第2話:王宮の呼び出し、若き王の眼差しは冷徹か
王宮から届いた召喚状というのは、受け取った者にとって死刑宣告にも等しい重みを持つ。特に、前王妃とその一派が処刑場の露と消えてから一月も経っていない今の時期であれば、なおさらだ。
「お嬢様、やはりあの夜会で何か不手際があったのではございませんか! 今からでも叔父様に……隣国の騎士団長閣下に救援を……!」
屋敷の執事が、青い顔をして私の周りをうろついている。長年、私の「のらりくらり」とした生活を支えてくれた忠臣だが、今回ばかりは彼の狼狽も無理はない。
「落ち着きなさい。叔父様を呼べば、それこそ宣戦布告と取られかねないわ。私はただ、呼ばれたから行く。それだけよ」
私は努めて冷静に答え、地味だが質の良い訪問着を選んだ。宝石は最低限。華美にして「王妃の残党」と思われても困るし、見窄らしくして「王を軽んじている」と取られるのも御免だ。
四十歳の独身令嬢。後ろ盾はあっても、私自身はただの地方貴族。そんな私の首を飛ばしたところで、新王に何のメリットがあるというのか。そう自分に言い聞かせながら、私は王宮へと続く馬車に揺られた。
案内されたのは、王宮の奥深くにある小執務室だった。
公式の謁見の間ではないことに、私はわずかな安堵と、それ以上の不気味さを感じていた。密室での対話。それは往々にして、公にできない「始末」の場となるからだ。
重厚な扉が開くと、そこには書類の山に囲まれた若き王、ヴィクトールが座っていた。
夜会の時とは違い、彼はペンを握り、眉間に深い皺を刻んでいる。その姿は、国を背負う重圧に耐える若き統治者そのものだった。
「アステール伯爵令嬢、メルセデス……参りました」
私は音を立てずに一礼し、指示される前に一歩下がって控えた。魔法がないこの世界において、物理的な距離は礼儀であると同時に、生存のための境界線でもある。
ヴィクトールはペンを置き、ゆっくりと顔を上げた。その青い瞳が私を捉える。
「……座れ」
低く、よく通る声だ。私は促されるまま、簡素な椅子に腰を下ろした。
沈黙が流れる。部屋の中には、暖炉で薪が爆ぜる音と、時計の刻む音だけが響いていた。王は私を観察するように見つめていたが、なかなか言葉を発しない。その沈黙が、私には何らかの罪状を頭の中で組み立てている時間のように思えてならなかった。
「……夜会の時、君は壁際で目を閉じていたな」
ようやく発せられた言葉は、あまりにも予想外のものだった。
「は……?」
私は淑女にあるまじき抜けけた声を出しそうになり、辛うじて飲み込んだ。
「陛下、それは……あのような華やかな場において、わたくしの如き者が目を引くような真似をいたしましたこと、深くお詫び申し上げます」
私は即座に、二十年間使い古した「定型文の謝罪」を口にした。目が合ったこと、目を閉じていたこと、そのすべてを不手際として処理しようとしたのだ。
だが、ヴィクトールの反応は意外なものだった。彼はわずかに目を見開き、もどかしそうに指で机を叩いた。
「謝罪を求めているのではない。……何を考えていた、と聞いている」
何を考えていた? まさか「明日の朝食の燻製肉の焼き加減」を考えていたなどと言えるはずがない。
「……恐れながら。新王陛下による新体制が始まり、我が国の行く末が光り輝くものであるよう、静かに祈りを捧げておりました」
完璧だ。これ以上ないほど中身のない、それでいて角の立たない嘘。私は自分の処世術に密かに自画自賛した。
しかし、ヴィクトールはふいと視線を逸らした。
「……嘘だな。君の目は、祈りを捧げる者のそれではない。何事にも執着せず、ただそこにあるだけの、静かな水面のようだった」
王の声には、なぜか微かな焦燥が含まれているように聞こえた。彼は立ち上がり、窓の外を見つめながら独り言のように続けた。
「誰もが私の機嫌を伺い、あるいは断罪の剣に怯えて擦り寄ってくる中で、君だけが……まるで、この世の喧騒など他人事であるかのように立っていた」
当たり前だ。こちらは人生二回目、精神年齢も合わせれば相当な年長者なのだ。二十歳そこそこの若造が起こした政変など、「元気な若者が頑張っているわね」くらいの感想しか持てない。
だが、今の私の立場は一貴族令嬢。そんな傲慢な本音は墓まで持っていくべきものだ。
「陛下。わたくしはただ、身分を弁え、分不相応な野心を抱かぬよう心掛けているだけにございます」
「……分不相応、か」
ヴィクトールは私を振り返った。その瞳には、夜会で見せた冷徹さではなく、言葉にできない熱のようなものが宿っている。
「アステール。君の家には、隣国の騎士団長が叔父にいるそうだな」
心臓が冷えた。ついに実家の背後関係に触れられた。
「……はい。父の弟に当たります」
「そうか。……今日はもうよい。下がっていい」
「……はい?」
またしても、私は拍子抜けした。もっと詰問されるのか、あるいは叔父を介した外交的な圧力をかけられるのかと身構えていたのに。
「また呼ぶ。……君のその『無欲』が本物かどうか、確かめさせてもらう」
ヴィクトールはそれだけ言うと、再び書類の山に向き直った。
解放された私は、ふらつく足取りで執務室を出た。
廊下を歩きながら、私は必死に脳内会議を繰り広げていた。
(なにした私!? 結局、何を確認されたの? 叔父様の名前が出たってことは、やっぱり政治的な牽制? でも、あの王様の顔……怒ってたの? それとも呆れてたの?)
二十年間の「のらりくらり」生活で培った直感が、かつてないほど激しく警鐘を鳴らしている。
馬車に乗り込み、ようやく人心地ついた時、私はふと思い出した。
「……確かめさせてもらう、って。また呼ばれるの?」
平穏な独身生活に、じわじわと、だが確実に亀裂が入り始めている。
屋敷に帰り着いた私を待っていたのは、追い打ちをかけるような執事の報告だった。
「お嬢様! 先ほど、隣国の叔父様から伝令が届きました。近々、視察を兼ねてこちらの屋敷に数日滞在されるとのことです!」
「……よりによって、このタイミングで?」
私は馬車の座席に深く沈み込んだ。
冷徹な若き王と、型破りな最強の叔父。
私の平穏な四十路ライフは、どうやらここに来て最大の危機を迎えてしまったらしい。




