第4話:資産家の影、王子の自信は音を立てて崩れる
私の居間は、現在、一種の「極限状態」にある。
隣り合って座る若き王ヴィクトールと、向かいのソファでふんぞり返る叔父カシム。二人の間に飛び交う視線は、魔法こそないが、当たれば肉を削ぎそうなほどの鋭さを帯びていた。
私はといえば、そんな火花を無視して、慣れた手つきで三杯目のお茶を淹れている。
「……アステール。聞いたところによれば、君の家は両親を亡くした後、経済的に苦労した時期があったそうだな」
ヴィクトールが、努めて冷静な、王としての慈悲を湛えた声で切り出した。叔父の威圧感に対抗するように、彼は己の持つ「国家の守護者」としての優位性を誇示しようとしているようだった。
「はあ、まあ。二十年前は整理すべき書類や借財もございましたが……」
「そうだろう。断罪後の混乱が落ち着けば、君の領地への特別減税と、王室からの技術支援を約束しよう。君が一人で背負うには、伯爵家の維持は重すぎるはずだ」
それは王としての最大限の歩み寄りであり、同時に「私を頼れ」という無言の独占欲の表れでもあった。若き王の真っ直ぐな言葉に、並の令嬢なら感激して涙を流すところだろう。
だが、向かいの叔父が、堪えきれないといった風に鼻で笑った。
「支援、か。陛下、お言葉ですがね、この姪が誰の血を引いているかお忘れでは?」
「カシム、貴殿に発言の許可は出していない」
「まあまあ、そう仰らずに。……お、ちょうど良いタイミングだ。メル、あれが来たぞ」
叔父が窓の外を指さすと同時に、執事が慌ただしく入室してきた。その後ろには、大きな木箱を抱えた数人の屈強な男たちが控えている。
「お嬢様、失礼いたします。母方の実家……アルフォンス大商会から、今月分の『差し入れ』が届きました」
「あら、もうそんな時期? ここに置いてちょうだい」
運ばれてきた木箱の一つが、目の前で開けられた。
その瞬間、王宮の執務室にあるものより遥かに質の良い香料の匂いが部屋に満ちた。中から現れたのは、希少な異国の茶葉、雪のように白い最高級の砂糖。そして、王家でも祝典でしか用いないような、金糸をふんだんに使ったシルクの反物だった。
「……なんだ、これは」
ヴィクトールの声がわずかに震えた。彼の視線は、箱の隅に無造作に放り込まれた「重石」代わりの大粒の魔石……いや、この世界ではただの美しい宝石の原石に釘付けになっていた。
「母方の祖父から届く、ただの仕送りですわ。あちらは商売が趣味のような人ですから、余ったものをこちらに送ってくださるんです」
私は当たり前のように答え、シルクの反物を手に取った。
「陛下、こちらの布地、王宮のカーテンにでもいかがでしょうか? うちでは使いきれなくて、倉庫に眠っているものもございますので。よろしければお持ち帰りください」
「……余っている、だと?」
ヴィクトールの顔から、みるみるうちに余裕が消えていった。
彼が提示した「王室からの支援」が、いかに矮小なものか。目の前の現実は、残酷なまでにそれを物語っていた。魔法がないこの世界において、富とは武力と同等の、あるいはそれ以上の権力である。
王室が政変で財政を立て直している最中、このアラフォー令嬢の実家――その片翼である母方の商会は、一国の予算を左右しかねないほどの資力を誇っていたのだ。
「陛下。この姪はね、金には困っていないんですよ。それどころか、彼女が溜め込んでいる私財を市場に放出すれば、今頃この国の物価はひっくり返る。なあ、メル?」
「叔父様、大げさですわ。私はただ、のらりくらりと平穏に暮らせるだけの蓄えがあればそれでいいんです。……陛下? お顔色が優れませんが、もしや立ちくらみでも?」
私は心配になって、ヴィクトールの顔を覗き込んだ。
彼は真っ白な顔をして、震える手で茶菓子を口に運んだ。
「……いや。……案ずるな。ただ、私が……私こそが彼女を守らねばならないと思っていた己の自惚れが、いかに浅はかだったかを思い知っただけだ」
「あら、陛下。そのような難しいことを。陛下は陛下でいらっしゃれば、それでよろしいのです。……このお菓子、甘くて美味しいですよ?」
私は、前世で培った「不機嫌な上司を宥める時の接待術」を無意識に発動させ、王子の皿に多めの砂糖を添えた。
冷徹な若き王は、もはや反論する力も残っていないのか、うなだれたまま、差し出された甘い菓子を機械的に咀嚼した。
叔父カシムは、その様子を酒でも飲むような顔で眺め、満足げに笑った。
「陛下。女を守るってのは、権力や金を見せびらかすことじゃない。……まあ、精々頑張ることですな。叔父としての合格点は、まだ遠いですよ」
結局、ヴィクトールは釈然としない表情のまま、山のようなシルクと最高級の茶葉を土産に持たされ、逃げるように屋敷を去っていった。
「……陛下、なんだか元気がないように見えたけれど。やはり王妃様の断罪でお疲れなのかしら」
私が独り言をこぼすと、叔父がニヤニヤしながら私の頭を撫でた。
「メル、お前は本当に罪作りな女だな。あいつは今頃、自分の無力さに枕を濡らしているだろうさ。……だがまあ、それくらいで折れるようなら、王なんて務まらん」
叔父の言葉を適当に聞き流しながら、私は届いた荷物の整理を始めた。
平穏。そう、平穏が一番だ。
だが、王宮へと帰る馬車の窓から、ヴィクトールが唇を噛み締め、燃えるような瞳でこちらの屋敷を振り返っていたことを、私はまだ知る由もなかった。
そして同時刻、王都の港には、一隻の豪華な船が着岸しようとしていた。




