懇願
アイレス侯爵領からレグナール公爵領まで移動する間、私は馬車の中でぐるぐると考え事をしていた。
もしかしてシルヴァンも、私のことをおぼえてくれているんじゃないかって。だから、私の我儘であるお茶会という名のお見合いを受けてくれたのではないかと、少し期待してしまう。
シルヴァンは、元気かしら。なにか困っていることはないかしら。
「もうすぐ着きますよ」
御者からそう声をかけられて、私はどきりとした。それから、宣言通りにゆっくりと馬車が止まる。立派なレグナール公爵邸の門の前。
私はお父様のエスコートで馬車から降りた。
するとそこに、私が来るのを待ってくれていたらしい、一人の少年が立っていることに気付く。
「シルヴァン……」
私はそう、掠れた声で小さく呟いた。笑顔を作ることもできず、ただただ、彼の顔を見ていた。
……生きてる。
シルヴァンは、確かにそこにいる。巻き戻りの術は、本物だったのだわ。やっぱり、私は成功したんだ。
十八歳のシルヴァンより、背が低くて顔も幼い。彼は一月の生まれだから、先週誕生日を迎えた九月生まれの私と違って、まだ十四歳のはずだ。
鼻がツンとする。私は泣きそうになるのを必死に堪えながら、シルヴァンの言葉を待った。
「はじめまして。お越しいただきありがとうございます。シルヴァン・レグナールと申します」
その言葉に、あぁ、と……ただそれだけ思った。
彼は、何も覚えていないのだ。考えてみれば、当たり前しれない。巻き戻り術を使ったのは私だけなのだから。
それでも、「はじめまして」と言われるのはとても胸が苦しくて。私はなんとか平静を装いながら、愛想笑いを貼り付けた。
「お初にお目にかかります。アイレス侯爵家のベアトリーチェ・アイレスと申します。本日は私の我儘をきいていただき、ありがとうございます」
「我儘だなんて、そんな! 俺も今日会えることを楽しみにしていたので、そんなこと仰らないでください」
優しい言葉をくれるシルヴァン。これが、私への愛ではなくただ気を遣ってくれているだけなことくらい、私にもわかる。
だってシルヴァンは、私を甘やかすときはいつも、飴玉みたいに優しくて甘い瞳で私を見てくれたから。
でも、覚えていなくてよかったのかもしれない。シルヴァンは、死の苦しみを知らないということだから。
あんな恐ろしい想いをするのは、私だけで十分だ。
「ベアトリーチェ嬢、どうぞこちらへ」
「えぇ、ありがとうございます」
私はシルヴァンに案内されるがまま、公爵邸のガゼボまで移動し、彼の正面に座った。
落胆と安堵が入り混じった、そんなドロドロした気持ちを抱えながら。
「……体調が優れないのですか?」
「いえ……なぜですか?」
「その……何か、思い詰めたような表情をしているように見えて。すみません、初対面でこんな……突っ込んだことを」
聞き慣れない彼の敬語が、ちくちくと胸を刺す。
あぁ、でも、一周目の人生でも、最初のお茶会ではお互いに敬語を使っていた。
敬語を外したのは、学園に入学する前のこと。シルヴァンが、「これから学園の仲間になるんだし、畏まった話し方はやめにしよう」と言ってくれたからだった。全部、覚えている。
「なんでもありません。少し、緊張してしまって……あなたが、あまりにも優しいから」
そう言って、ニコリと笑う。シルヴァンはほっとしたように表情を緩めた。
やっぱり、優しいわ。一周目の人生でもそうだった。
あの時の私は婚約者候補とのお茶会なんて初めてで……酷く緊張して、挨拶もままならかった。カーテシーも目も当てられないくらい酷くて、恥ずかしくて泣き出しそうだったもの。
けれど、そんな私に、彼は優しく微笑みかけてくれて……。
「緊張していますか? 実は、俺もなんです。こういう場って、慣れてなくて……。でも今日は、あなたのことを少しでも知れたら嬉しいです」
その美しいエメラルドのような優しい瞳に、私は初めての恋をしたの。……一目惚れだった。
だから、彼の婚約者が私に正式に決まった時は、すごく嬉しくて……。彼も私と同じで、「お茶会の時から気になっていた」と後から聞かされた時は、心臓がドキドキした。
もう、あの頃に戻ることはできないけれど。
「あの、本当に大丈夫ですか?」
「……ごめんなさい、少し考え事をしていました。あなたに会いたいと申し上げたのは、私の方ですのに」
「……ベアトリーチェ嬢は……なんだか、こういう場に慣れていらっしゃるのですか?」
「……え? いえ、婚約者候補の方とお会いするのは、シルヴァン様が初めてです」
嘘ではない。一周目の人生でも、私にやってきた縁談はシルヴァンだけだったから。
ただ、シルヴァンとは何度も顔を合わせたことがあるだけで。
「そうなのですね。でしたら……私が思っていたような人物じゃなくて、がっかりされてしまいましたか?」
シルヴァンの控えめな言葉に、私は目を丸くする。シルヴァンは弱音を吐かない人だった。こんな風に、自分を下げるようなことは言わないようにしていたのに。
「まさか! 私は、本当にシルヴァン様とお会いしてみたかったのです。がっかりなんて、するはずありません」
「でも、俺の噂はすごく大層なものばかりだから……」
「噂なんて、最初から当てにしておりませんでした。私は、私が見たもの、聞いたもので判断したいのです。あなたは素敵な人です、私にはわかります」
私がキッパリと言い切ると、今度はシルヴァンが目を見開いた。
「でも、会ったのは今日が初めてでしょう?」
「…………ゆ、夢で、見たのです」
「……夢で?」
「はい」
シルヴァンはぽかん……と呆けた後、くつくつと喉を鳴らして、しまいには大声で笑い始めた。
「夢って! ははっ、でも確かにそれは、ベアトリーチェ嬢が見て聞いたものですね」
「……そんなに、笑わなくても……」
「意外だったんです。あなたは落ち着いていて大人っぽくて、そんな冗談を言うような人には見えなかったから」
実際には夢ではなくて、過去なのだけれど……。
シルヴァンが笑ってくれているから、もうなんでもいいや、と思った。
「あっはは……はぁ~、笑った……。でも、本当にこの婚約に乗り気ではなかったら、遠慮なくそう言ってくださいね。俺の方から角が立たないように、上手く言っておくので……」
「いやです!」
シルヴァンの提案に、私は思わず席を立って大声を出す。
それから、今にも剥がれ落ちそうな愛想笑いを貼り付けながら、必死に言葉を紡いだ。
「わ、私は……あなたと結婚したいのです……あなたの婚約者になりたいの……!」
「えっ? いや、でも、俺たちまだ会ったばかりで」
「そんなの、関係ありません。私はあなたのそばにいたいのです。だから、お願い、嘘でもいいから……あなたも、そうだと言って……」
懇願するような、そんな声だった。シルヴァンは困ったように笑ってから、静かに一言呟いた。
「わかりました。婚約しましょう」
こうして、私達は……一周目の人生とは違う形で、また婚約者という関係に辿り着いたのである。




