パートナー
「ベアトリーチェ・アイレス侯爵令嬢のご入場です!」
使用人役の生徒がそう声を張り上げて、私は王城の舞台セットへ足を踏み入れた。
不安だった劇も、いよいよラストシーン。
代役のシルヴァンは、さっきまでの心配が嘘のように堂々としていて、余裕たっぷりに優しく笑っていて……なんだか、一周目のシルヴァンを彷彿とさせるような、そんな演技だった。
シルヴァンがセリフを発する度、観客の生徒たちがほぅ……と息をつく。そのくらい、今日のシルヴァンは格好いい。私も思わず、ドキドキしてしまうくらいに。
シルヴァンが裸足の私の元へ駆け寄ってくる。それから、優しい手つきで私に靴を履かせた。
……そういえば一周目の人生でも、こんなことがあったな。デート中、靴のヒールが折れてしまった私をシルヴァンはベンチまで運んでくれて、代わりの靴を買いに行ってくれたことがあった。
そして、私の足に手を添えて、優しく靴を履かせてくれたのだ。
あの瞬間、私はまるでお姫様になったかのような、そんな幸せを感じたの。
「私の妻になってくれないか。イエスなら、君の名前を教えてくれ」
シルヴァンのセリフに、思わずハッとする。そうだわ、今は劇の途中なんだった。過去のシルヴァンに想いを馳せている場合じゃない。
けれど、どうしても思い出してしまうの。
「私は、ベアトリーチェ……ベアトリーチェ・アイレスと申します」
「あぁ、なんて美しい名前なんだ、ベアトリーチェ……」
シルヴァンが私の手の甲にキスをする。私は、その姿にどうしても一周目のシルヴァンを重ねてしまって……。
大きな拍手の渦の中で劇の幕が下りる瞬間、ぽろりと一筋の涙を流したのだった。
***
幕が下りてステージから捌けた後。マリベルが涙を流しながら私に抱き着いてきた。
「本当に、素晴らしかったです! ベアトリーチェさん、本当に綺麗でした! 最後のアドリブの涙もすごく素敵でしたよ!」
「……あ、ありがとう」
泣いてしまったのは、別にアドリブじゃないのだけれど……勘違いしてくれる分には都合が良いので、私は少しだけ引き攣った笑みを浮かべる。
すると、シルヴァンが近付いてきて……少しだけ演技の熱が残っているような表情で、私に語りかけてきた。
「ベアトリーチェ、その……大丈夫?」
「え?」
よく意味が分からない問いかけに、私は首を傾げる。
マリベルは気を遣ってくれたのか、私からそっと離れて「パーティーでまたお話ししましょうね」と笑って去っていった。
「泣いてたから……俺がアドリブでキスしたから、嫌だったのかなって」
「そんなことで泣いたりしないわよ、キスなんて今まで散々してきたんだし、これくらい……」
「……え?」
シルヴァンが固まる。しまった、と思った。
確かにキスをしたことはある。他でもない、シルヴァン・レグナールと。
でもそれはあくまで一周目の人生の話で、今のシルヴァンも私も、キスなんてしたことがない、あるわけない。
「……ベアトリーチェ、それって、どういう……」
「お、お父様と! 私のお父様、私を溺愛しすぎて幼い頃何度もキスしてきたのよ」
慌てて作った言い訳にしては、マシなセリフが出てきた。シルヴァンも信じてくれたらしく、「なんだ」とほっとしたような柔らかい表情になった。
「ベアトリーチェ、この後の……学園祭の最後のパーティーで、ダンスの踊るパートナーは決まってる?」
「え? いいえ、まだだけれど……」
そういえば、約束していなかった。
この学園の学園祭では、最後に生徒たちがホールに集まって夜会のようなパーティーが開かれる。
生徒は皆貴族だったり良いところの商家の跡継ぎだったりなので、当たり前のようにダンスを踊れる生徒が大半だ。
もちろん、苦手で踊らない生徒もいるけれど、そういう生徒はドリンクや食事を手にお喋りを楽しんでいた記憶がある。
一周目の私は婚約者であり恋人でもあるシルヴァンと踊った。特に約束をするわけでもなく、自然とパートナーを組んだ。それが当然だったから。
だから、今回もてっきりそうだと思っていたけれど……私の思い上がりだったわね。……なんだか、恥ずかしい。
私が俯くと、シルヴァンが劇の最中のように、その場で跪いた。それから、演技かかった口調で私の手を取って、私の瞳を射抜く。
「美しいご令嬢。俺は王子でもなければ、綺麗な靴も持っていないけれど……それでもよければ、俺と踊ってくれませんか。イエスなら、君の名前を教えて」
気付けば周囲には人がいなくなっていて、今この場にいるのは私たち二人きり。
いつになく真剣なシルヴァンに動揺しながらも、私は震える声でこう答えた。
「私は、ベアトリーチェ……ベアトリーチェ・アイレスですわ」
私の返事を聞いたシルヴァンは、どこか懐かしい飴玉みたいに瞳をとろけさせて、「ベアトリーチェ、よろしく」と笑ったのだった。




