第3話:嵐を呼ぶ親戚、居間の空気は氷点下
私の平穏を愛する心は、どうやら神に嫌われているらしい。
王宮から解放されて一息つく暇もなく、我がアステール伯爵邸の門前は、まるで戦場のような物々しさに包まれていた。
「メルセデス! 無事か! あの若造に首を撥ねられてはいまいな!」
屋敷の玄関を突き破らんばかりの勢いで入ってきたのは、私の父の弟であり、隣国の王家騎士団長を務める叔父、カシムだった。
魔法のないこの世界において、個人の武力と統率力だけで「隣国の死神」とまで渾名されるこの男は、その巨躯に見合う豪胆な笑みを浮かべ、私の肩を砕かんばかりの力で叩いた。
「叔父様、生きてます。生きてますから、その物騒な部下たちを早く街の外へ出してください。目立って仕方ありませんわ」
「何を言う。可愛い姪が新王に呼び出されたと聞いて、居ても立ってもいられんわ。何かあれば、そのまま王宮へ殴り込むつもりだったぞ」
冗談に聞こえないのが、この叔父の恐ろしいところだ。
私はため息を吐きながら、叔父を居間へと促した。彼が隣国から運ばせたという上質な燻製肉と、香りの強い茶を用意させる。二十年間、こうして私は周囲の「過剰な力」をいなしながら、平穏を守り続けてきたのだ。
「それで、あの若造……ヴィクトール新王は何と言った? あ奴は王妃を断罪した直後だ、血に酔ってお前の首でも狙ったか?」
「いえ……ただ、夜会の時に何を考えていたか、と。それだけですわ」
「……は?」
叔父は、大口を開けて肉を放り込もうとした手を止めた。
「それだけか? 政治的な密約や、我が国への牽制ではなく、ただの雑談か?」
「わたくしも困惑しておりますの。ですが、陛下はお忙しい身。単なる気まぐれでしょう」
私はお茶を啜り、ようやく人心地ついた。叔父が隣にいる安心感と、適度な賑やかさ。これこそが私の日常だ。王宮のあの冷え冷えとした空気とは正反対の、温かな停滞。
だが、その安らぎは、執事が転がるようにして居間に飛び込んできたことで、再び霧散した。
「お、お嬢様! 大変です! 正門に、正門に……!」
「また叔父様の部下が暴れたの?」
「違います! ヴィクトール陛下が、極少数の護衛のみで、お忍びでお見えです!」
持っていた茶器が、ガチリと音を立てた。
「……は?」
今日二度目の呆けた声が、私と叔父の間で重なった。
断罪劇を終えたばかりの新王が、なぜ公務を放り出して、地方貴族の、しかも独身令嬢の屋敷に予告なしで現れるのか。常識という物差しが、音を立てて折れる音が聞こえた。
「お通し……するしかないわね。叔父様、その格好」
「ああ? 隣国の騎士団長として、若き王に挨拶してやろうじゃないか」
叔父はニヤリと、猛獣のような笑みを浮かべた。彼は寛いでいた姿勢を正しもせず、パジャマ同然の薄着のまま、ソファに深く腰を下ろした。
やがて、執事の案内で居間の扉が開いた。
現れたのは、黒い外套を羽織り、旅装に近い格好をしたヴィクトールだった。
彼は入室するなり、私を見てわずかに表情を緩めようとした――が、その視線がソファに鎮座する巨躯を捉えた瞬間、凍りついた。
「……アステール、先ほどの話の続きを――」
王の言葉が止まる。
ヴィクトールの青い瞳が鋭く細められ、手は無意識に腰の剣の柄へと伸びた。
「……隣国の、騎士団長カシム。なぜ、貴殿がここにいる」
王の放つ威圧感が、一瞬で部屋の温度を氷点下まで引き下げた。お忍びとはいえ、その身に纏うのは一国の主としての覇気だ。
対する叔父は、手にした茶菓子を口に放り込み、咀嚼してからゆっくりと応えた。
「おや、陛下。こんな所でお会いするとは。……姪がいつも世話になっているようだな」
叔父は立ち上がりもせず、片手を上げてひらひらと振った。それは格下の者が王に対して取るべき態度では断じてない。だが、叔父には「隣国の軍事トップ」という、外交問題に直結する力がある。
「アステール伯爵邸は我が国の領土だ。隣国の剣が、許可なく入り浸る場所ではないはずだが?」
ヴィクトールの声は、冷徹そのものだった。彼は私を見ることなく、ただ叔父を、排除すべき敵対者として凝視している。
「許可? そんなものは二十年前に取っている。ここは私の姪の家だ。親戚が遊びに来るのに、いちいち王宮の判子がいるのか?」
「……貴様」
二人の間に火花が散る。魔法がないこの世界において、この二人が本気でぶつかれば、私の屋敷など一瞬で消し飛ぶだろう。
私は、冷めたお茶を一口飲み、静かにカップをソーサーに置いた。
「……陛下、叔父様。お茶が冷めてしまいますわ」
私の平坦な声に、二人の視線が同時に私へと向けられた。
「陛下。このような辺鄙な場所まで、視察のついでにご足労いただき恐縮です。何か我が家に関わる、よほど緊急の御用でしょうか?」
私は「視察」という言葉を強調し、王がここに来た理由を「公務」として定義してやった。そうでもしなければ、この若き王は叔父に何を言われるか分かったものではない。
「……ああ。近辺の治安を確認しに来ただけだ。君が、その……隣国の脅威に晒されていないかとな」
ヴィクトールは皮肉を込めて叔父を睨んだが、その頬がわずかに硬直しているのを私は見逃さなかった。
「そうですか。それは心強いことです。叔父様も、陛下に治安の良さをご報告できて喜んでおりますわ。さあ、陛下、どうぞお座りください。叔父が持ってきた隣国の珍しい菓子がございますの。毒見は、わたくしが既に済ませております」
私は、王の隣の席を指した。
ヴィクトールは忌々しげに叔父を一瞥した後、観念したように私の隣へと座った。
冷徹な王と、不敵な隣国の死神。
その間に挟まれて、私は「接待大変だわ……」と、前世の忘却していた残業の記憶をふと思い出していた。
叔父は、王子の私に向けられた、隠しきれない独占欲の混じった視線を見逃さなかったらしい。彼は、さらに深く、ニヤリと笑った。
「陛下。視察は結構だが……姪は少々、耳年増でしてな。あまり若造に付きまとわれると、すぐに逃げ出してしまうぞ」
「カシム……貴様、誰に向かって――」
私の居間は、もはや国際会議場よりも神経を削る場所へと変貌していた。




