。
思えば、最初から様子が変だった。
『夢で見たのです』
『わ、私は……あなたと結婚したいのです……あなたの婚約者になりたいの……!』
『私はあなたのそばにいたいのです。だから、お願い、嘘でもいいから……あなたも、そうだと言って……』
初対面のはずなのに、どうしてだか彼女は思い詰めているように見えた。あの時は単純に緊張しているのかと思って深く考えていなかったけれど……。
普通、初対面の相手にあんな風に懇願をするだろうか。
本当は、前から俺のことを知っていたのではないか?
でも、ただ一方的に知っていただけの相手に対して、「守りたい」という感情を持つものなのか?
何もわからないし、俺はベアトリーチェのことを何も知らない。だっていつだって、彼女は自分の話をしたがらないから。
……いや、本心を隠している……と言った方が正確だろうか。とにかく、そんな印象があるのだ。
「ベアトリーチェ……君は本当は俺のことを、どう思ってるんだ……?」
俺の呟きは誰にも聞かれることなく、ただ静かに廊下で反響して消えていった。
廊下の壁に飾られていた誰かの肖像画だけが、俺を見ていた。




