第6話:王の執着と、周囲の戦慄
一度道ができると、そこを通りたがるのが人の性らしい。
あの「私的な茶会」からというもの、我がアステール伯爵邸の門を叩く馬車の音は、驚くほど頻繁に響くようになった。それも、王家の紋章を隠した、極めて質の良い「お忍び」用の馬車である。
「陛下、本日は……治安の確認、でしたでしょうか?」
私は、居間のソファに当然のように腰を下ろすヴィクトールに対し、少々の困惑を込めて問いかけた。
「……いや。今日は領地の防災備蓄についての教示を受けに来た。アステール家は、先代の代から飢饉への備えが完璧だと聞き及んでいる」
ヴィクトールは、手元の分厚い公文書を広げながら、真剣な面持ちで答えた。その青い瞳には、王としての鋭さと、それ以上に「彼女の言葉を一言も聞き漏らすまい」という、執着に近い熱が宿っている。
「教示だなんて、滅相もございません。わたくしが二十年、のらりくらりと失敗を重ねながら身につけた、ただの生活の知恵に過ぎませんわ」
私は苦笑しながら、彼が持ち込んだ資料に目を通した。二十三歳の新王は、国を立て直すために必死なのだ。その真っ直ぐな姿勢を無下にすることは、四十歳の大人として、またこの国の貴族としてできなかった。
お茶を飲み、干し菓子をつまみながら、私は備蓄米の回転方法や、緊急時の徴収ルートの確立について、淡々と自説を述べた。ヴィクトールはそれを、まるでお伽話を聞く子供のように熱心に聞き、時折鋭い質問を投げかけてくる。
魔法がないこの世界において、一人の人間が持つ知識と経験こそが、最大の財産となる。彼は私の持つその「経験」に、一種の神聖さを見出しているようだった。
「……驚いたな。王宮の官僚たちが一月かけて出す結論を、君は茶を飲む間に導き出すのか」
「長く生きていれば、嫌でも覚えるものですわ。……陛下、あまり根を詰めすぎてはいけませんよ。お若いうちは、もっと楽しいことにも目を向けないと、心が乾いてしまいます」
私が冗談めかして言うと、ヴィクトールはふと、ペンを置いて私を見つめた。
「楽しいこと……。今の私にとって、ここに来ること以上に心休まる時間など、他にはないのだが」
「あら。光栄ですこと」
私はそれを、単なる「年長者への敬意」と「隠れ家的な居心地の良さ」への賛辞だと受け取り、優雅に微笑んで受け流した。
だが、私の預かり知らぬところで、事態は不穏な方向へと転がっていた。
王宮側からすれば、冷徹な粛清者であった新王が、暇さえあれば地方の独身令嬢の元へ通い詰めているのだ。これを「ただの勉強会」だと信じる者など、王宮には一人もいなかった。
「――アステール伯爵令嬢。少々、お耳を拝借したい」
ある日の午後、王子の帰宅後に現れたのは、見覚えのある王宮の文官だった。ヴィクトールの側近の一人であり、生真面目さで知られる男だ。
彼は居間に通されるなり、私に対して剣呑な視線を向けた。
「陛下が、政変後の混乱期に、これほど頻繁に一貴族の屋敷へ足を運ぶ。これが何を意味するか、貴女ほどの方ならお分かりのはずだ」
「ええ。陛下は大変お勉強熱心で、我が家の稚拙な領地経営術にまで関心を持ってくださっておりますわ」
「惚けるな!」
文官が机を叩いた。お気に入りの茶器が跳ね、私はわずかに眉を寄せた。
「陛下は、あの冷徹だった陛下が、貴女の屋敷から戻られるたびに、毒気が抜けたような、腑抜けた顔をされているのだ! 隣国の騎士団長と共謀し、何らかの秘薬でも盛ったのではないか!? あるいは、その……女の武器を使って、陛下を傀儡にするつもりか!」
私は、あまりの物言いにお茶を一口啜った。
「……秘薬? 女の武器?」
私は鏡を思い浮かべた。四十歳の私に、二十代の王を腑抜けにするような「武器」など、あったとしてもとっくに錆びついている。
「陛下をたぶらかすのはおやめなさい。貴女の背後にある隣国の武力も、母方の資金力も、我々は警戒している。陛下をこれ以上汚すというのなら、我々も相応の手段を講じる用意がある」
一方的な断罪の言葉を残し、文官は去っていった。
残された私は、呆然と冷めたお茶を見つめた。
「……たぶらかす、ねぇ」
私は自分の行動を振り返った。お茶を出し、菓子を出し、備蓄米の話をしただけだ。あ、たまに砂糖を多めに入れたかもしれない。それが「秘薬」だと言われたら、菓子職人も形無しだろう。
「(なにした私!? ただ仕事の相談に乗っていただけなのに、いつの間に魔女扱いにされてるのよ……)」
二十年間の「のらりくらり」生活で、最も避けてきたのが「目立つこと」と「他人の怨恨を買うこと」だった。だが、どうやら私の意図とは裏腹に、私は新王を狂わせる「傾国の魔女」として、社交界の裏舞台に引きずり出されつつあるらしい。
「面倒なことになりそうね……」
私は深いため息を吐き、庭を眺めた。
王子の不器用な執着。周囲の、魔法さえ介在しないがゆえに生々しいまでの被害妄想。
私の平穏な四十路は、どうやら王子の「初恋」という名の暴走によって、望まぬ方向へ加速し始めていた。




