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甘美な安寧を愛した四十路貴族令嬢は、不器用な王子の執着に捕まる ~魔法のない世界で事務能力無双はしたくないのに~  作者: 寝不足魔王


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第11話:お局たちの嫌がらせ、帳簿の裏に潜む毒

 王宮という場所は、巨大な生き物のようだと思うことがある。

 王という頭脳があり、騎士という筋肉があり、官僚という神経が通っている。そしてその隙間を埋めるように、無数の「女官」という名の細胞が、執拗なまでに伝統と秩序を守りながら増殖している。

 魔法のないこの世界において、血統と格式を何よりも重んじる彼女たちは、時として王の命令さえも「伝統」という名の盾で受け流す、厄介な集団だった。


「……というわけで、アステール顧問。陛下がこれほどまでに信頼を寄せられる貴女に、ぜひとも解決していただきたい案件があるのです」

 翌朝、私の執務室に現れた側近の文官は、慇懃無礼な態度で一束の書類を机に置いた。

 彼の目には、隠しきれない敵意と、獲物を罠に誘い込むような卑屈な光が宿っている。

「女官局の過去十年にわたる会計監査、でございますか?」

「ええ。あそこは聖域と呼ばれ、我ら男性官僚の介入を頑なに拒んできました。ですが、陛下と同じお茶を飲み、同じ月を眺められるほどの『魔力』をお持ちの貴女なら、彼女たちも心を開くのではないかと思いましてな」

 深夜のバルコニーの一件が、早くも歪んだ形で伝わっているらしい。文官の嫌味を、私はのらりくらりと受け流した。

「魔力など、この国には存在しませんわ。……ですが、陛下が公務の停滞を憂慮されているのであれば、一肌脱ぐのが顧問の務め。お引き受けいたします」

 断れば「陛下をたぶらかすだけで実務能力のない女」と触れ回るつもりなのだろう。私は前世の事務職時代に何度も経験した、部署間の押し付け合いを思い出し、静かに溜息を吐いた。


 女官局の庁舎は、王宮の北側に位置する、ひときわ古めかしい建物だった。

 一歩足を踏み入れた瞬間、肌にまとわりつくような沈黙と、古い香木の匂いが私を迎えた。廊下ですれ違う女官たちは、私の姿を見るなり扇で顔を隠し、クスクスと品のない笑い声を漏らす。

「あら、あれが噂の『四十路の妖婦』様かしら?」

「陛下を夜更けまで連れ回して、何を吹き込んでいるのやら。お可哀想に、若さがないとあのような手段しか選べないのね」

 直接的な侮辱。無視。そして、案内された部屋に置かれていたのは、埃を被った膨大な量の書類の山だった。

(あー、懐かしいわね。この『新参者への嫌がらせセット』。前世でも転職初日に同じことをされたわ)

 私は、山積みの帳簿を前にして、むしろ落ち着きを取り戻していた。魔法のない世界での嫌がらせなど、結局のところ物理的な手間を増やすか、精神的な不快感を与えるかの二択に過ぎない。そして私は、そのどちらに対しても、四十年の人生で培った鉄壁の耐性を持っていた。


「……アステール顧問。お仕事の邪魔をしては悪いので、我々は失礼しますわ。十日後には報告書をまとめてくださるのでしょう?」

 女官長を筆頭としたお局たちが、勝ち誇ったような顔で部屋を出ていく。

 私は彼女たちの背中を見送り、即座に腕捲りをした。


 まずは、書類の山を年代別に整理する。

 女官局の予算は、王族の衣食住に関わる「内廷費」から捻出されている。一見すると、伝統的な儀式や高級な布地の購入といった、正当な支出ばかりが並んでいるように見える。だが、私は魔法を使わずとも、この数字の海に潜む「毒」を嗅ぎ取ることができた。

 私の最大の武器は、母方の実家である「アルフォンス大商会」からもたらされる、大陸全土の市場価格データベースだ。


「……おかしいわね。この刺繍入りの絹地、一反につき銀貨十枚と記載されているけれど。市場価格なら五枚が妥当だわ。差額の五枚はどこへ消えたのかしら?」

 さらに、特定の業者の名前が頻繁に登場することにも気づく。

 数字は嘘をつかない。たとえ魔法で隠そうとしても、食い違った計算は必ず綻びを生む。私はのらりくらりとペンを動かしながら、彼女たちが「伝統」という仮面の裏で行っていた、大規模な中抜きと不正蓄財の証拠を、着実に積み上げていった。


 三日が経過した頃。執務室に嵐が飛び込んできた。

「アステール! なぜこんなところにいる! 女官たちが君に無礼を働いていると聞いたぞ!」

 ヴィクトールが、側近たちを引き連れて激怒しながら現れた。彼の怒気により、廊下で盗み聞きをしていた女官たちが悲鳴を上げて逃げ惑う。

「陛下。公務の邪魔でございます。今、大事な計算をしているところですので」

「邪魔だと!? 君が、あの腐りきった女官たちの嫌がらせに晒されているのだぞ! 今すぐ監査を中止させ、女官長を捕縛させる!」

 ヴィクトールの瞳には、私を守りたいという強い独占欲と、私を陥れようとした者たちへの容赦ない殺意が宿っていた。

 私はペンを置き、ゆっくりと立ち上がってヴィクトールの前に立った。そして、彼の震える拳に、そっと自分の手を重ねた。


「陛下。……ここで陛下が動けば、わたくしは本当に『王の威光を傘に着て、人を従える魔女』になってしまいます」

「だが……!」

「わたくしにお任せください。これは事務官としての私の戦いです。陛下は、王としての仕事をなさってくださいな。……わたくしが、この国に魔法など必要ないことを、数字だけで証明してみせますから」

 私の静かな、だが確固たる口調に、ヴィクトールは毒気を抜かれたように立ち尽くした。彼は私の手を握り返し、もどかしそうに唇を噛んだ。

「……分かった。だが、何かあればすぐに言え。私は、君を傷つけるすべてのものを許さない」


 王が去った後、私は再び帳簿に向き合った。

 さらに数日後。私は女官長とその取り巻きたちを、監査部屋へと呼び出した。

「顧問。十日も経たずにギブアップかしら? やはり地方の令嬢には、王宮の伝統は重すぎましたのね」

 女官長が嘲笑を浮かべながら入室してくる。

 私は無言で、一冊の整理された報告書を彼女たちの前に突きつけた。

「――女官長。過去十年にわたり、御用達の商人と共謀し、内廷費の約三割を私服に肥やしておられましたわね。こちらがその証拠となる、仕入れ値と実売価格の対照表。そして、あちらの商会に眠っている貴女の秘密口座の写しですわ」

 女官長の顔から、みるみるうちに血の気が引いていった。

「な、何を……。そんなもの、捏造に決まって……!」

「母方の実家が商会を営んでおりますの。商人の帳簿を洗うのは、わたくしにとっては朝飯前ですわ。陛下にこれを報告すれば、今夜のうちに貴女方の首は、あの断罪された王妃様と同じ場所へ並ぶことになりますけれど……どうなさる?」


 部屋の中に、絶望的な沈黙が流れた。

 四十歳の独身令嬢。魔法も美貌も武器にせず、ただ「数字」だけで王宮の闇を暴き出した魔女。

 女官長たちは、もはや声を出すこともできず、その場に崩れ落ちた。

「……安心してください。わたくし、面倒な粛清は嫌いですの。この件は、わたくしの胸の内に留めておきましょう。その代わり、これからはわたくしの『仕事』に、一切の邪魔を入れないこと。よろしいかしら?」


 圧倒的な勝利。

 女官局という最大の壁を、私は「実務」だけで粉砕した。

 報告を聞いたヴィクトールは、誇らしげに目を輝かせて私を抱きしめようとしたが、私はそれをのらりくらりと躱した。

「陛下。監査が終わりましたので、次は財務局の予算見直しに入りますわよ。……休んでいる暇などございませんわ」

「……君は、本当に私に頼ってくれないのだな」

 ヴィクトールの声には、尊敬と共に、決して手の届かない「大人の女性」を見上げるような、切ない独占欲が滲んでいた。

 魔法のない異世界。

 私の平穏を乱す者たちは、こうして少しずつ、私の「有能さ」という名の檻に閉じ込められていくのだった。


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