第23話:断罪の評議会、突きつけられた偽りの証文
王宮で最も高く、最も冷酷な場所。それが、重要議案を審議する「大評議の間」であった。
魔法の奇跡が入り込む余地のない、堅牢な石造りの広間。高く設定された窓から差し込む冬の朝日は、塵を白く照らし出し、そこに集まった貴族たちの冷徹な野心をも剥き出しにしているようだった。
私は今、その広間の中央に、ただ独りで立たされていた。
「アステール伯爵令嬢メルセデス。貴殿には、隣国と通じ、我が王国の国益を著しく損なったという重大な容疑がかけられている。……否定するか?」
壇上の高い位置から、凍りつくような声を響かせたのは、ガストン公爵であった。
彼は前王妃の兄として、新王ヴィクトール様の治世を快く思わぬ守旧派の領袖である。かつて私がその不正を暴きかけた女官局をも統括していた、いわば王宮の古き利権の権化。その彼が、今日は「正義の執行者」としての仮面を被り、私を処刑台へ送るための幕を上げようとしていた。
「否定いたしますわ、公爵閣下。わたくしがしているのは、陛下より賜った『監査官』としての職務に過ぎません。……不透明な金の流れを洗うことが、国益を損なうことになるとおっしゃるのですか?」
私はのらりくらりと、しかし一点の曇りもない淑女の礼を保って応えた。
会場に詰めかけた百人近い貴族たちから、不快なざわめきが広がる。
「惚けるな! 貴殿が隣国の特使ルイス・フォン・クロムウェルと深夜に密会していたことは既に調査済みだ。あまつさえ、その男を国外へ逃がす手助けまでしたというではないか!」
ガストン公爵が手元にある一束の書類を、見せしめるように掲げた。
「これを見よ。隣国の紋章が入ったこの書状には、貴殿がアステール家の土地と、母方の商会の資金提供を条件に、隣国の軍勢を引き入れる密約が記されている。……これこそが、貴殿が『魔女』として陛下を惑わし、我が国を切り売りしようとした決定的な証拠だ!」
公爵が提示したのは、極めて精巧に作られた偽造の密約書だった。
魔法のないこの世界において、偽造を暴くのは容易ではない。特に、叔父が隣国の騎士団長であり、実家が大陸一の富を誇るという私の「強み」は、こうした場においては「裏切りの根拠」としてあまりにも説得力を持ちすぎていた。
「陛下! この女をこれ以上傍に置いておくことは、毒を抱いて眠るに等しい暴挙です。今すぐに身柄を拘束し、厳重な取り調べを行うべきです!」
ガストンの煽りに呼応するように、周囲の貴族たちが一斉に同調の声を上げる。
「そうだ、魔女を捕らえろ!」「隣国のスパイに王宮を汚させてなるものか!」
彼らの瞳には、私への憎しみだけでなく、自分たちの既得権益を脅かす「監査」という刃への恐怖が宿っていた。
私は玉座に座るヴィクトール様を、そっと見上げた。
彼は、拳を白くなるまで握り締め、殺気すら感じる鋭い眼差しで公爵を睨み据えていた。今すぐにでも剣を抜き、ガストンの喉元を掻き切りたいという衝動に駆られているのが、私には痛いほど分かった。
だが、彼は動けなかった。
王妃を断罪したばかりの新王が、確固たる証拠(と見なされているもの)を突きつけられた「寵妃」を私情で庇えば、それこそが公爵の狙い通り、王の理性が失われていることの証明になってしまう。
ヴィクトール様は、歯を食いしばり、血を吐くような思いで沈黙を守っていた。
その様子を見たガストン公爵が、勝利を確信したような歪んだ薄笑いを浮かべた。
「陛下が沈黙されるのも無理はございません。あまりに深く、この毒婦に蝕まれていらっしゃる。……衛兵! アステール伯爵令嬢を地下牢へ連行せよ。抵抗するようなら、生死は問わぬ!」
公爵の私兵たちが、武器の音を立てて私にじりじりと近づいてくる。
魔法のない世界。ここで一度捕まれば、二度と日の光を浴びることはないだろう。公爵は地下牢の闇の中で、私の首を撥ねるか、あるいは財産と武力の譲渡書に無理やり判を押させるつもりなのだ。
(なにした私……いえ、本当に、やってくれるわね、公爵様)
私は、震える手をショールの下で隠し、深く息を吐き出した。
二十年間ののらりくらり生活。その最後に待っていたのが、この理不尽な断罪劇とは。
だが、私は昨日、ヴィクトール様に誓ったのだ。守られるだけの荷物ではなく、陛下と共に歩むパートナーであると。
「……少々お待ちいただけますか、公爵閣下」
私は、近づいてくる衛兵たちの足を、一言だけで止めさせた。
その声は、広間の喧騒を切り裂くほどに澄んでおり、そして冷徹なまでの事務的な響きを湛えていた。
「その書類、わたくしも確認させていただきたいわ。……陛下、監査官としての権利に基づき、証拠物件の精査を要求いたします」
ガストン公爵が鼻で笑う。
「往生際が悪いな。偽造を疑うつもりか? これは、我が国の外交官が、君の部屋から見つけ出したものだぞ」
「いえ、偽造かどうかを問うているのではありませんわ。……その書類に記された『数字』に、あまりにも滑稽な矛盾があると言っているのです」
私は一歩、檀上へと歩み寄った。
四十歳の独身令嬢。魔法も武力も持たぬ一人の女が、王国最強の権力者を前にして、不敵な笑みを浮かべた。
「公爵閣下。その書状にある『兵站維持のための資金』の項目。……隣国の現在の穀物価格と、貴方が提示した金額が、三倍も乖離しておりますのよ。隣国の物価を熟知しているわたくしの実家の商会なら、そのような素人じみた計算ミスは絶対にいたしませんわ」
会場が、ざわめきに包まれた。
ガストン公爵の顔から、わずかに余裕が消える。
そしてその時、評議の間の巨大な扉が、外側から力強く開かれた。
魔法による衝撃ではない。それは、何千もの鋼がぶつかり合う、圧倒的な武力の到来を告げる音だった。
「――おやおや。姪が物騒な言いがかりをつけられていると聞いてな。視察のついでに寄らせてもらったぞ、陛下」
現れたのは、隣国の紋章を纏った、大陸最強の武力の象徴。叔父カシムが、完全武装の精鋭騎士たちを率いて、我が物顔で広間へと踏み込んできたのだ。
形勢は、一瞬にして逆転しようとしていた。
私はペンを握るように、自らの知恵という名の剣を構えた。
「さあ、公爵閣下。……ここからは、わたくしの『実務』の時間ですわ」




