誓い
それから随分長い時間、馬車に乗っている。
少なくとも王都からは離れていて……でも、決して知らない場所なんかじゃない。一周目の人生で、何度か足を運んだ場所だ。
窓から見える景色は、レグナール公爵家が治める広大な領地、レグナール領の豊かな街。
私はてっきりそこで降りるものだと思っていたけれど、予想に反して馬車は止まらない。
一体どこに連れて行かれるのかと思っていると、シルヴァンが馬車のカーテンを閉めた。
「ここから先はお楽しみだから、ね」
そう言って、人差し指を唇に当てる。十八歳のシルヴァンも、よくやっていた仕草だった。
図書室で勉強中に、つい私が大声ではしゃいでしまった時なんかも、こうやって人差し指を緩く弧を描いた唇に当てていた。
そんなことを考えて、しばらく経った頃だろうか。馬車がゆっくりと止まった。
先に降りたシルヴァンが私に手を差し伸べて、「お手をどうぞ、お姫様」なんて冗談を言う。きっと笑わせようとしているのだろうと、思った。
「ありがとうございます」
私は笑顔でその手を取って、馬車を降りる。
すると目の前に広がっていた光景は____まるで天国かと感じてしまうほどに美しい、広大なラベンダー畑だった。
「素敵な香り……」
「気に入った?」
「えぇ、とても!」
「よかった、ようやく笑ってくれた」
シルヴァンがそう安心したように言うものだから、私はまた胸がチクリと痛んだ。
「ここ、俺のお気に入りの場所なんだ。静かで、綺麗で。なんか心が落ち着かない時とか、ここに来ることにしていて。でも、今日からは二人のとっておきの場所だな」
シルヴァンが笑う。
一周目の人生では、領地に行ったことはあってもこのラベンダー畑を紹介してくれたことはなかった。
それはきっと、私がいつも笑っていたから。こんな風に暗い顔を見せたことがなかったから。
シルヴァンもそうだった。いつも微笑んでいて、優しくて、強かった。
けれど、そう見せていただけなのかもしれないと、ふと思った。
私は、シルヴァンのことを何も知らなかったのだろうか。けれど、私は確かにシルヴァンを愛していたし、シルヴァンも私を愛していた。
それに対して、今のシルヴァンは私を愛しているわけではない。ただ婚約者として、優しくしてくれているだけ。そのくらい、わかる。
それでも私は、やっぱりシルヴァンのことが好きなのだ。
例え今のシルヴァンに、過去のシルヴァンを重ねてしまっているとしても。彼を通して、一周目の人生のシルヴァンを見ているとしても……。
私は、このシルヴァン・レグナールという男に、どうしても惹かれてしまう。そういう運命なのかもしれない。
「……シルヴァン様、私のことを……ベアトリーチェと、呼んでくれませんか」
「もちろん、ベアトリーチェ。じゃあ俺のこともシルヴァンって呼んで、それで敬語も、やっぱりナシにしてほしい」
「…………わかりまし……わかった。これからよろしくね、シルヴァン」
……一周目の人生では、シルヴァンは私のことを「ビーチェ」と呼んでいた。
けれど私は、今のシルヴァンにその呼び方を求めることはしない。
その甘い声で「ビーチェ」と呼んでくれたのは、私のことを愛していた一周目の人生のシルヴァンだけなのだから。
今の私たちは婚約者だけれど、恋人ではない。
だけど私は、「巻き戻りの術」を使ったんだ。だから、その責任をとる意味でも____私のことを愛していない二回目の人生の彼を、精一杯守り抜こう。
そう誓った。




